明治ホールディングス社長 浅野茂太郎(あさの・しげたろう)1943年、東京都生まれ。66年学習院大学法学部卒業、明治乳業入社。91年加工食品販売部長、94年販売企画部長、95年取締役、99年専務、2001年副社長、03年社長。09年明治ホールディングスの設立で同社副社長に。ホールディングス傘下の明治社長などを経て、12年6月から現職。

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■冷凍食品を黒字化 会心の「ラザーニャ」

1986年10月、課長を務めていた本社の冷食販売部が冷食事業部に組織改革され、冷凍食品の開発から生産、物流、販売促進までを一貫して運営する体制が生まれた。消費者の嗜好や市場の変化などに、機敏に対応するためにとった措置で、長く続いていた冷凍食品の赤字からの脱却を目指す。43歳だった。

明治乳業の歴史のなかでも、例のない事業部。この組織改革案を、7年前の係長昇格論文で書き、会社へ提出していた。79年11月、入社14年目にして念願の営業部門へ異動し、東京支社食品販売部の冷食課で販売担当係長となったときだ。経営企画部門にいた同期生も賛成してくれたが、改革案は長らく日の目をみず、書架の奥に眠る。

冷食課は、ホームパーティー用のオードブル、おせち料理、フグの粕漬けなどの冷凍品を、販売店を通じて宅配していた。着任し、東京・二子玉川にあった冷凍倉庫をのぞいてみると、在庫の山に遭遇する。高級な品が多かったこともあり、売れ残りが膨らんでいた。そこへ、さらに新製品が運び込まれ、一部がそのまま「在庫」になっていく。

「何で、こんなに霜がかかった在庫品があるのか?」と尋ねると、「いや、処分して損失を出すと、上から怒られるからだ」と答える。冷凍食品は長く保存がきくので、損失を出さないために廃棄処分にせず、積み上げていたのだ。でも、それでは含み損を抱えるのと同じ。「いくら保存剤なしで長く置けるといっても、あまり長くなれば、やはり味が落ちるだろう」と思い、一気に1億5000万円分の在庫を処分させた。

上司には、相談しない。若いときから「上を使って半人前、下を使って半人前。両方合わせて一人前」というのが、モットーだ。在庫の管理体制も変え、2年余りで大阪へ転勤する。だが、関西勤務を終えて東京支社の販促課長へ戻ると、冷凍食品部門の意識改革は遅れていた。

1年余りして本社冷食課長になったとき、胸中にあった事業部制の実現へ動き出す。部内を説得、社長に「ぜひ一度、やらせてみてほしい」と訴え、ついに認められる。当時、冷凍食品は業界で10位ぐらい、市場シェアは約3%しかなかった。だから、撤退という選択肢もあった。でも、「いい商品を開発し、生産や物流を効率化すれば、何とかなるはずだ」と思う。そこで、仕事が終わると、よく部下たちを連れて食べに出た。元来、食べたり飲んだりするのが大好きだが、このときの狙いは「新商品のアイデア探し」だ。

バブル期を迎え、消費者は、次々に新しいものを求めていた。「食」の主導権が、男性から女性へと移行した時代でもある。そうした変化のなかにも、何か方向性はあるはず。冷凍の食品に抵抗感があまりない若い女性たちは、中華の点心やイタリアンが好きだ。いろいろ考えて、中華料理店に始まり、ピザ屋やイタリアンレストランなどを、部下たちと巡る。そこから、ピザやグラタン、ドリアなどのヒット商品が出る。

いまでも忘れないほど手応えがあったのはラザーニャ。1個200円台を中心とする冷凍食品のなかで、高めの300円台にしたが、よく売れた。ラザーニャは、パスタやソース類を何層にも重ねてオーブンで焼くだけに、手がかかり、家庭では敬遠しがち。だからこそ、簡単に調理できる冷凍食品に向く。外出も増え、食事の支度に時間をかけられなくなった主婦たちも、手軽にできるなら買ってくれるはず。消費者の生活スタイルの変化に対応し、そのニーズを受け止めた着想だった。

