経営の神様 松下幸之助の信念・哲学に学ぶ【2】

いまなお、経営者・ビジネスマンたちから絶大な支持を受け、その言葉がいまも生きる松下幸之助。このほど『松下幸之助に学ぶ経営学』を上梓した学界の重鎮、甲南大学特別客員教授 加護野忠男氏が、「経営の神様」と称えられる巨人の信念と哲学を語り尽くす。

Q いまだ松下幸之助氏が注目を集めるのは、幸之助氏に匹敵する名リーダーが出てきていないことの裏返しに思えます。その原因はどこにあるのでしょう?

【加護野】リーダーの手足を縛っているのは、アカウンタビリティ(説明責任)でしょう。本当に大事な意思決定をするときの気持ちは、人に言葉で伝えられるものではない。それを説明しろと言われたら、経営者は意思決定できなくなります。

GM副社長だったデロリアン氏の内部告発をまとめた『晴れた日にはGMが見える』(J・パトリック・ライト著)に、こんなエピソードが載っていました。ある役員の提案に対して当時のスミス会長が「その提案はリスクが大きいので、特別のタスクフォースをつくってアセスメントをしてから意思決定しよう」と答えたそうです。しかし実は3回前の役員会でも同じ提案があり、今回はそのときの提案のアセスメントの報告だったとか。結局、将来に関することはいくら調べても確実なことは言えません。にもかかわらず経営者に高いレベルで説明責任を課せば、意思決定を避けるようになるのはあたりまえ。まさにアカウンタビリティが企業を殺しリーダーの手足を縛っているのです。

本当は大事な意思決定に説明なんて要らないと思います。野村証券を世界有数の証券会社に育てた田淵節也さんは、部下より上司のほうが若い部署をたくさんつくりドラスティックな改革を行いました。なぜ急いで世代交代したのかと問われて、田淵さんは「若いことはいいことじゃないですか」と答えました。実はこれはトートロジー(同義語反復)で、何の説明にもなっていない。しかし、こうした決断を思い切ってするからこそ経営者は経営者たりうるのです。

誤解なきように言っておきますが、論理的に説明する力が無駄だという意味ではないですよ。関西学院大学のビジネススクールで教鞭をとっておられる小高久仁子准教授は、外資系企業のアシスタントブランドマネジャー時代、「I think」「I guess」という言葉をけっして使わなかったと言います。アシスタントブランドマネジャーには、憶測を交えるのではなく客観的データに基づいて論理的に語る力のみ求められているわけです。しかし、データがいくらあろうと自分の直感はこれだと強く主張できる人でなければ、それより上のポジションにはいけない。MBAなどでトレーニングされるロジカルな思考は最低限身につけなくてはいけないものですが、リーダーには、さらにその上のレベルで直感力が求められるということです。そもそも直感は、ロジックによる意思決定を繰り返す過程で磨かれるもの。いくらロジカルにやっても、失敗することが多々あります。そうした失敗を積み重ねる中で直感力が培われることを忘れないでほしいです。

意思決定において、もう1つ大事なことは、自分が下した意思決定を貫くこと。神戸大学の平野恭平准教授が繊維産業で天然繊維から合成繊維に進出した企業の歴史を調べたところ、成功企業と失敗企業は、選んだ繊維の種類によって決まったのではないそうです。では何が明暗を分けたのか。それはある繊維を選んだ後、どれくらいそれに固執して頑張ったか、でした。

極論すれば、リーダーの意思決定に先見性は必要ありません。むしろ大切なのは、意思決定の後、その決断をどれだけ信じ込めるかです。わかりやすいのはメーカーの投資競争です。技術的に大差はなく、論理的にはどちらの選択もありうる状況の中、最終的に生き残ることができるのは、自社の意思決定を信じて投資し続けたメーカーです。幸之助さんは「必ず成功する方法はある。成功するまで諦めないことだ」と言いましたが、まさに意思決定を貫くことで道が拓けるのです。

では、どうすればリーダーは己の意思決定を貫けるのか。欠かせないのは周囲からのコンフィデンス(信頼)でしょう。単純な話で、この人の考えることは正しいとみんなが思ってくれたら、リーダーは一層自信を持って頑張れます。もう1つ大事なのは私心がないこと。この意思決定によって私腹を肥やそうとか、有名になってやろうという気持ちが見えるリーダーには誰もついていかない。最初の話に戻りますが、社会貢献を目的に掲げるリーダーが成功するのも、私心がなく周囲から信任を得やすいからだと思います。

成功するまで意思決定を貫ける環境を整えておくことも大切です。幸之助さんは「ダム経営」というスローガンを掲げて、利益を株主に配当するより会社の中に留保することを重視しました。これは短期的な利益に左右されることなく重要な意思決定を貫くためです。その精神は不変なのでしょう。2005年に松下電器は、不具合を起こしたファンヒーターと同時期に出荷したものをすべて回収するという意思決定を行いました。CMもすべて回収のための社告に替えて、しかも長期にわたって放映しました。それが可能だったのは、会社に十分な蓄えがあったから。リーダーシップを発揮して信じたことを貫くためには、それができるだけの経営体としての体力も必要なのです。

Q いま日本にこれらの条件を満たすリーダーはいるのでしょうか。

【加護野】私は期待していいと思います。日本型経営の評判が悪かった1990年代後半に、ある韓国人経営者は「日本の製品には品格があるが、韓国の製品にはない」と言った。真意を尋ねたら、「日本の製品は目に見えないところもきれいだが、韓国製品はそうではない。目に見えるところだけきれいにするのは合理的だが、それが韓国の限界でもある」と説明してくれました。たしかにそのとおりで、合理的に考えれば見向きもされないところに日本企業は力を注いできました。その蓄積によって品質が向上したりイノベーションが生まれ、それが日本企業の強みになっていた。

いまの日本に必要なのは、合理的判断に潜む限界に気づいて、長期的視野を持って確固たる意思決定をするリーダー。幸い幸之助さん以降も、そうしたリーダーはたくさんいます。例えばシャープの片山幹雄社長は、基幹工場である亀山工場の一部を中国に売却して、技術指導までするという決断をした。100年に1度の経済危機において、片山社長は急場しのぎではなく、それこそ100年に1度レベルの意思決定をしたわけです。ほかにもテルモの和地孝会長、シスメックスの家次恒社長、先に名前をあげたJFEの數土相談役など、優れたリーダーをあげれば枚挙にいとまがありません。株主重視で短期的な利益ばかり追いかけることに多くの人が疲れ始めたいま、こうしたリーダーは今後も続々と出てくるのではないでしょうか。

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甲南大学特別客員教授 加護野忠男
1947年、大阪府生まれ。70年、神戸大学経営学部卒業。75年、同大学大学院博士課程修了。79年から80年までハーバード・ビジネス・スクール留学。専攻は、経営戦略論、経営組織論。近著に『松下幸之助に学ぶ経営学』など。

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(甲南大学特別客員教授 加護野忠男 構成=村上 敬 撮影=浮田輝雄)