波の直撃を受けた石巻の中心市街地(2012年9月撮影)。

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■「キティちゃんのランドセルはないんですか?」

「うちの学校はこのくらいだから」「うちの町は」、そして「うちは被災地だから」。使うと楽になれる言い訳がある。石巻商業高校3年の庄司太樹さんは「それが嫌いで」と答えた。庄司さんの周囲に、そういう声がありますか。

「実際そうですよ。やっぱり『被災地だから』みたいな。それがものすごく嫌いで。いや、ボランティアをする側もされる側もいいんですけど、なんか、じゃあ『自分たち何かやってるのか?』っていう話です。やってもらうだけやってもらって、なんか自分たちからしようとしてるのかなって。『震災で被災したから』みたいなことを言い訳にして、大人が仕事しないっていうのが、『それはどうなのかな?』ってずっと思ってて。『周りがやってくれるのを待つ』『周りがやってくれるだろう』みたいな。中にはちゃんと自分たちで復興しようとしてる人たちもいるし、そういう人たちばっかりじゃないと思うんですけど」

実際にそういう場面を目撃した?

「なんだろう、ソーシャルネットワークとか、テレビとかで、『まだまだボランティアによる助けが必要だ』みたいな。ボランティアばっかり取り上げられてて、そこにいる人たちが映って、なんか『感謝してます』みたいな。何をやってるんだろうなって思う。自分たち、何かやってるのかよって思う」

庄司さんの後輩にあたる保育士志望の沼津明日香さんから取材後にもらったメールをここに挿入しておこう。今年の春、ランドセルを新入生に配るボランティアに参加したときの話だ。

「2日間でおよそ700個のランドセルを配りました。すべて支援物資です。すごいですよね、4〜5万円もするランドセルをこんなにも送ってくれる人がいるなんて。ほんとうにありがたいです。新1年生は、みんな元気に走ってランドセルをもらいに来ていました。支援物資は、いろいろな会社などから支援していただいたため、色やデザインがいろいろでした。わたしたちは『ほとんど同じものなので、選ばないでください』と言って配っていました。みんなが選んでしまったら、時間がかかるし、不公平なので。しかし、中には勝手に箱を開けて選んだり『キティちゃんのランドセルはないんですか?』と言う親もいました。わたしたちは支援してもらっているのに……。今までたくさん支援していただいたので、『支援してもらうことが当たり前』になって、ありがたみを忘れつつあるのだと感じました。とても悲しいです」

庄司さんも沼津さんも「ボランティアが不要だ」などとは一言も言っていない。庄司さんの憤り、沼津さんの悲しみの背後にあるのは、自分たちの街の大人たちへの問いかけだ。石巻の街では、大人たちの「資産がある老人の家が流され、再建しようと親族会議をしたら、娘に『先も長くないのに建てるなんてもったいない』と言われた」「そう言っている娘は、家を失った親と同居するのを拒んだ」といった話をいくらでも聞くことができる。

「流された家の再建」と関わるのだが、石巻でぜひ訊いておきたいことがあった。旧石巻市市街地の西方、三陸道石巻河南インターチェンジ周辺の蛇田(へびた)地区のことだ。石巻市が進める災害公営住宅整備計画(用地不足と地盤沈下の影響で進捗は大幅に遅れており、入居は2014[平成26]年以降になるという)では、市街地6地区に合計2920〜3270戸の建設が計画されている。今夏行われた意向調査で、52.6%と圧倒的多数の希望を集めたのが蛇田地区だった。「まず、イオンができてから、ヤマダとかケーズができて、ヨークができて、あそこ、おかしくなった」と言ったのは、注射を打ちたい男・齊藤啓太さんだ。「おかしくなった」とは?

「昔からある町中の商店街に、みなシャッターが降りるようになり、町内の活性が失われたことです」

■この街で一生、生きていけるけれど

イオンがきてから「おかしく」なったのか、その前から、店主が互いに隣の店で買い物をしない商店街と化して衰退が始まっていたのか、厳密な検証はできない。こちらの興味は、蛇田地区の商業集積の高さだ。蛇田には他にも、ニトリ、ユニクロ、ホーマック、TSUTAYA……と、主だった「バイパス沿いの店」がほぼ揃っている。庄司さんが笑みを浮かべて答える。笑みが皮肉だということは、こちらにもわかる。

「一生、生きていけますよ」

皆さんは「TOMODACHI〜」でサンフランシスコを見た。仙台の繁華街も知っている。もちろん東京にも行ったことはあるでしょう。齊藤さん、石巻とはそれぞれ何が違うんでしょうか?

「サンフランシスコは、人、街、建物、すべてが大きい。バリエーションがある。東京は建物は大きいけれど、サンフランシスコと比べるとすべてが狭く感じる。仙台は、東京の都会感を半分くらいなくした感じ。蛇田は、普段使うものが何でも揃うというだけで、都会感や交通の便利さなどを感じない。店の数が圧倒的に少ない。蛇田以外に共通することは、建物が大きく、交通機関が発達していることですかね」

「TOMODACHI〜」から帰ってきて、自分が暮らす街がどう見えるようになりましたか。

「今までも海外旅行をしたいっていう気はあったんですけど、それまでは地元に満足してたんですけど、1回アメリカに行って帰って来たら、ほんとうに地元がしょぼく感じられようになっちゃって。アメリカから帰ってきてみると、地元はちっちゃいですね。建物もそうですし、人の視野とか発想とかも。精神的には、アメリカにいるほうが、将来の夢や目的というものを掲げやすい気がします。いろいろなことにチャレンジできそう。発想も、日本では思いつかないことが思いつくように思います。アメリカの人は、全体的に気持ちがおおらかだとおもいました。恥ずかしがらずに自分の意見を主張したり、誰にでも明るく振舞ったり。日本人でそういうことができる人は少ないと思うんです。特に授業中や、日本の政治家のスピーチを聞く時に感じます」

ネガティブなことばかり恣意的に聞くのは反則かもしれない。齊藤さんが思う、石巻のいいところって何ですか。

「海があるのが好きですね。海産物おいしいですし。それと、自然が多いのが好きです。田んぼだったり山だったり。自分の家にはタヌキらキツネやらカモシカやらが出没するので、そういう自然あふれる環境が大好きです(笑)」

災害公営住宅の希望数値を援用すれば、石巻の大人の過半数は、巨大なイオンのある蛇田に暮らしたいということになる。だが、3週間の合州国を体験した高校生たちは、そんな大人たちの街を「しょぼい」と語り、「キティちゃんのランドセルはないんですか?」と口にした大人をじっと見ている。

ランドセルだけではない。イオンも、そして巨大製紙工場も、元を辿れば石巻の外から「やってきた」ものだ。やってきたものは、常に去っていく可能性を孕む。齊藤さんが語ってくれた「石巻のいいところ」は「やってきたもの」ではない。すべて昔からあるものだ。

次回は北上川を遡り、岩手県奥州市に3人の高校生を訪ねる。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)