『鈴木みのるの独り言100選』鈴木みのる/ベースボールマガジン社

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ものかきが本職ではない人が書く文章が、たまに強く印象に残ることがある。きっと普段は触れられもしないような言葉のツボを押されてしまうからだ。
たとえばプロレスラー・鈴木みのるの文章がそれだ。鈴木は専門誌「週刊プロレス」に1ページのコラム連載を持っていて、もう5年ぐらい書いている。その文章がときどき、すごいことになっているのである。

たとえば自身のコスチュームについて触れた回がそうだった。鈴木はリングへの入場時、タイツとシューズの他は身にまとわず、頭からタオルだけをかぶって出てくる。色は基本的にすべて黒。ときどき特別な試合のときに白。その理由を鈴木はこう書く。

ーー[……]ほかの色だと自分を表現するのにかえって邪魔になる。赤だろうが青だろうが蛍光色だろうが、モノトーン以外のカラーは闘いの中で表現できるから。

「モノトーン以外のカラーは闘いの中で表現できるから」!
これはびっくり。たしかにプロレスの試合にはさまざまな感情が盛り込まれる。喜怒哀楽、すべてを肉体で表現できるのがレスラーの強みだ。だが、0と100、メーターの針が極端に触れる白と黒だけはそれをすることができない。
おお、なんて自分を知り尽くしている人間の発言なのだろうか。
「週刊プロレス」連載をまとめた単行本『鈴木みのるの独り言100選』には、こんなふうに刺激的な言葉がたくさん収録されている。

プロレスファン以外の人はまったく知らないだろうが、鈴木みのるは「世界一性格の悪い男」とマスコミから言われている。予定調和的なコメントではなく、記者の勉強不足を皮肉ったり、決まりきった文句を馬鹿にするような物言いをしょっちゅうするので、最初は揶揄するような意味でつけられたと記憶している。だが、「世界一性格の悪い男」の言葉はいつも非常に理詰めで、感心させられることが多い。
たとえば鈴木は、自分が試合で最高のものを出したとしても満足するのは観客の60%だけだ、という持論を示してこう続ける。

ーーだからといって、その100人中60%の満足した人間を相手にして次の商売をしてしまうと、そのときに100人いたのが、次に来るのが60人になっちゃうんだ。それで60人の人間をまた満足させようと思って試合をしたら、60人のうちの60%、36人しか満足しなくなる[……]とにかく、すごい数で減っていくんだ。それを数回繰り返すだけで、自分を支持する人間が10分の1になる。

だから常に新規の客をつかまえるつもりで試合をしなければいけない、と鈴木は結論づける。
これ、すごく刺激的な考え方なんじゃないだろうか。
私は今「実券力」ということにすごく関心を持っている。プロレスなどの興行で実際にお金を払ってきてくれた人を「実券入場者」という。お金を払わないのが「招待券入場者」だ。本当のスターというのはこの「実券力」がある人のことを言う。タダで観られるならなんでも観るけどお金を払うなら絶対にいやだ、というファンがいくら多くても、それは本当の人気ではないのである。あの人のためにお金を払いたい、と思われてこそのスターだ。
その「実券力」をつけるために、私は足し算みたいな考え方をしていた。Aでこれだけファンを増やし、次にBでこれだけ、Cでこれだけというように、その場その場でファンを獲得できれば、単純に足し算で人が増えていくものだと思っていたのだ。しかし鈴木はそうではないというのである。単純な足し算ではなく、リピーターと新規の客を混ぜた100%のうち40%は逃げるものだと最初から考え、次回はその分を補充するのである。
なるほど!

鈴木の観客論でもう1つ感心したのが、観客がプロレスのために使うお金は何かという話である。
なんだと思いますか。
それは「余ってるお金」なのである。どうしても必要な金をプロレス観戦のような時間の経過とともに消えてしまうものに払ってくれるわけがない。余っているからこそ、払ってくれるのである。だからプロレスは夢の世界、非日常のものでなくてはいけない。
鈴木みのるはこのことを〈黒い呪術師〉ことアブドーラ・ザ・ブッチャーから学んだという。つい先日引退表明をしたが、ブッチャーといえば日本プロレス界を「悪役」として支え続けてきた名レスラーである。普段は肉を食べるのに使うフォークでテリー・ファンクの腕を突き刺し、血だるまにした試合は有名だ。そのブッチャーが鈴木に話した内容というのをここに紹介しておく。

「[……]フォークは何に使うものか知ってるか? そう、食事をする時に使うものだ。そんなもので人間のアタマを刺すなんて…非日常だろ? これを客はイヤだ、イヤだ、と言いながら喜んで見ているんだ。バイオレンスこそがプロレスだと思わないか? バイオレ〜ンス!」

日常用品のフォークで人間を突き刺すという非日常があるからこそプロレス。
この日常と非日常の対比は、いろいろな場面で応用ができるはずである。巻頭に鈴木と脚本家・内舘牧子との対談が収録されている。内舘は「優勝した力士が右に優勝杯を抱いて、左に子どもを抱いたりする」光景が嫌だ、という話しで鈴木の示したフォークの例を受けている。「え、どうしてそれが嫌なの?」と思ってしまった人は、ぜひこの対談を読んでみてもらいたい。内舘は話の受け役にまわるだけではなく、当然それを上回るような凄みも見せている。鈴木の文章にダメ出しをして「もっとよくするためのアドバイス」を与えるあたりはさすがにその道のプロだし、照れて韜晦を始める鈴木を逃さずに追いつめる粘り強さもある。さすが朝青龍にガチンコ勝負を仕掛けただけのことはあるわ。

想定されている読者は基本的にプロレスファンなのだろうが、私はジャンルの中よりも「外」にいる人のほうが本書から響く文章を見つけられるのではないかと思う。あとがきで鈴木は自分の文章について少し種明かしをしている。「文字が持つ印象をコントロール」するという狙いで文章を書いているというのだ。

ーー例をあげると、オレはほとんどファイティングポーズというボクシングの構えのような写真は撮らない。これには狙いがあり、見た人に「出来るだけ情報を与えない」という意図がある。カラダの格好から情報を得られなくても人は必ず顔を見る。そこでアノ目付きだ。そこに訴えたいコトを集約しているのだ。

なんという肉体言語!
おもしろいなあ。自分の文章で読者の気持ちを操ることができていない、と感じる人はぜひこの本を読むといいと思う。北斗百烈拳みたいにツボを押されまくるんじゃないかなあ。
(杉江松恋)