こんにちは、咲村珠樹です。「建物萌の世界」通称「たてもえ」、今回は皆さんを東京・上野公園にお連れします。

こちらの建物、国立科学博物館・日本館です。現在は「旧東京科学博物館本館」として、重要文化財に指定されています。建設されたのは1931(昭和6)年。関東大震災で壊れた建物を建て替える形で誕生しました。上から見ると飛行機(当時の先端技術の象徴)の形をしているのがユニークです。
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堂々とした正面玄関の意匠。ネオ・ルネッサンス様式とか、博物館の方はセセッション様式とも言っていましたが、とにかく、この当時を代表する様式建築であることは間違いありません。当時の館長さんがアイディア(建物を飛行機形にするとか)を出し、文部省大臣官房建築課の技師、糟谷謙三が設計、施工する際の実施設計は、同じく文部省の小倉強をはじめとする若手技師が担当しました。この当時、お役所系の建築というのは、現在のように外部の設計事務所や建設会社に依頼するのではなく、省庁内部に建築部門を持って、自前で設計や建設を行っていたところもあったんですね。代表的なのが、この文部省と逓信省(郵便と電話などを管轄する役所)、そして鉄道省でした。それぞれ対抗意識があったようで、明治後期から昭和戦前期にかけて、競うようにすばらしい建築を作っていったのでした。
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さて、この建物ですが、外観を覆う特徴的なものがあります。
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アップにしてみると判りますが、表面がギザギザしたレンガのようなもの。これは「スクラッチタイル」といいます。タイルの表面をクシのようなもので引っかき(スクラッチ)、焼き上げたものです。ここで使われているのは素焼きですが、釉薬をかけたものもあります。

このスクラッチタイルですが、1923(大正12)年に作られた帝国ホテルで、設計者のフランク・ロイド・ライトが表面の仕上げに使ったのが、日本初の使用例とされています。コンクリート建築の表面仕上げ材として非常に人気が出て、この当時にできた建物に数多く使われました。戦後になると使用例が一気に減っていますので、逆に表面仕上げにスクラッチタイルが使われていれば、その建物は昭和初期に作られたんじゃないか……と推測する材料にもなったりするので、覚えておくと便利ですよ。

篆書体で書かれた「國立科学博物館」の文字と、石造りのディティールが重厚な正面玄関。
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内側はこんな感じ。かつてはここから入るようになっていましたが、改装された現在では、地下に入り口が移り、この扉を出入りすることはできません。
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大理石がふんだんに使われて、照明も凝ってます。ここを使えないのはもったいないなぁ……。

そして正面玄関を入ると、吹き抜けの大ホールが迎えてくれます。
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かつてはここに、タルボサウルスの全身骨格が展示されていました。天井はドームになっています。
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内部と外観を並べてみましたが、外観はちょっと見づらいんですよね。屋根に葺かれた銅板の緑青がイイ味出してます。これ以外にも、屋上には天体観測ドームがあり、定期的に観望会が開かれています。

さて、玄関ホールにある時計ですが、目立たないものの、ちょっとかわいいデザインがなされています。
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3時方向には知の象徴であるフクロウ、9時方向には羽ある生物の王とされる鳳凰がデザインされてます。この国立科学博物館の建物は、展示室以外にも映写機能を持つ講堂などを備え、社会教育施設としての博物館建築の最初の例なので、いわゆる「科学の殿堂」みたいなものの象徴として、フクロウと鳳凰が装飾に用いられているのではないかと。

