「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」のひとこま。

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■きちんとこの震災を理解できない

岩手県立岩谷堂高2年生の及川秋平さん。将来は国家公務員になって海外とのつながりつながりを持つ仕事がしたい。ここまで訊いていて、いちども「安定」という単語は彼の口からは出ていない。抽象的な質問を投げてみる。及川さん、国家公務員になるために、資格以外に必要なものは何ですか。

「芯ですかね、自分の。小学2年生の時には『農家と公務員になりたい』と何かに書いていまして。今になって見返してみると、農家と公務員が両立するのかなと思いますが。今までは祖父や父の影響か『県庁で働きたい』とか、『先生になりたい』『農家になりたい』とコロコロと変わってはいたんですが。わたしはよく言えば、いや悪く言えば、人に影響されやすいタイプでして。でも、影響されて、興味を持って、考えていくことによって、また違う考えも自分の中で出てくるでしょうし。 そういう中でも、やっぱり憧れというのを大切にしたいなと」

取材から3カ月後、志望に変化はありませんかとメールで問うと「変わっていません。しかし高き・狭き門ということなので、国家公務員試験に受かるか不安は抱えています。3カ月の間に、周りには『国家公務員なんて無理だ』と言われていますが、今は周りに左右されず勉学に励んで将来に繋げていきたいです」という返事が返ってきた。インタビュー時の口調と、メールの文体に大きな違いがないことは、及川さんのことばの特徴だ。

及川さんは、勉強の仕方は自分では上手だと思いますか。

「いえ、上手じゃないと思います。1つの物事に集中しすぎる。先週定期テストが終わったばっかりなんですが、『この教科をやろう』と思って9時に始めて、1〜2時間後に違う教科を始める予定でいてもやり続けて、気がついたらもう1時、2時になってしまって、『ああ予定が狂ってしまった』と」

センター試験を受けるには、一番まずいタイプなのでは。

「そうですね。自覚はあります」

「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」で、サンフランシスコ総領事館で働く国家公務員に会って、及川さんの今の志望がある。「TOMODACHI〜」のような海外体験を、誰かに勧めたいと思いますか。

「きちんとアンテナを立てて吸収しようと思ってる人のチャンスにして欲しいと思います。将来の糧になるし、違ったものの見方ができる。自分がこうやって進めたみたいに、行って来ることで、他の人にも影響を与えることができるよ、その体験ができた人を広めていくことで、新しいことを生み出す人が確率的に増えることになるよ——と後輩には言いたいです。ただ、アンテナを張ってない人には行って欲しくないなと。わたしから見ると、岩谷堂高の生徒はアンテナを張ってない人が多すぎる。自分から取り組んでいこうという姿勢がある人が少ないんです、うちの学校は、何事にも」

及川さん、今の話は、偏差値が高い学校のほうが、アンテナを張っている人が多いという意味ですか。

「必ずしもそうはならないと思いますが、やっぱりアンテナ張ってる人は、学力云々が高いからこそ、『アンテナを張ることが自分の糧になる』という考え方ができているのかもしれませんし。偏差値が低い人でも、自分がこれから成長していくためにアンテナを張ることが大切だとわかっている人もいるでしょうし」

ここまで訊いてきて、及川さんが、こちらの直截な問いにも実直に向き合う高校生だということはよくわかった。だからこそ、これを訊こう。及川さん、岩手は被災県です。しかし、内陸は津波の被害を受けたわけではない。敢えて訊きますが、震災に対し、内陸の高校生であることの難しさは何ですか。

「まず、実際にその現場を見ていないんです。停電になっていなければテレビで見ることができたのかもしれませんが、テレビを見れるようになったときには、もう報道規制がかけられていて、危ないところとかカットされて。もし停電がなくて、そのときにテレビ越しで見ていれば——言ってしまえば——他人事という意識が強くはならなかったのかな。最初の1〜2週間は、身近だという意識はあったんですけれど、時が移りゆくと、どんどんどんどん他人事に。もしかしたら、阪神淡路大震災が起こった時、こっちはそうだったのかも知れませんし。他人事という意識を自分では『持っていない』と思っていても、(沿岸部の)相手からしたら、そう思われるような行動を自分もとっているのかもしれないので、沿岸の方とあまり深く話ができない。どうしても安全なところからの言い方になってしまって。それもまた、きちんとこの震災を理解できない要因の1つになっていると思うので、それがちょっと辛いというか、自分にとっていいのか、どうか」

