A/Bテストがビジネスルールを変えていく(あるいは、ぼくらの人生すらも?)

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ダン・シロカーの仕事は、企業がささやかな真実を見つける手助けをすることだ。だが彼の物語はひとつの嘘から始まった。 



2007年11月、当時民主党の大統領候補だったバラク・オバマは演説のため、カリフォルニア州マウンテンヴューのグーグル本社を訪れていた。現在、ウェブサイトテスト企業OptimizelyのCEOを務めるシロカーだが、当時はグーグルブラウザー開発チームのプロダクトマネジャーだった。彼は裏口から忍び込んで長い行列に紛れ込もうと試みた。「警備員に『中で会議がある』って言ったんです」とシロカーは回想する。本当は会議などなかった。だがこのハッタリが功を奏して、中に入ることができた。 



質疑応答で、オバマは当時のCEO、エリック・シュミットのジョークに的確な答えを返した。「100万の32ビット整数を効果的にソートするにはどうすればよいと思われますか?」。それはただの「つかみ」で、すぐ真面目な質問に移るつもりだったのだが、オバマは次の言葉をさえぎって、「そうですね、バブルソートを使うのは間違いでしょう」と答えた。それは正解だった。シュミットは信じられないといったふうに額に手を当てた。満場の拍手喝采。シロカーはその場に打ちのめされた。「“バブルソート”には参りましたよ」。2週間後、彼はグーグルを休職してシカゴへ行き、デジタルアドヴァイザーとしてオバマの選挙キャンペーンに加わることになる。 



初めは何を手伝えばよいのか見当もつかなかった。だがオバマがグーグル社員に言ったもうひとつの言葉を思い出した。「わたしは理性や事実や証拠や科学、フィードバックや、つまりあなたたちがいまなさっていることを可能にするすべてを心から信じます。それこそがわたしたちの政府の役目なのですから」。そこで、シロカーはオバマ陣営に、グーグルが利用している、というよりほとんどグーグルの経営の基準となっているといってもいい、ある重大な技術を伝授することを決意した。A/Bテストの方法を教えたのだ。 



この10年で、A/Bテストの力はハイリスクなウェブ開発業界では公然の秘密になっている。それはいまや、シリコンヴァレーがオンライン製品を開発する際のスタンダードなのだ(だがそれが声高に宣伝されることはまずない)。A/Bテストを使うと、フォーカスグループ(グループ討論形式のインタヴュー)と本質的に同じテストを、新しいアイデアにリアルタイムで受けさせることができる。その方法はこうだ。 



あるウェブページの訪問者のごく一部を、何も知らせずに微妙に違うヴァージョンのページに誘導する。そしてそこでの行動を、もともとのサイトを閲覧した大多数のユーザーと比較するのだ。もし新しいヴァージョンのほうが、クリックの回数とか滞在時間、売り上げなどの点で勝っていれば、それをオリジナルと差し替える。劣っていれば、ほとんどのユーザーにその存在を知られることなく、ひっそりと消去される。A/Bテストによって、サイトの色使いやレイアウト、使われている画像、文章といった主観的とも言えるデザインの問題を、客観的に比較可能なデータに基づく社会学的問題として扱うことが可能になった。 



Obama Website – 01/30/08” BY BrianR (CC:BY-NC-SA)

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オバマの選挙キャンペーンに参加したシロカーは、オバマのウェブサイトの基本的な要素をA/Bテストで再検討した。サイト訪問者を、選挙資金を寄付してくれる支持者に変えることが「新メディア」対策チームの最大の課題だった。絶え間なく支持を呼びかけるメールマガジンを送って読者から寄付を集めるためには、まずそのメールアドレスを手に入れなければならない。訪問者はたいていスプラッシュページ(メインページの前に短時間Flashなどを使用した動画を表示するページ)から閲覧を始める。明るい青緑色のオバマの写真と、真っ赤な「SignUp」ボタン。だがそのボタンをクリックしてくれる人はあまりにも少なかった。シロカーのアドヴァイスのもと、チームはこの問題に取り組むために新たなデータを集め始める。 



