世界旅行の達人にインタビュー




「タビフーフさん」というご夫婦がおられます。一筆書きで世界1周の旅をしようと志し、現在までに94カ国、6つの地域、389の町に滞在。しかも移動はすべて陸路と海路です。旅自体は現在中断中ですが、これほどの世界旅行を経験している人はほかにいないでしょう。



タビフーフさんにお話を伺いました。



――ご夫婦でずいぶん旅をされていますが、「ひと筆描きで旅行!」を思い立った動機を教えてください。また、旅を始めた時は何歳でしたか?



妻 日本を出発したのは私が28歳、夫が26歳の時です。



私たちは旅行当時「一筆書きのルートで旅をする」「飛行機を使わずに旅をする」という2つのルールを自分たちに課していました。



出発前から「ただ旅をしてもつまらない。どうせなら何かテーマを持たなくちゃ」とは思っていました。当初は「世界中の郵便ポストの写真を撮る」とか「公衆電話の写真を撮る」「ガソリンスタンドの写真を撮る」「ビールのラベルを集める」など、やってはみたんですが、もともとポストにもガススタにも興味ないし、やっていて、どうも自分自身のモチベーションが上がらない。



ラベル収集家なんていっぱいいますしね。



そんな調子でテーマが決まらないまま最初の3カ月が過ぎた時、ふと自分たちの足跡を見て、「あ、きれいな一筆書きだな」と。じゃあそれをテーマにしちゃおう、と割と適当に決めました。



飛行機を使わないことにこだわり出したのは、もっとずっと後。ユーラシア大陸を横断してポルトガル岬に立った時からです。日本からここまで、ずっと地べたを這ってきたのだと思ったら、ものすごく感動しまして。このままできるだけ飛ばずに行こうと思いました。



その時点で、日本を出発してから3年2カ月経っていました。



*……一筆書き旅行のルールについては以下を参照のこと。

http://www.tabifufu.jp/rule.html





――一筆描き旅行のメリットは何でしょうか



妻 一筆書きのメリットといえば、同じ場所を何度も通らずに済むこと。常に新しい地を求めるのは、これはもう旅人の本能のようなもので、それが満たされること。ほかにもいろいろあります。



現地の人たちとも常に一期一会で、出会いをより大切にできること。通常なら旅人が使わないルートや迂回を余儀なくされるおかげで、すてきな場所や素晴らしい人との、予期せぬ出会いが得られること。国境の開閉状況や交通路に関する事前研究が欠かせないので、旅の物知り博士になれること。





そして、やりがいがあること。超マイナーな国境を突破した時、びっくりするような航路を見つけた時、よっしゃキタ〜〜〜〜〜〜!! とカイカンを得られます。何カ月も調べ続けて、やっとアフリカから南米までの貨客船航路を発見した時、それから南極へ一筆書きで訪れることのできる航路を見つけた時は、興奮で体が震えました!



一筆書きの旅は、くだらない割にはとてもハードなので、決して誰も真似しません。なので、ライバルがいない点もありがたいです(笑)。



――現在までに何カ国を回られましたか? それに要した時間はどれぐらいになるでしょうか?



夫 5年8カ月かけて、94カ国と6地域を訪れました。南米で妻の妊娠が発覚して帰国しました。今は旅を中断して、日本で子育て中です。



――大変に下世話な話で恐縮ですが、旅行代金はどれぐらいかかったのでしょうか。捻出(ねんしゅつ)するのは大変ではなかったでしょうか?