今、この場、及川さんの隣には、その沿岸部で被災し内陸に越してきた高校生がいる。彼女に話を聞いた。

■「佐々木乳児院」のセールスポイント

佐々木唯希(ささき・ゆうき)さんは私立一関修紅(しゅうこう)高等学校普通科幼児教育コースの3年生。将来何屋になりたいですか、と訊いたとき「保育士」ということばが出た。連載の冒頭にも書いたが、医療・福祉関連の志望者は、取材した高校生の3分の1を占める。だが、佐々木さんの答えは少し違っていた。

「保育士になって、できたら乳児院とか乳児施設を建てたいなと」

それは、自分で経営するということですね。

「はい。乳児院は赤ちゃんから2歳半ぐらいまでを預かると聞いています。3週間とか、長期で預かることもあります。母子家庭のお母さんが病気になって入院するってなると育てる人いないから、その時は乳児院に子どもを預けるかんじです」

乳児院は、児童福祉法第三十七条に規定された児童福祉施設だ。

《乳児院は、乳児(保健上、安定した生活環境の確保その他の理由により特に必要のある場合には、幼児を含む)を入院させて、これを養育し、あわせて退院した者について相談その他の援助を行うことを目的とする施設とする》

保育所との違いは「24時間赤ちゃんの面倒を見る」点にある。乳児院には看護師や保育士の資格を持った者が交替制で勤務している。全国に125カ所、岩手県内には2つ。東北六県で10施設(青森3、宮城2、秋田1、山形1、福島1)があり、全国で約3000人の子どもが入所している。以前は入所対象年齢は2歳までだったが、1998(平成10)年4月の児童福祉法の改正によって、2歳を過ぎた子どもでも児童相談所が適当と判断した場合には、乳児院で生活できるようになった。入所理由で最も多いものは母親の病気だが、両親の行方不明、虐待や育児放棄、貧困などの理由も少なくない。

乳児院を経営したいと思ったのはなぜですか。

「乳児院って、親がいない子どもが多いんです。だから、うちなりの育て方をしてみたいんです」

仮にその乳児院の名前を佐々木乳児院としましょう。佐々木乳児院のセールスポイントは何ですか。

「セールスポイント……やっぱ、子どもの笑顔ですか。ちっちゃいときに、寂しいなって思ったりさせたくない、みんなに」

佐々木さんは母と兄の3人家族だ。

「兄ちゃんは21歳で、金ヶ崎(奥州市の北に隣接する人口1万6000人の町。1993[平成5]年にトヨタ系列の関東自動車工業岩手工場が竣工している)で車を組み立てる仕事をしてるって聞きました。 母ちゃんは、デイサービスで働いています。長いです。 でも、母ちゃんの仕事場が流されちゃって、仕事なくなって。水沢に母ちゃんの弟がいて、『新しい施設がここで建つから、そこで働いてみないか』って言われて、こっちに来ました」

今、佐々木さんは奥州市水沢区で暮らしている。お母さんの職場も同じ水沢にある。佐々木さんはここから南隣の一関市にある一関修紅高に通っている。取材から3ヶ月後、メールでその後の状況を訊くと、修紅短期大学に合格したという返事が返ってきた。キャンパスは一関修紅高から少し離れるが、同じ一関市内にあり、自宅から通えるという。

「保育士の資格を取るつもりです。乳児院を建てたいというのは、『できれば』であって、とりあえず卒業したら、いろんなとこに行ってみようかなとは思っています。岩手県じゃなくてもいいです。大阪に行ってみたいなと思っちゃう。関西弁好きなんですよ(笑)。行ったことないんですけど。でも、岩手には戻って来たい。なるべく早い方がいいかなって思うから、30歳くらいかな(笑)。そのときはまだ結婚してなくて、フリーだと思います。今、彼氏いるんですけど」

彼氏いる、は書いていいですか。

「いいですよ(笑)」

佐々木さんは「できれば」と言ったけれど、「経営したい」という考え方に興味があるので訊きます。乳児院を経営する上で、障害になることは何だと思いますか。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)