まずページをいくつかの要素に分け、それらをほんのわずかずつ変えたページをいくつも用意した。サインアップボタンの文句もA/Bテストのために3通り追加された。「LearnMore」「JoinUsNow」「SignUpNow」。その結果、「LearnMore」のほうが、もともとの「SignUp」よりも18.6%も多くのサインアップを獲得した。同様に、白黒のオバマの家族写真を使ったページからのサインアップは、もとの青緑の写真よりも13.1%も多かった。家族写真と「LearnMore」の両方を使ったページでは、サインアップ率はなんと40%も上昇した。 



オバマのチームにとって何より衝撃的だったのは、テストを通じて、彼らの「勘」がいかに使えないものかがわかったことだった。写真よりも集会で演説するオバマの動画のほうがはるかに効果的だろうとほとんどのスタッフは考えたのだが、実際には動画は青緑色の写真よりもさらに30.3%も不人気だった。もしもチームが勘に頼っていたら、つまりボタンの文字は「SignUp」のままで写真の代わりに動画を使っていたら、サインアップ率は当初の70%にまで急落していただろう。



シロカーの簡潔な表現によれば、「思い込みは失敗のもと」なのだ。そして、もし厳密なデータ収集とA/Bテストを行っていなければ、チームはその減少の理由すら知ることはできなかっただろう。サイトの改悪のせいだとは夢にも思わず、オバマ人気にも翳りが見え始めたなどと言っていたかもしれない。しかしそうはならず、サインアップ率は当初の140%に跳ね上がり、チームは何に、そして誰に感謝すべきかを心から悟った。選挙キャンペーンの終わりまでに集まったメールアドレス1,300万件のうちの400万件、そして寄付金約750万ドルは、シロカーが導入した新手法のたまものと推定されている。





obama’s victory” BY Will Lion (CC:BY-NC-ND)




A/Bテストは政治の分野においては斬新だったが、ウェブの分野では少なくともミレニアムの変わり目にはすでに使われていた。A/Bテストの福音がこの10年で広まった何よりのきっかけは、グーグルがシリコンヴァレーを牽引する動力源として勃興したことだったが、そのグーグルが最初にA/Bテストを実行したのは2000年2月27日のことだ。グーグルでは1ページあたり何件の検索結果を表示するのが最適かが議論されていて、当時それは(いまと同様に)10件だった。そこで実験をしてみることにした。検索トラフィックの0.1%には1ページあたり20件の検索結果を、別の0.1%には25件、さらに別の0.1%には30件を表示させたのだ。 



技術的な問題から、この実験は惨憺たる結果に終わった。実験対象のグループに表示されるページは手を加えていないグループと比べてひどく重くなってしまい、判定基準がめちゃくちゃになってしまったのだ。だがこの実験自体は別の重要な収穫をもたらした。ほんのコンマ数秒の差で、ユーザーが満足するか不満を抱くかが明確に分かれることがわかったのだ。グーグルはすぐさまサイトの応答時間を調整した。ここからA/Bテストの飛躍的な発展が始まる。11年にはグーグルはその検索アルゴリズムを使って7,000件以上のA/Bテストを行っているし、Amazon.com、Netflix、eBayもA/Bテストなしには成り立たない。日々、生身のユーザーを実験台にして(当人たちはそのことを知らないが)、サイトに改善すべき点がないかをテストしているのだ。 



A/Bテストはいまやあらゆるところで使われているが、その遍在性は奇妙な結果をもたらしている。わたしたちのウェブに対する認識が次第に時代遅れになりつつあるというのもそのひとつだ。わたしたちが思い浮かべるあのグーグルのホームページ、あのアマゾンの支払い画面は、実際にはあなたがたまたま訪れた、数あるグーグルのホームページのひとつ、アマゾンの支払い画面のひとつと言うほうがいまではより正確なのだ。グーグルで検索するとき、「実験中」のページやその結果に当たるユーザーの割合はどのくらいだろうか。 