妻 旅行費用自体は「2人で1日(平均)5,000円以内」と予算を決めていましたが、実際にはそこまでかかっていません。物価の安い国だと、安宿に一泊して200円、食事は屋台で済ませて一食30円とかね。あまりお金かからないんです。





逆にヨーロッパは私たちにとっては物価が高すぎたので、のんびりせずに短期間で駆け抜けました。「老後にまたゆっくり来よう」と(笑)。



旅行自体にかかった費用のほかに、装備の補充や旅行保険でもまとまった出費がありました。全体的には、普通皆みなさんがマンションの頭金にする程度の金額を、旅行につぎ込んだという感じです。



出発前は東京で、主人は自営業を営み、私も働いていました。2人とも朝から晩まで仕事詰めで、趣味もなく、狭いワンルームで小さくなって暮らしていましたので、年齢の割には貯金があったかもしれません。あとは、自分たちの勉強のために為替や株を運用していたので、旅行中も微々たるものですが収入がありました。





――旅行に出掛けている間、仕事はどうされたのでしょうか?



妻 無職でした。



――最も楽しかった国、印象深かった国、あるいは場所はどこですか? 面白い話があったら教えてください。



夫 自分たちの中で、それまで持っていた価値観が根底からドカーンと覆されてしまった、強烈に印象深い国(地域)があるのですが、不思議なことにそれが2人とも全く同じ3カ所、「中国」「インド」「アフリカ中西部」なんです。





どの場所も、現地にいる間は苦労したり、あまりの衝撃から精神的に参ることもありましたが、通り過ぎてみると「楽しかったな、いい経験をしたな」と。



妻 中国では、ゴミとか排せつ物とか、普段私たちが自分の生活から遠ざけているようなものと、すごく距離が近いんですよね。路上でのゴミのポイ捨てや痰吐きはもちろん、デパートの踊り場で子どもにオシッコさせているお母さんがいたり。



長距離バスの中で立ちションする大人もいる。



汚いと言えばそれまでですけど、要はそういう価値観なんじゃないかな。人間は生物なんだから、生きてりゃゴミも出るし、食えばウンコも出るだろ、当たり前だろ、っていう。開き直っているというか、達観しているというか(笑)。





個室の仕切りがない、大勢が並んでする「ニイハオトイレ」は有名ですが、それも「飯だって一緒に食っているんだから、一緒にウンコして何がおかしいの」と言われれば、まあそれもそうかなと(笑)。



夫 僕らが田舎の食堂で行ったトイレは、床板に穴がいくつかすいていて、そこから「する」んですけど、穴の向こうは野外になっていて、豚が何匹も飼われているんです。で、誰かが「する」と、下で待っていた豚が大喜びでそれを食べる。





豚って人糞を好んで食べるんですよ。それで、自分の足の間から床下でごちそうを楽しむ豚家族を見ながら、「ああ、僕らが今さっき食べてきたホイコウロウは、こうやって育ったわけだ……」と知るわけです。その時はもう中国にかなり慣れていたころだったので、特に驚きもしませんでしたが。





妻 インドでもゴミやトイレの問題はありましたが、それ以外にも、やはり普段私たちがなるべく自分たちの目に触れないようにしているものが、すごく身近でした。それは死であったり、死にひんする人だったり、遺体だったり。





亡くなった方をガンジス川に流す習慣は有名ですが、私たちも実際、浮橋にひっかかっているご遺体を見ましたし、ホームレスの方が路上で亡くなっていたこともありました。



またある時、無性に唐揚げが食べたくなって、市場に鶏肉を買いに行ったのですが、生きたニワトリが並んでいるのを指さして「これちょうだい」と買うんです。そうすると目の前で、ナタで首をはねて、羽をはいで「はいどうぞ」と。



普段から感謝して食事するように心がけているつもりですが、やはり実感として、自分は何かの命をいただいて生きているということが心に焼きつきました。もちろんその鶏は、ありがたく、隅から隅までいただきました。



使い古された表現ですが、インドはあまりにも「カオス」で、結局半年近く滞在したけれど、インドのことはいまだに全くわからない。ただ生活と死がものすごく近いところにあるような気がしました。ヒンドゥーの宗教観に基づいているものかもしれません。





夫 アフリカのある国では、飢えている子どもたちに出会いました。言葉にすると一言で終わってしまいますが、これは大変な衝撃で、しばらくは夫婦の間でも会話にならないほどショックを受けました。



