商売繁昌の神さまとして知られる神田明神にはビジネスマンが多く訪れる。(写真=AP/AFLO)

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日本人にとって、神社は身近な存在である。元旦には初詣でをする人が多い。753など、人生の節目に神社を訪れる機会もあるし、神前での結婚式も、人気がある。

神社に行くと、当然のことながら、参拝をする。二礼二拍手一礼が正式だけれども、省略して手を合わせる人も多い。賽銭箱にお金を入れて、鈴をじゃらじゃら鳴らす。そんな参拝の仕方に、日本人は子どもの頃から親しんでいる。

なぜ、私たちは神社に行くのだろう。「苦しいときの神頼み」というように、何かお願いごとをする、という人も多い。受験や、就職など、人生の節目に、うまくいきますようにと神前で祈るのだ。

神社を参拝することには、どんな意味があるのだろうか? 私たちは、科学や技術が文明をつくる時代に生きている。批判的思考(クリティカル・シンキング)や、システム的発想がなければ、iPhoneやiPadはできない。

「苦しいときの神頼み」とはいうが、神社に参拝するだけで、時代を変える画期的な新商品ができるわけではない。

確かに、人生には、自分だけの力では思うに任せないことがたくさんある。力を込めて新商品を出しても、市場がどのように反応するかはわからない。同業他社の動向もある。取引先が、新しい契約の提案に同意してくれるかどうかもわからない。自分が努力すればすべてうまくいく、というほど世の中は甘くない。

人生には、自分ではコントロールできない「パラメータ」(変数)がある。だからこそ、昔の人は神さまに頼ろうとした。どんなに力を尽くしても、どうすることもできないことについて、神さまのご加護を得ようと参拝し、祈った。

現代では、合理的思考が支配的になっている。同業他社の動向や、市場の反応を、神さまが支配なさっていると本気で信じている人はむしろ少数派だろう。それでは、科学技術文明が全盛の現代において、神社に参拝することの意味があるとすれば、それはどのような理屈に基づくのか?

現代の科学の立場から言えば、神社に参拝することの意味は、そのことによって自分の内面が変わることにあると考えられる。神前で手を合わせ、日常の雑事から離れた空気の中で、自分の心を整える。そのことによって、明日からの仕事に弾みがつく。

神さまに何かを「お願い」するのではない。むしろ、神さまの前で、「自分はこんなことをする」と誓う。あくまでも、事を成すのは自分自身である。手を動かし、智恵を働かせ、一生懸命に動く。その心の準備を整えるために、神前で祈ることが有益である場合があるのだ。

たとえ、ビジネスの99%は緻密なロジックや経験上の証拠に基づくとしても、最後の1%に、気合というか、勢いというか、精神性が必要とされる。神社に参拝する現代的な意義は、その1%の心を整えることにある。

この文章は、世界遺産に登録されている熊野本宮大社の近くの宿で書いている。宮司の九鬼家隆さんのお話によると、世界中を飛び回っている若き起業家が、関西空港から直接車で熊野に参拝し、その後東京に帰る、というようなことがあるのだという。

若き起業家は、決して神頼みに来ているのではなく、むしろ忙しい日常の中で、心を整える一つの句読点として、熊野本宮までの長い道のりをやってくるのだろう。

精神だけでは勝てない。かといって、心は無視できない。心を整える方法論を、現代人はもっと考えたほうがよいのではないか。

(茂木 健一郎 写真=AP/AFLO)