「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」で作成された展示物。

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■国境なき医師団に参加したい

震災前まで「ぐらぐらした夢だけ」があった男乕美歩さん(気仙沼女子高3年生)。すなわち、震災がきっかけになって、やりたい仕事が固まった。

「看護師さんです。人のために役立つ仕事に就きたいと思って、すぐに浮かんだのが看護師で。もし自分が看護師で、周りが被災地で、自分がそこに行ったら、少しでもみんなに安心感をもたらすことができるんじゃないかなって思ったんです。恐怖と不安の中で、『この中にお医者さんはいませんか』みたいな時に、『看護師です、います』って言われると、自分だったらちょっと安心するなと思って」

取材は9月。その後、3年生の男乕さんは、仙台の看護系短期大学への推薦入学を決めた。

「最近できたんです。パンフレットを見て、先生にも勧められて。設備が超きれい(笑)。就職率や国家資格取る率とかも高くて。ふつう、新設の学校だと国家資格取るのは、平均70%くらいらしいんですけど、そこは90%くらいだったので、すごいなと思って。そこで看護を学んで、できたらなんですけど、日本のことも伝えつつ、世界のことも学びたいなと思っているので、看護師の資格を取ったら留学したいなと思って」

留学したいと考えたきっかけは、「TOMODACHI〜」で出合った大人たちだった。

「できれば、国境なき医師団とかに参加したいなと思っていて。震災の時に外国の看護師さんを見たわけじゃないんですけど。今回アメリカに行って、アメリカで働いている日本人の看護師さんと話す機会があって。『日本と違うところはあるんですか』って聞いたんですよ。日本はお医者さんが患者さんを診て、看護師に『こうしてください』って指示出すじゃないですか。でもアメリカでは、看護師が診て、それをお医者さんに伝えて『こうしたほうがいい』って言うらしくて。それ聞いてびっくりして、面白いなと。じゃあ、ほかの国はまた違うのかなと思って、そういうこと知りたいと思いました」

国境なき医師団(MSF:Medecins Sans Frontieres)は、1971年にフランスの医師・ジャーナリストが中心となって発足した緊急支援型NGOだ。全世界で約6500人の医師・看護師が活動している。本部はなく、世界19カ国の独立した事務局が連携する組織形態を取っている。日本事務局は1992(平成4)年に開設。MSFの医師・看護師は「応募直前の2年以上、臨床または実務経験に空白がないことが条件」であり、「原則として英語、フランス語のいずれかで支障なく業務ができるレベル」(国境なき医師団日本事務局ウエブサイトより)が求められる。MSFにとって初の先進国での出動となった東日本大震災では、翌日にヘリで被災地入り。気仙沼市や宮城県南三陸町などで活動した。岩手県宮古市田老町では、仮設診療所を丸ごとつくって市に寄贈している。

男乕さん、国境なき医師団の人に会えたら、どんなことを聞きたいですか。

「仕事が大変だというのは、なんとなくわかるんですけど、実際にどういうことが大変なのかというのを知りたいなと。もし自分が危ないところに行って、もし死にそうになった場合は、どういうふうにするのがベストなのか。逃げるのがベストなのか、それとも患者さんを見殺しにしないで、自分も一緒にいたほうがいいのか。今はまだ『大変そうだな』ぐらいでわたしの知っていることがストップしていて、そういう現実的なことを聞いたことがないので、それを聞いてみたいです」

■踏み台になりたい

阿部愛里(あべ・あいり)さんは、宮城県気仙沼西高校(福祉科)2年生。将来何屋になりたいか。震災から9月の取材まで、そして取材からの3カ月間で、阿部さんの思いはちょうど一周して原点に戻るようなかたちになっていた。

「高校入りたてのときぐらいまでは、和太鼓のプロになりたかったんです。4歳のころ『気仙沼みなとまつり』で見た太鼓がかっこよくて、自分もやってみたいと思ったことから始めました。世界中回って、言葉じゃなくて音楽を通して人と関わりたいなと思ってたんですけど、震災になってから、いろいろほんとに考えて、ほんとにこれでいいのかなとか考えて。自分の親の仕事がなくなったりとかもして、そういうのもあったんで」

阿部さんのお父さんは自動車保険関係の仕事。気仙沼の観光コンベンションで働いていたお母さんは、震災後しばらくの間、仕事を失った。

「将来の夢は、世界中の子供達に夢を与えて、それを叶えるための踏み台になるのが夢なんです。職業は、人生生きる中でひとつじゃないと思ってて、だからこれっていう職業はまだ明確にはないんですけど、やりたいことというのがいっぱいあって、そのやりたいことというのは好きなことだから、それを突き詰めていけば仕事になるかなっていうふうに考えてて」

踏み台、という表現が気になります。高いところにある物をだれかが取るときに、床に四つん這いになって踏まれてるような語感があるのですが。

「いや、そういうんじゃなくて……ジャンプする、そのバネになりたいなって」

ここで横で聞いていた男乕さんが助け船を出してくれた。「ロイター板?」。跳び箱の前に置いてあるあの弾む板だ。

「そう、そういうかんじ。何か超えるために踏むもの。そういうのになりたい」

阿部さん自身の"踏み台"になった人っているんですか。

「います。中学1年の時にベトナムで出合ったキャビンアテンダント(CA)の方です。和太鼓の海外公演でベトナムに行ったんです。そのときに、ベトナム戦争で枯葉剤の被害を二世、三世と受け続けている子どもたちに会って、すごくショックで。戦争終わって何十年も経ってるのに、まだ続いてる。知ってしまったから、自分も何かしなきゃいけないなと思って。太鼓を叩いたら、すごい喜んでくれて、元気が出たとか言ってもらえたのが、すごく嬉しくて、自分のやってることが、小さいことでもそう思ってくれたらすごく嬉しいなと思ってて。
そのときに、『演奏聴いて、感動して涙が止まらなかった。勇気をもらえた』と言ってくれたCAの方。CAの仕事がうまくいっていなくて『もう辞めてしまおう』と思っていたときに、友だちに誘われて観にきた公演でわたしたちの演奏を聴いて『わたしも頑張ろう』って。この方とは今でもメールを通じて交流があります。いまでは、後輩が何人もできるほど出世したそうです。この方に会って、世界中の子どもたちの夢を叶えるための踏み台になりたいというわたしの夢が生まれたので、この出来事が、わたしの踏み台になったのではないかと」

なるほど、”踏み台”の語感がわかってきました。では、具体的な仕事の話を聞かせてください。学校を卒業した後、阿部さんはお金をどういう方法で稼ごうと思っていますか。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)