例えば、一家族に食事が一人分しか与えられなかったとしますよね。日本でもどこの先進国でも、まず子どもたちに食べさせて大人は我慢すると思います。弱い者を守るべき、それは世界どこであっても共通の価値観だと思っていました。



でもその国では、もしも一人分しかない時は、大人が、一番強い大人の男が、それを食べるのだそうです。最初僕らはそれを「野蛮な考え」だととらえていました。



しかし地元の方や、現地でボランティアをしている欧米人に話を聞き、その辺りでは貧困が深刻で、食料を勝ち得なければ生き残っていけないこと。だからもし子どもが食べ、大人が死んでしまえば、残された子どもは結局、生存競争に勝てず死んでしまうこと。



だからなんとしても大人、しかも一番強い大人が生き残り、一人でも多くの子どもを守り育てなければ、全員が死んでしまうのだと知りました。



何も知らずに彼らの価値観を「野蛮な考え」ととらえた自分たちが、いかに無知で、いかに恵まれたところで育ってきたかを知りましたし、生きるということに対しての「甘さ」を痛感しました。僕らだけではなく、多くの先進国の人たちは、生きるということの厳しさを、本当の意味では何も知らないんだと思いました。





妻 その3カ所以外には、中東も印象深いです。日本では「怖い」「治安が悪い」と思われがちな中東諸国ですが、とにかく人がみな親切で暖かいことに、まず驚きました。露天でお茶を飲んで、支払いをしようとしたら「さっきのお客が君らの分も払っていったよ」と。



中東ではそういう、まるでドラマみたいなことが実際に何度かありました。



そして、やはり宗教への向き合い方には大きな衝撃を受けましたし、自分が日本で育つなかで知らず知らずのうちに、仏教や儒教、神道の影響を受けていたことにも気づきました。



――最も苦しかった時、国、場所はどこですか? それにまつわるエピソードを教えください。



夫 アフリカ中西部での移動はとても辛かったです。1日に車が2〜3台しか通らない道で3日間ヒッチハイクしたり。天井の低いトラックの荷台で、首を曲げたままの姿勢で12時間揺られたり。荷台での移動は当たり前、車の故障も日常茶飯事。



サハラ砂漠の直射日光下で何時間も修理を待ったこともあります。

国境越えの際に役人にわいろを要求されて、拒否したらパスポートを隠されてしまったこともありました。



妻 そういうこともすべて含めて、アフリカ中西部はとてもエキサイティングで楽しかったのですが、体力的にやはり厳しかったんでしょうね、夫はそのころ、体重が48kgにまで落ちました。



――最もガッカリした国、場所はありますか。



妻 中東にシリアという国があります。今現在は激しい内戦で連日のようにニュースになっていますが、私たちが訪れたころは平和で、とにかく人々が親切だと旅人の間ではとても評判の良い国でした。



私自身、素朴で優しい人たちとの出会いがあり、素晴らしい体験をしましたので、いつか必ず再訪したい大好きな国のひとつなのですが、ただひとつ、毎日街を歩くたびに、東洋人差別の意味がある「チンチョンチュン」という言葉を何十回もかけられたこと、これだけは本当にしんどかったです。





実際、世界中どこに行っても東洋人に対する差別はあって、特に中東やアフリカでは、差別用語を投げかけられるのは珍しいことではないんですが、ちょうどシリアを旅していたころはそういうことに一番過敏になっていた時期で、精神的にかなり凹みました。





夫 僕は正直、ヨーロッパはとてもつまらなかったです。特に西欧。それまでアジアや中東を旅して、強烈な経験ばかりしてきたせいか、刺激がないように感じてしまいました。東欧はまだ、旧共産圏独特のにおいというか……そういうものが残っていて、「へぇ!」と思うような出来事もいっぱいあったのですが、西欧に入って、建物や風景は確かに美しいけれど、社会のシステムがしっかり機能していて、さすが先進国というか、さすが資本主義というか。



根本的なところで日本と大差ないように感じてしまいました。



地元の人たちとのかかわりが少なかったせいもあるかもしれません。ほかの地域では、僕らが歩いているだけで周りに人だかりができたり、出会っていきなり「君の信じる宗教はなんだ?」など突っ込んだ会話になったりするのが当たり前でしたが、ヨーロッパの人たちは日本人と同様、一定の距離を置いて接してくれますので、ありがたい半面、通りすがり旅行者が入り込むのはなかなか難しいところがありました。





――ご飯はどこの国の何が美味しかったですか?



