都営バス一日乗車券の遊び方・・・「隅田川橋めぐりの旅」(後編)

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後編は、言問橋からスタートです。前編最後の白鬚橋との間には、X字型の歩行者専用橋、桜橋がありますが、バス停はあいにく「桜橋中学校前」で、橋そのものを指していないので割愛します。白鬚橋から両国行きの[墨38]系統に乗り、スカイツリー駅で上野公園行き[上26]系統に乗り継ぐと、ひとつ目が言問橋バス停です。
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直線的フォルムが美しい言問橋は、ゲルバー橋と呼ばれるトラス橋の一種で、震災復興橋として昭和3年に架けられました。なによりも「言問」の名が印象的ですが、これは在原業平の歌に因むとされ、架橋前からあった東詰の言問団子が、業平の故事から言問の名を最初に使うようになったといわれます。西詰側から見ると、橋の真正面にスカイツリーが聳え、視界からはみ出るほどの大きさで天を衝いています。
10言問橋の次は、浅草の玄関口となる吾妻橋ですが、こちらもバス停は「リバーピア吾妻橋前」があるのみなので割愛し、その次の駒形橋に向かいます。言問橋西詰の墨田公園バス停から[東42甲]系統に乗り込むと、左手に吾妻橋をやり過ごした後、駒形橋バス停に到着します。駒形橋も震災復興橋で、昭和2年の架橋です。水色のタイドアーチが美しい橋ですが、よく見ると中央部が下路式のアーチ橋、その両側に上路式のアーチ橋がつながる三連の橋になっていることがわかります。設計者の意図は不明ですが、上流の上路式の吾妻橋と下流の下路式の厩橋に挟まれ、その両方式を採用したと考えてもいいかもしれません。

この先、厩橋、蔵前橋、両国橋と、隅田川の代表的な名橋が続きますが、いずれもバス停が無いので、立ち寄るのはまたの機会としましょう。あくまでもバス停中心で橋を辿るのが、この旅の大命題です。厩橋にはかつて、橋を通過する[都02]系統に厩橋バス停がありましたが、平成12年の大江戸線開業の際「蔵前駅前」に改められ、貴重な橋名バス停がひとつ失われました。
11さて、次は新大橋です。駒形橋東詰の東駒形一丁目バス停から[門33]系統に乗り込み、森下駅で築地行き[錦11]系統に乗り継ぐと、すぐに新大橋バス停に到着します。隅田川下流部の橋というと、歴史的な風格を備えた重厚なフォルムが多い中、この橋は中央の鮮やかなオレンジ色の塔がシンボルの斜張橋で、昭和52年に架け替えられました。もとは隅田川3番目の橋として、「大橋」と呼ばれた両国橋に次ぐ橋の意で命名された歴史があり、明治45年に架橋されたピントラス式鉄橋の屈強な雄姿は、塔に設置されたレリーフで偲ぶことができます(現物の一部は愛知県の明治村に保存中)。
12次は清洲橋です。ここは新大橋から近いので、右岸の隅田川テラスをぶらぶら歩いて移動します。橋を通過するのは秋葉原と葛西を結ぶ[秋26]系統で、バス停は橋の西詰側にあります。清洲橋も震災復興橋で、昭和3年の架橋です。同時期架橋の永代橋が「帝都東京の門」と呼ばれた男性的な橋であるのに対して、清洲橋は「震災復興の華」と呼ばれた女性的な橋であり、流れるような曲線が美しい吊り橋構造は、ドイツのケルン市にあったヒンデンブルク橋をモデルにしています。橋名は両岸の町名から一字ずつとったもので、深川側の清住町は、昭和7年に「住」から「澄」に字を変更して現在に至っています。深みのある落ち着いたブルーの塗装が冬の青空によく映え、構造の美と色彩の美がうまく調和した、優麗な景観を創り出しています。
13次は永代橋です。[秋26]系統→清澄白河駅→[門33]系統→門前仲町→[東22]系統と乗り継ぐと、永代橋西詰側の永代橋バス停に到着します。永代橋は江戸幕府が隅田川に架けた4番目の橋で、江東区側の佐賀、福住、門前仲町あたりまでを古くは永代島と称したことが、橋名の由来といわれます。道路橋では国内初の鉄橋として架け替えられたのが明治30年で、ドイツのライン川を渡したルーデンドルフ橋がモデルといわれる美しいタイドアーチの外観は、「帝都東京の門」の異名にふさわしい力強いフォルムを見せています。かつてここは「大川口」と呼ばれ、佃島周辺の埋立てが進む以前の隅田川河口であり、永代橋は隅田川第一橋梁としての「顔役」を担っていました。

いよいよこの旅も終点が近付きます。この先は中央大橋、佃大橋と続きますが、いずれもバス停が無いので割愛し、最後の勝鬨橋へと向かいます。永代橋に近い新川二丁目バス停から深川車庫行きの[東15]系統に乗り込むと、勝鬨橋を超えて勝どき橋南詰バス停に到着します。当用漢字外の「鬨」が平仮名表記になっています。
14勝鬨橋が跳開橋と呼ばれる可動橋であることは、改めて説明の必要も無いでしょう。昭和15年の架橋で、日露戦争の旅順陥落からの命名です。かつてはおよそ20分間の跳開が一日5回の頻度で見られたといわれますが、船舶の通過量は年々減少し、昭和40年頃には年間100回に満たない跳開に止まっていました。船舶通過のための跳開は昭和42年が最後で、その後は年一回程度の試験跳開のみとなり、同45年が最後の跳開でした。近年、勝鬨橋の再跳開に向けた動きを耳にしますが、費用や交通量の問題などで実現は困難なようです。跳開部分を歩いて渡ると、車の通過に合わせて足元が小刻みに振動し、可動橋であることを実感することができます。

以上で、前後編2回に分けてお届けした「隅田川橋めぐりの旅」は終了です。18回のバス乗り継ぎで、全部で14の橋を訪ねました。こんなふうに一日乗車券を使って、オリジナル東京観光を楽しんでいる人、私以外にもきっとどこかにいると信じています。