もちろん、新商品にはハズレもある。でも、うまくいかないときはさっと退き、部下たちを新たな目標へ向かわせる。当時の部下の一人が、振り返る。「浅野課長は、個々の部下の実績や経験、人柄を考え、一人ひとりに任務を書いて渡してくれた。全体が不揃いにならないように方向性だけ説明し、あとは自分たちに考えさせる。開発予算が足りなければ、販売部門から引き出して、『何に使ってもいいから、思い切ってやってみろ』と言ってくれた」

事業部が動き出すと、赤字は減っていき、次長から部長と昇格していく間に、ついに黒字化を達成する。

「兵形象水。水之行、避高而趨下」(兵の形は水に象る。水の行くは、高きを避けて下きに趨く)――戦いにおける部隊の動きは、水の流れに喩えるとよい。水は高いところを避けて、低いところへ向かうものだ、との意味で、中国の『孫子』にある言葉だ。水は巨大なエネルギーを秘めていても、形は自由自在に変化する。戦いも、刻々と変化する状況に応じて戦略を立てていくことが重要だ、と説く。消費者の嗜好や市場の変化に応じた目標設定と布陣をとる浅野流は、この教えに重なる。

■研究所へは週1回 新商品は必ず試食

冷凍食品は、新商品が業界で年間に100種類も200種類も出る。明治も10種類は出す。量販店での場所とりも激しく、消費者の舌も厳しい。でも、ちょっとした工夫で、大きな差が出る。商品開発では、その「他社より半歩先」くらいの違いを出すことが、大事だ。二歩も三歩も先をいくようなものは、突出しすぎで、市場の多くに受け入れてもらえない。味でも使いやすさでも、他の商品と「ちょっと違う」というのが肝要だ。そのためには、お客の声をきちんとつかむことだ。そう確信した40代。その経験を、明治乳業の社長に就任し、社内報で述べた所信で、冒頭部分に書く。

社内の最先端技術を活用するために、よく、東京・東村山にあった研究所へ通った。月1回だった開発会議を週1一回に増やすと、研究所の面々も張り切った。市場や業界の情報を出すと、技術者たちがいろいろな案を出してくれる。離れた本社から研究所にお願いしても、じかにやり合う濃密さには追いつかない。とくに、「味」は実際に口にしてみないと、わからない世界だ。

研究所はその後、神奈川県・小田原へ移った。だが、社長になってからも、研究所の発表会や報告会には欠かさずにいく。メーカーだから、基になる技術をちゃんと知っておかないと、トップとして失格だ。明治製菓と経営統合するまでの8年間、新商品は、すべて試食した。統合後は、埼玉県・坂戸にある明治製菓の研究所にも足を向け、お菓子も試食した。あまり決定的な感想を言ってしまうと、開発陣が萎縮しかねないので、「前の品と比べて、どこがよくなったの?」と言う程度に抑えてはいる。研究所訪問は、持ち株会社の社長になっても続ける。

製菓と乳業の技術を融合すると、面白い商品が次々に生まれる。3月に常温管理のお菓子とアイスの双方で売り出したチョコ風味の「クリスピーズ」は、代表例だ。製菓のチョコレートづくりと乳業のアイスクリームづくりの技術を生かし、5月に稼働した関西アイスクリーム工場で生まれたのが「チョコレートアイスクリームバー」。そんな統合の成果に勢いをつけるため、2つの研究所を管轄する研究本部も合体させた。

デフレの長期化、原材料価格の高騰、少子高齢化に伴う需要減など、「2020年に食品事業の売上高1兆3000億円、営業利益率5%」とした長期経営計画へのハードルは高い。差別化を進める研究開発に、もっと力を入れなければならない。

でも、冷凍食品は添加物も入れてなく、「安心・安全」の信頼度が高いから、いまの時代に需要は拡大するはずだ。スーパーと連携し、高齢者や単身世帯向けに少量の冷凍グラタンを100円で売り出したら、手応えがある。ご飯や麺類も冷凍に適しているから、高齢化社会で、小分け品が喜ばれるだろう。ここでも、時代の変化に応じた戦略と布陣が不可欠だ。「兵形象水」で攻めなければ、勝ち抜くことはできない。

(経済ジャーナリスト 街風隆雄 撮影=門間新弥)