わたしが話したグーグルのスタッフは明確な答えを避けたが、Google Searchのテストを監督するスコット・ハフマンはくすくす笑って「かなりですね」と言った。可能な限り多くの組み合わせで無数のA/Bテストを同時に行う多変数テストと呼ばれる技術を使えば、何らかの微調整がなされたサイトを見ているユーザーの割合は100%に近いものになり、「グーグルで検索する」という経験はある意味でプラトン的イデアとなるだろう。 



つまり、その本当の姿を直接捉えることはできず、ただ不完全な派生や変形を通じてのみ把握されうるのだ。 



広く普及してはいるものの、この技術は単純ではない。ひそかにユーザートラフィックの行き先を変えサイトをつくり替えるには非常に込み入った処理技術を要するし、ユーザーをグループ分けしたり結果からその意味を読み取ったりするには統計学の深い知識が必要だ。独自にテストを作成し分析するすべをもたない企業にとって、それが障壁となっている。 



06年、グーグルは誰でも無料でA/Bテストを行うことができるウェブサイトオプティマイザーをリリースした。だがこのツールを使うためにはAヴァージョンとBヴァージョン両方のコード全体を構築できるウェブデザイナーが必要だ。つまり、プログラムのできないマーケティングや編集、製造などの担当者は、その企業のSEが苦労して各ヴァージョンのサイトをつくってくれないとテストを行うことができない。コードを書いてそれを走らせるのを待っていたのでは、結果が得られるまでにたいへんな遅れができてしまう。 



2009年になっても、このことが解決すべき課題として残っていた。オバマの選挙キャンペーンが終わり、シロカーはA/Bテストの威力もさることながら、この技術を簡単に利用できるツールがないということに驚いていた。「あのころのツールは使うことを考えただけでうんざりしました」。 



その年の終わりまでに、シロカーは別の元グーグル社員、ピート・クーメンとともに、大多数の企業関係者にA/Bテストのツールを提供することを目標とする新会社Optimizelyを立ち上げた。最初の顧客との契約は偶然だった。「本格的な製品化に取りかかる前でしたが、オバマの選挙キャンペーンで知り合った連中のひとりに電話したんです。そいつはデジタルマーケティングの会社を興していました。いま取り組んでいることを話していて20分ほど経ったとき、突然、『そうか、なかなかよさそうだね。見積もりを送ってくれよ』と言われました。きっと売り込みの電話だと思ったんですね」。 



買い手は付いたが、製品はまだできていなかった。そこでシロカーとクーメンはプログラムを書き始める。それまでのA/Bテストツールと違い、効果的なグラフィカルインターフェイスでクライアントがドラッグアンドドロップ、サイズやテキスト、配置の変更、挿入を素早くできるようにするなど、Optimizelyはプログラマーでない人にも使えるようデザインされており、ユーザーの行動を追跡し、その結果を報告してくれる。直感的なプラットフォームで、かつてはグーグルやアマゾンのような巨大ウェブ企業が独占していたA/Bテストの技術を、本格的なエンジニアやテストのチームをもたない中小企業にも提供する。 



このことが意味するのは、単にサイトが迅速にデザインできるようになったというだけではない。あらゆる決定をデータの支配下に置くことによって、A/Bテストはこのツールを採用した企業の経営哲学全体を、時にはその権力構造さえも変えてしまうことがよくあるのだ。A/Bテストは企業のウェブサイト制作を革命的に変え、そしてその過程でビジネスのルールのいくつかを根本から書き換えつつある。新たなルールの一部を紹介しよう。