天井部や壁面には、漆喰やタイルモザイクによる装飾が施され、ステンドグラス(ここにも鳳凰がモチーフになっています)もあって、非常に華やかな空間になっています。
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西洋的なモチーフだけでなく、階段部分や3階天井の通風口などには、法輪をモチーフにした東洋的なデザインも散見されます。
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実は2階、正面玄関の真上の部分に貴賓室(非公開)があり、開館時には天皇陛下のご来場もおありだそうで。それ以外にも、この博物館で行われた学会に皇族の方が出席される場合などにも、御休憩所として貴賓室を利用されたりすることがあるので、国家の「科学の殿堂」としての威厳を、このような装飾で表現したのかもしれません。
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使われているのも、様々な色の大理石。しかもパネルのように貼り付けたのではなく、すべて無垢材、つまり芯まで大理石。当時としては最上の質のものが選び抜かれて使われているそうです。床に使われてるタイルは、常滑の伊奈製陶(現在のINAX)製だそうです。この当時はまだタイル屋さんでした。2階から3階に上る建物端部の階段踊り場には、水飲み場とおぼしき跡(左写真右上)もあります。

玄関ホールの大理石など、贅を尽くした形になっていますが、貴賓室の上(つまり皇族などVIPが基本的に足を運ばない)である3階の手すりや、逆に地下へ向かう階段の壁面などは、木や研ぎ出しの人造石(砕いた大理石等をモルタルで固めたもの。石材ではなく左官屋さんが作るもので、略称ジントギ)など、ちょっとお安く仕上げられています。1、2階の大理石で予算を使いすぎたんでしょうか?
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ただ、ジントギの部分はわざわざパネル分けされており、あくまでも石材のような扱いで使用されているのが面白いところです。

3階天井は、明かり取りの窓が設置されていて、自然光で展示物を見せるような工夫がなされています。……が、現在は自然光に含まれる紫外線が、展示品を痛めてしまうことが判ったので、屋根の明かり取りはふさがれ、人工照明に変更されています。
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2階奥にある講堂。一般市民に対する科学的素養を育む、という目的で設置されたそうで、様々な講演会や映画の上映会が開かれました。白瀬中尉の南極探検講演なども開かれたとか。今でも学会やシンポジウムなどで利用され、その際に内部を見ることができます。
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立派なステージです。中央にあるのが演台。真ん中の白い部分は映写スクリーンになっています。

さて、初めの方にこの建物を「様式建築」とご紹介しました。実際そうなんですが、博物館の方に伺ったところ、小倉強ら、実施設計を行った文部省の若手技師たちは、古典的な様式建築ではなく、当時最先端だった「モダニズム建築」で建ててみたかったらしい……という話が伝わっているそうです。でも上司から「これで設計しなさい」と言われれば、それに従うしかなかったようですね。

これにはちょっとした後日譚的なものがありまして。国立科学博物館が建てられた2年後の1933(昭和8)年、逓信省によって東京中央郵便局(左写真)、そして1936(昭和11)年には鉄道省が鉄道博物館(当時。のちの交通博物館。右写真)がモダニズム建築で建てられます。文部省・逓信省・鉄道省の建築部門はライバル意識が強かったそうですから、これらの建物を見て、モダニズム建築で博物館を建てたかった若手技師は悔しかったでしょうね。しかも鉄道博物館は、国立科学博物館同様、講堂を備えた社会教育施設としての博物館建築でしたから……。
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ところが、現在から見てみると、装飾を排したモダニズム建築は、その後現代建築の基礎となってしまった為に「ただの古ぼけた建物」としか認識されず、初期の貴重な物件も、その歴史的価値を理解されることが少なく、次々壊されてしまっています。東京中央郵便局も表面だけ保存して取り壊され、鉄道博物館は今や跡形もありません。国立科学博物館は、ある種判りやすい「様式建築」だったから、重要文化財として残ったともいえます。モダニズム建築で重要文化財になっているのは、世界遺産登録を目指すフランスの建築家ル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館(国立科学博物館の隣)のみで、日本人建築家による作品は指定されていません(都道府県単位で指定されているものはありますが)。歴史って皮肉ですね……。

次回もまた、個人的に大好きな時代である昭和初期の建物をご紹介しようと思います。

■ライター紹介
【咲村 珠樹】
某ゲーム誌の編集を振り出しに、業界の片隅で活動する落ちこぼれライター。
人生のモットーは「息抜きの合間に人生」
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提供:おたくま経済新聞「建物萌の世界」
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