夫 中国の西紅柿炒蛋(トマトと卵の炒め物)、南インドの赤バナナ、ブルガリアのショプスカサラダ、モーリタニアのクスクス、アルゼンチンのビフェ・デ・チョリソー(サーロインステーキ)。



妻 おいしいものはいろいろありましたが、一番はやっぱり、日本から送ってもらう米とのりで作ったおむすび(笑)。



――最も美しいなと思った国、場所はどこでしたか?



夫 チェコのプラハ。もともと美しい街ですが、僕たちが訪れた春には、日本が植林したという数百本の桜の木が満開で。僕は歴史的な建物や街並みにあまり興味が持てない方なのですが、プラハだけは印象に残っています。





妻 南極も忘れ難い美しさでしたが、一番はやはり、南米ボリビアのウユニ塩湖かな。



――最も面白かった経験を教えてください。



妻 アフリカのガンビアという国で、移動中のことです。アフリカのバスはボロなので当然のように雨漏りするのですが、その日は晴れていたにも関わらず、ちょうど私の頭に生温かい液体がじょぼーっと……バスの屋根の上に積まれていた家畜の豚(ここでもまた豚!)がオシッコしてたんです。



豚のオシッコって信じられないほど臭いんですよ!「誰の豚じゃー!」と怒鳴る私に、ほかの乗客はみんなゲラゲラ。1人だけ目をそらしたおじさんが飼い主でした。



夫 モーリタニアという国でサハラ砂漠ど真ん中にあるオアシスを訪れたのですが、真夏だったこともあり、日中は日陰でも50℃を超えるほどの暑さ。体の水分が蒸発してしまうのか、意識してトイレに行かないと、小便するのも忘れてしまうんですね。



当然電気は通ってないので、エアコンも扇風機も冷蔵庫もない。夜も40℃を下回ることはなく、あまりの暑さに僕らは、井戸水でぬらしたタオルを体にかけてびしょぬれで寝ていましたが、地元の方々は「夜は涼しいだろ?」なんて言っていましたね。



――命の危機を感じたことはありましたか?



夫 アフリカ南部のナミビアという国でレンタカーを借りたんですが、ナミブ砂漠を走行中、タイヤを砂にとられて横転事故を起こしてしまいました。幸い2人ともけがはなく、砂漠の横断道路まで歩いて車が通るのを待ったのですが、実際に救助されるまでの丸1日は、飲み水がなくなっていく恐怖との戦いでした。





翌日になって、偶然通りかかったレンジャーに助けてもらったのですが、野生動物も多い地域だったので、「もし事故で血が流れていたら、君たちは今ごろあの世だった」と言われました。



妻 アフリカのコンゴ共和国で、私たちが乗った夜行列車が、反政府勢力が統治するエリアを通ったようなんです。朝気づいたら12歳〜17歳くらいの銃で武装した少年兵10人以上に寝顔をのぞきこまれていて。人生であんなに驚いた寝起きはほかにありません(笑)。





単に外国人が珍しかっただけのようで「名前教えて!」「連絡先を交換しよう!」なんて、とてもかわいらしいゲリラ君たちだったんですが、隣の座席で寝たふりを続けていた夫が「気をつけろ、この年代のガキが一番危ない」とぼそっとつぶやいた時、「そりゃそうだな」と。



急に恐ろしくなりました。



――みんなにお薦めしたい、国、場所、宿などがあったら教えてください。



妻 1カ国だけ挙げるなら、やっぱりインドかな。



――多くの国をご覧になっていると思いますが、外から見ると日本はどのように見えますか?