RULE1:会議は不要



コンセンサス第一主義、ひいては民主主義さえもが、複数意見共存主義に置き換わり、データによって解決される。




オンライン決算システムのWePayは、ホームページのデザイン全体をA/Bテストを通じて決めている。「コンテストみたいなものだ」とは、CEOのビル・クレリコの言葉だ。「うちのエンジニアの数人がいくつか異なったホームページをつくる。それらをただローテーションで表示させるんだ」。2カ月間、WePay.comを訪れるユーザーの画面にはそれらのホームページがランダムに表示され、最後に決算の実績数によってどのホームページを採用するかが決まる。 



一昔前ならこのような試みは不可能だっただろう。デザインはまったく違ったやり方で選ばれていただろう。企業の誰かが、おそらくはクレリコ自身が、最終的にデザインを決定していただろう。だがA/Bテストを導入したことでWePayは何も決定する必要がなくなった。早い話が、もし何もかもをテストできるなら、すべての案を残しておいてあとはお客さんに選んでもらえばいいのだ。 



同じ理由から、A/Bテストは会議の重要性を減少させている。例えば、かつてサイトのエディターたちは重要な見出しの文句をどれにするかで15分もテーブルを囲んでいたものだが、いまではただすべての見出し案をアップして、あとはテストに決めさせるだけでいい。コンセンサス第一主義、ひいては民主主義さえもが、複数意見共存主義に置き換わり、データによって解決される。「すべてをテストしろ」という合言葉は、同時に企業にとって他社との関係をチェックする手段にもなり、その際には新しい契約を勝ち取りライヴァル企業と渡り合うための強力な武器となる。2011年、募金サイトのGoFundMeはWePayに、決算サイトの大手PayPalから乗り換える用意があると打診した。GoFundMeのCEOブラッド・ダンフースはPayPalへの不満をあらわにしていた。WePayは、大会社には無理なことでもわが社ならできます、任せてくださいとヴェンチャー企業にありがちな主張をした。「もちろんそれには懐疑的だった。本気で信じていたわけじゃないよ」。ダンフースは笑いながら当時を回想する。 



だがWePayはダンフースにある提案をした。それができたのもA/Bテストあってのことだった。全トラフィックの10%をWePayに割き、PayPalの実績とリアルタイムで比べてほしいと迫ったのだ。特に拒む理由はなかった。そしてこのヴェンチャー企業にとっては、それはほとんどリスクなしに自らの実力を知らしめることができる方法だった。それは成功した。初日の翌朝、ダンフースはデータに目を通し、午後にトラフィックの半分をWePayに割り当てることを決定した。その翌日までには全トラフィックがWePayのものになった。




RULE2:上司は無視



ウェブサイトはほとんどがクズだ。なぜなら、それを作っているのがHiPPO(トップの意見)だから。




グーグル社員、ひいてはA/Bテストの信奉者は、データ中心でない意思決定システムを「HiPPO」と呼んで軽蔑する。HiPPO─highest-paidperson’sopinion(トップの意見)と。グーグルの分析エキスパート、アヴィナッシュ・コーシックは断言する。「ウェブサイトはほとんどがクズだ。作っているのがHiPPOなんだから」。 



テクノロジー業界は、余計な一言でプロジェクトをほとんどダメにしてしまった無能な上司のエピソードに満ちている。アマゾンの黎明期、開発者のグレッグ・リンデンは、ユーザーがショッピングカートに入れた品物をもとに個人的な「衝動買い」を提案してみてはどうかと思いついた。この新機能のデモまでつくったが、あっけなくボツになった。テスト運用さえさせてもらえないことにリンデンは憤慨した。「これ以上この案件にかかわることを禁止する、と言われたよ。ストップせざるをえなかった」。 



