社会の中で今、自分が果たせる役割は何か

仕事とは? Vol.88

元プロ陸上選手 為末大

元陸上選手・為末氏が語る、「下り坂」の時代を生き抜くための知恵


■誰かから提示された「幸せ」を信じ込むと、後でツケを払うはめになる

大学卒業後、実業団選手として大阪ガスに入社しました。日本では企業に所属して競技を続ける陸上選手がほとんどで、大学5年で内定を頂いた時は僕もその道を歩むことに何の疑いも持っていませんでした。ましてや、大阪ガスの陸上部といえば強豪。僕にとって一番行きたい会社でしたから、これ以上の話はないと思っていました。

そして、内定を頂いた年の夏に僕はヨーロッパの大会の転戦を経験しました。初のオリンピック出場となったシドニーで惨敗し、海外レースの経験を積む必要があると考えたからです。そこで見たのはレースで得た賞金で生活する正真正銘のプロでした。彼らはトップになれば何億円もの収入を手にすることができますが、生活の保障はどこにもありません。当然ながら、レースに向かう姿勢は真剣を通り越してクレイジーとも言えるものでした。

一方、大阪ガスに入社後の僕は午前中だけ仕事をして、午後は練習という日々。それで同期の一般社員と変わらない収入を得られ、現役引退後も定年まで社員を続けられるという安定そのものの環境でした。何の不満もないはずなのに、次第に僕はもやもやした気持ちを抱えるようになります。海外のレースには入社後も出ていたのですが、どうも調子が出ない。リスクのない毎日を送っている自分がクレイジーな奴らと勝負できる気がしなかったんです。

子どものころから、僕は陸上選手として「世界一になりたい」と思い続けてきました。それを実現するにはこのままではいけない。ギリギリの環境に身を置いて自分を試してみたいと大阪ガスを退職し、プロになりました。当時、陸上選手でプロといえばマラソンの有森裕子さんだけ。周囲からも心配されましたし、僕も迷いました。でも、リスクを取ってでも、世界一になるということをあきらめたくないと思ったんです。

だからといって、僕は「リスクをとれ」ということを言いたいのではありません。結局、仕事選びとか会社選びというのは、「自分にとって幸せとは何か」というのを突き詰めて考えて、それを最大化するための選択をするということなんですよね。その「幸せとは何か」というのを明確にするのが意外と難しいから、方向性が見つかるまでは、なるべく安定した大企業に入りたいと考えるのも選択肢としてはアリだと思うんです。

ただ、大企業でも10年後にはなくなっているかもしれない時代ですからね。倒産とまではいかなくても事業内容が変わって所属部署が丸ごとなくなるということも十分あり得る。リスクはどこにでも転がっています。それなのに、「みんなが危ないと言うから、あの仕事はやめよう」「みんながいい会社だと言うから、入社しよう」と誰かから提示された「幸せ」を鵜呑み(うのみ)にすると、結局あとでツケを払うはめになります。そうならないためには、やはりある段階で「自分にとって幸せとは何か」という問いに自ら答えを出さなければいけません。

もちろん、自分で答えを出した「幸せ」が勘違いだったということもあり得ます。特に就職活動というのは限られた期間で行いますから、どんなに頑張って企業研究をしても「第1志望の会社に入ったけれど、社風が合わなかった」「憧れの職種に就いたけれど、社内にもっとやりたい職種があった」など入社して初めてわかることも少なくないでしょう。でも、そのときには軌道修正すればいい。ベストな答えを出そうとして動けなくなるよりは、「仮決め」をしてまずはやってみるというのが大事だと思います。


■目標というのは、今、この瞬間をイキイキと生きるためにある

世界選手権で男子400メートルハードル初の銅メダルを手にしたのが23歳の時。4年後の世界選手権でも銅メダルを取りました。世界選手権のトラック競技で2つのメダルを取った日本人は僕が初めて。世間からも注目され、最高の気分でした。でも、手放しに喜べたのはほんのわずかの間。翌シーズンが近づくころには周囲から「次は金メダルだよね」という期待を寄せられるようになり、じわりじわりとプレッシャーを感じ始めました。

それまではメダルさえ取れば幸せになると思っていたんです。「シンデレラが王子様と結婚して幸せになりましたとさ」というおとぎ話のように。ところが、いざ取ったら、「金メダル」というもっと高い山がそびえ立っていて、「ハッピーエンドなんてないのね」という(笑)。しかも、結局、僕はその山を越えられなかった。25年間の競技生活に終止符を打った今でこそ「やるだけのことはやったから、後悔はない」と言い切れるけど、陸上選手としての30代はまさに「下り坂」。肉体の衰えには逆らえず、どんなに頑張っても結果が出ないやるせなさに苦しみました。

でも、あるときふと思ったんですね。メダルさえ取れば幸せになれると思っていたけど、本当に幸せだったのは、目標に向けて頑張るという状態そのものだったんじゃないかって。だとすれば、目標というのは今、この瞬間をイキイキと生きるためにある。そのことに気づいてからは、結果が出なくて敗北感こそあっても、「努力しているのに、報われない」というような後ろ向きな気持ちはなくなりました。

よく「頑張れば、夢はかなう」と言うけれど、この言葉は残酷だと思うんですね。夢がかなわなかった時に、それまでの努力まで否定してしまうことになるから。しかも、現実にはほとんどの夢がかなわない。僕だって子どものころに憧れていたカール・ルイス選手のように短距離で活躍することはできなかった。400メートルハードルの選手になったのも、実は積極的な理由ではなく、陸上選手として生き残るにはほかの道がなかったからなんです。でも、夢を持って、挑んだからこそ自分の限界を知り、その限界の中で自分に何ができるのかを見つけることができた。だから、夢は持った方がいいと思います。かなえるためにではなくて、自分の可能性を引き出すために。

陸上選手としての自分の限界を感じてからは、今、自分が世の中で果たせる役割は何なのかということも少しずつ考えるようになりました。丸の内の路上にトラックを敷いて「東京ストリート陸上」というイベントを開催したり、子どものための陸上教室を開催するなど現役時代から陸上の普及活動を行ってきたのも、それがその時の自分の役割だと感じたからです。

現役を引退した今は、一般の人にもできるトレーニングを普及することで医療費を削減するとか、スポーツイベントを通して地域コミュニティを再構築するなどスポーツを社会問題の解決に役立てるようなことができればと思っています。どんな形で実現するかは試してみないとわかりませんが、代表のコーチになったり、芸能界で活動するという人材はたくさんいて、僕の役割ではない気がするんです。需要はあるのに、これまで引退後のスポーツ選手がやっていない分野を見つけるという方が僕らしいし、社会にとっても役立つんじゃないかなと思っています。

実際に動き出しているプロジェクトもいくつかあります。現役時代、米国で初めて参加した陸上の会議で議論を傍観することしかできなかった苦い経験から、日本の若者たちと議論の面白さを共有しようと立ち上げた「爲末大学」もそのひとつ。そういったプロジェクトで若い人たちと接することも多いのですが、言動にどこか予想のつくことが多いのが少し残念ですね。20代というのは若さの特権で、その時期にしか発せないメッセージというのがあります。別にでかいことをやるべきだということではなくて、いつもは遠慮してしまう年長者ばかりの会議で、思ったことをありのままに言ってみるだけでもいい。まあ、多少風当たりが強くなることもあるかもしれないですけど(笑)、メゲずに周囲の予想を裏切ることをどんどんやっていってほしい。そのエネルギーが社会を活性化させると僕は思っています。