妻 よく「一番好きな国は?」と聞かれることがありますが、質問されている方の意図に反して、いつも「日本」と答えています(笑)。旅の経験から多くの財産を得ましたが、その1つが「日本への誇り」「日本を愛する心」だと思ってます。





例えば、雨の日に細い路地で誰かとすれ違う時、互いに傘をすぼめたり、外側に傾けたりしますよね。これは相手の体が傘のしずくでぬれないように思いやっての行動ですが、こういう、見ず知らずの相手にも当たり前のように心を配ることができるのは、日本人だけです。





私たちは世界中のホステルで、あらゆる国の旅行者たちとバスルームやキッチンを共有してきましたけど、自分が使い終わった後をきれいに片づけるのは、やはり日本人が一番。



ある安宿の従業員は、チェックアウトした部屋を掃除する際「日本人が泊まっていた部屋はすぐわかる、だってすでにキレイなんだもの」と笑顔で教えてくれました。次に使う人のこと、掃除する人のこと。目に見えない相手を思いやることを、日本人は子どものうちから、自然に身につけていますよね。





また私たちは、戦争や内戦のあった国々も多数訪れていますが、戦後20年以上たっていても、街のあちらこちらに砲撃の跡が残っていたり、「あの戦争の前は良かった……」などとクダをまきながら昼間から酒浸りになっているような人たちが大勢いました。





日本は大空襲で焼け野原になった東京で、終戦後たった19年でオリンピックを開催していますけど、これがどれほど驚くべきことか、各地で戦争のつめ跡に触れて初めて知りました。悲嘆にくれる暇があれば、前を見て、日々全力で働く。



そういう精神をもった日本人だからこそ、成し遂げられたのだと思います。



旅行中は世界のあらゆる地域、特に西アジアや中東で、多くの方に「日本が大好きだ」「日本を尊敬している」と声をかけられました。過去に大きな戦争に負け、原爆を2つも落とされながら、なぜ世界有数の経済大国になれたのか。





大きな地震が次々と起こるのに、なぜ建物がほとんど倒壊しないのか。日本の車や電化製品はなぜ壊れないのか。「奇跡の国だ」と言う方もいました。

近隣のいくつかの国を除けば、世界中が日本をとても評価してくれているし、信頼してくれています。



「日本は遅れている」「日本のここが悪い」という話が好きな、自称国際派の方がたまにいますけど、そういう人はたいていヨーロッパとアメリカしか見ていないですから!



――お2人にとって「旅」とは何ですか?



夫・妻 「気づき」です。日常のなかで当たり前すぎて「気づけないこと」に気づくチャンス。





――次に行くとしたらどこに行きたいですか。また再度訪問したいところがあったらお教えください。



妻 まだ旅の途中だと思っているので……。今、世界3/4周くらいで中断しているので、子どもたちがもう少し大きくなったら、取りあえず旅の続きを完結させて。それから、まだ訪れたことのない場所にはもちろん、前回訪れた場所にも再度訪問していきたいです。



「もう行かないでいいや」というところは1つもないのです。



夫 あ、でも、首を曲げたままの12時間はもう2度と嫌だよね。



――最後に、海外を旅する人に何かアドバイスがありましたらぜひ。



妻 泥棒や引ったくりなどの被害を避けるために、しっかりと動きやすい靴で旅をすることをお勧めします。ビーチサンダルやヒールの人は狙われやすいので。



夫 S字フックを持っていくとなにかと便利です(笑)。



「旅とは気づき」であると。達人の言葉はさすがに重みがあります。あなたも旅に出たくなりませんか?





↑アフリカ、ナミビアで横転事故を起こした際の写真。



*……写真提供はすべてタビフーフさん。





(高橋モータース@dcp)



タビフーフさんのサイト

http://www.tabifufu.jp/