その代わり、リンデンはA/Bテストを実施した。するとアマゾンがこの機能によって莫大な利益を得ることがデータによって明らかになったので、あらゆる反対意見が即座に無意味なものになってしまった。「ある種の組織では、正しいか間違っているかはともかく、上席副社長に盾突いたら命取りになりかねないということはわかっている」とリンデンはブログに書いたが、そのアイデアを現実のユーザーの目の前に出して客観的なテストを行った結果、上司といえども頭を下げないわけにはいかなかった。それがアマゾンの社風なのだ。 





シロカーも同じような変化を覚えている。オバマの選挙キャンペーンをしていたときだ。「初めはひどく政治的な環境でした。ご想像の通り、HiPPO症候群が猛威を振るっていましたよ。でもそのうち、一歩下がって『選択肢は3つだ。どれが効果があるか実験してみよう。わたしたちにはわからないのだ』ということに価値を見いだすようになったんです」。 



それこそ彼がグーグルからもたらした、「データの民主主義」とでも呼ぶべき文化だった。「ごく初期のグーグルでは、エンジニアがアイデアとそれを裏付けるデータさえもっていれば、役職があろうがなかろうが関係ありませんでした。誰でも自分の考えを発表することができました。それが当初からのグーグルの社風なのです」。そのやり方が採用されるとHiPPOたちは困惑するだろう、とシロカーは言う。「A/Bテストは企業のあらゆる階層に『うちもグーグルやアマゾンと同じ方法でやりたい』と言う力を与えることになるでしょう」。 



WePayのビル・クレリコはこう言う。「Facebookのわたしのプロフィルには、宗教観の項目にこう書いてある。『われらは神を信ずる。それ以外はデータを見せろ』と」。






RULE3:抜本的な改良を忘れるな



データに頼りすぎるなら、事業の発展はそこまで。それは自動車の時代に馬車の鞭の改良にいそしむようなものだ。




このデータによる革命がもたらした結果のひとつに、ソフトウェアを製作する、あるいはちょっとそれを想像してみるということさえ、少しやりにくくなってしまったということがある。A/Bテストが登場してからというもの、製品を抜本的に改良する機会が減ってしまったようだと、多くの開発者は口を揃える。大規模な改修はリスクが大きいだけだということになり、代わりに、一つひとつのアイデアを細かい断片に分けて、それぞれの断片をテストしては、様子を見て段階的にトラフィックのなかに組み込むという方法がとられるようになった。 



だがこのやり方や態度にも固有の危険がある。企業は大失敗からは身を守れるかもしれないが、それと引き換えに緊張感に欠ける漸進主義に陥るおそれがあるのだ。そのような企業はいずれ、真のブレイクスルーを追求することなく、ただ限られた範囲内でいかにしてA/Bテストのベストな成果を出すかだけに腐心するようになるだろう。このことを、グーグルのスコット・ハフマンはA/Bテスト第一主義の大きな弊害のひとつに挙げる。「わたしたちが長い時間をかけて話し合ったのは、より大きな変化が必要とされるときに、どうしたら漸進主義に陥らずにすむかということでした。それは厄介な問題です。A/Bテストのツールはエンジニアチームにとって実に励みになりますが、大して重要でないちまちました変化ばかりを試したくなってしまう誘惑も大きいのです。確かにそういうちょっとした改良も大事でしょうが、箱の外に飛び出してみることも必要です」。「もし何がお望みですかと顧客に尋ねていたら、彼らはもっと速い馬を、と答えただろう」というヘンリー・フォードの金言を借りて、ハフマンはこう付け加えた。「もしデータに頼りすぎるなら、事業の発展はそこまでです。自動車の時代に馬車の鞭の改良にいそしむようなものです」。




RULE4:理由を考えるな



なぜこんなことが起こるのか? 何度も何度も話し合ったが、その理由は誰にもわからなかった。そのうちに、そんなことははっきり言って大した問題ではないことがわかってきた。




A/Bテスト史上最大の進展は、その波及力ではなく、その速度だ。2000年代前半、A/Bテストの結果が出るまでにかかる時間はだいたい24時間だった。今日テストをしたら結果が出るのは翌日で、そこから基本方針なり手っ取り早い解決策なり、デザインの改良に使える何がしかを得る。プロダクトチームよりもマーケティングチームのほうが先にA/Bテストを使い始めた理由はそこにある。広告づくりはふつう何日、何週間という時間をかけて改良点を見つけていくものだが、ウェブのビジネスでは多くの場合商品の動きが速すぎて、そんなに悠長に待っていられないからだ。 



いまではそれがすっかり様変わりしてしまった。「10年前にはそもそもデータなんてありませんでした。5年前は最高のツールでも結果が出るまでに1日かかりました。でもいまわたしたちがいるのは、データを得るのに1日も待つわけにいかない世界なんです」と話すのはオンライン家具販売のOneKingsLaneの製造部長、ユーリー・キムだ。キムのボス、CEOのダグ・マックは、フィードバックの速さがビジネスに不可欠になっていると断言する。「データ量が大きいだけではダメだ。その日のうちに動けるようなリアルタイムのデータでなければ。それがうちの発展にとって大きなメリットだったね」。 



A/Bテストが現実のテストと大きく異なる点は、そこから教訓を得て、それを適用する時間がないというだけではない。それよりももっとラディカルだ。そこにはもはや学ぶべき明確な教訓も、引き出すべきルールも存在しないのだ。 例えばゲームニュースサイト、IGNの幹部は、ホームページのある部分に煽り文句(「無料」とか「独占取材」とか)を入れるよりも、簡潔で読みやすい文章を載せるほうがいい結果をもたらすことを発見した。以前は何年もその逆が正しかったのに、なぜこんなことが起こるのか? 何度も何度も話し合ったが、その理由は誰にもわからなかった。そのうちに、そんなことははっきり言って大した問題ではないことがわかってきた。A/Bテストがしかるべき落とし所に導いてくれるのだから、なぜユーザーは気まぐれな振る舞いをするのだろうなどと思い悩む必要はなかったのだ。 



同様に、OneKingsLaneのビジネスモデルはカタログを毎日更新することで成り立っているが、同社の「超期間限定セール」につきものの緊急のカタログ更新にも、OptimizelyのA/Bテストツールが大きな役割を演じている。なぜ足置きソファをミニカーペットの右に載せるより左に載せたほうがよく売れるのか? そんな問いを発する余裕も、それに答えなければならない理由もない。結局、正しい結果が得られるなら、そんなことはどうだっていいではないか。ただテストし、結果に反応し続ければいい。あれこれ考えたければ家でどうぞ、というわけだ。



それを聞いて、なんだか嫌だな、と思ったとしてもあなたがおかしいのではない。どのようにビジネスが動いているかを知るのにA/Bテストが有効だということには同意できるとしても、もう一歩踏み込んで、どのようにビジネスが動いているかを知る必要はないと言われたら、ちょっと受け入れるのは難しい。事実、A/Bテストが普及すれば、わたしたちはテストでどんな選択がなされているかを知ることすらなくなるかもしれない。というのも、テストの結果判定のプロセス全体を自動化するというのが、目下のA/Bテストのトレンドなのだ。もう人間の監視は必要ない。 



A/Bテストの文化は、創意工夫がどうやって生まれるかについて、より根本的なレヴェルでわたしたちの常識を裏切る。わたしたちの想像では、ヴェンチャー企業は長期的な戦略的判断によって大成功したり失敗したりするもので、それらの判断の可否を正確にテストすることは不可能だし、A/Bテストだけで中小企業が無名から巨大企業にのし上がるのも想像しがたい。 



そう、グーグルはデータを読み取ることによってその帝国を築いたが、わたしたちはいまだにスティーブ・ジョブズがアップルにもたらしたようなヴィジョンへの畏敬の念を失ってはいない。iPadのためにどれだけ市場テストをしたかと聞かれたときのジョブズの有名な返答にわたしたちはうなずかないわけにはいかない。彼の答えは「一切していない」だった。ヘンリー・フォードの言葉を繰り返すように、彼はこう言った。「顧客が何を求めているかを知ることは、顧客の仕事ではない」。 



もちろん、ヴィジョンをデータに、孤高の天才を地道な実験に対置させて、企業にどちらかを選べなどというのは間違った二分法だ。企業はささいなことでもテストをしないよりはしたほうがいいし、いかなる企業であろうとすべてをA/Bテストで決めるべきではない(というかそんな企業は存在しない)。グーグルだって手当たり次第に何もかもをA/Bテストしているのではなく、無限に存在する変化の可能性をテスト可能な有限の選択肢に絞り込むためには直感やヴィジョンに頼っている。 



A/Bテストの文化は企業を袋小路へ導きかねないこともまた確かだ。抜本的な方向転換が望まれているときに10,000の微調整をしたところでどうにもならない。成功している企業といえども、ほぼ例外なくどこかで根本的に方向性を変えなければならず、そのようなハイリスクの決断は、段階的にとか限定リリースで様子を見てからなどというわけにはいかないのだ。 



さらに、A/Bテストの文化では枝葉末節にこだわらずにはいられなくなるという弊害もある。元グーグルのデザイナー、ダグラス・ボウマンは退社した日のブログにこう記した。「しまいには枠線を3ピクセルにすべきか、それとも4ピクセルか5ピクセルかといったことで議論したうえ、自説の正当性を証明するよう命じられた。あんな環境で仕事をするのはもうごめんだ」。 



アップルのデザインはテクノロジーを超えた世界にも浸透しているのだから、こう問わないと不公平だろう。「オフラインの世界でもA/Bテストは可能なのか?」と。 



確かに、大量のデータを扱えるようになったことで、小売業大手は次々にこの実験手法を取り入れつつある。チェーン企業は2、3店舗で店内の間取りをテストし、もしそれで売り上げが増加すれば、全国に拡大する。新発売の商品を監視する小売り向けのソフトもあって、A/Bテストのシステムにしたがって商品をいくつかの棚に分けて置き、その売り上げを記録する。 



しかし物理的現実の制約から実験をコントロールすることが難しくなり、立地的要因、天候、または未知の(そして不可知の)変数による偏りで、結果があいまいになってしまうこともよくある。そのあいまいさに直面したときに、反論を恐れずに決断を下すことができるのはほかならぬHiPPOたちなのだ。ふたつの異なったものがまったく同じ場所、同じ時間に存在して、そこから組織の権威的な性格をひっくり返すようなデータを取り出すなんてことが可能なのはデジタルの世界だけだ。 



A/Bテストという禁断の果実の味を知ったために、もはやそれ以外の環境を想像することすらできなくなってしまったウェブ関係者は多い。実のところ、彼らはオフラインの世界という、ふたつの(あるいはそれ以上の)人生を並行して生きる代わりにたったひとつの人生しか選ぶことのできないこの恐ろしい場所を、哀れみの目で見始めている。シリコンヴァレーのあるオフィスではスタッフのひとりが「デートもA/Bテストできたらいいのに」と不平をこぼしていた。オンラインのプロフィルならそれも可能だろう。だが特定の人間と付き合うなら、あらゆる決断に100%「トラフィック」を費やさなければならない。 



現実に比べれば、テスト可能なウェブは安全なものだ。重い決断はしなくていいし、自己反省も必要ない。なぜBはAより優れているのか? そんなこと誰にわかる? わたしたちはただ肩をすくめてこう言えばいい。「Bに決まった。理由はわからないが、そのほうがうまくいくんだ」。



ブライアン・クリスチャン|BRIAN CHRISTIAN アメリカの作家・詩人。AIを論じた著書『機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる』で知られる。brchristian.com





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