ハッキリとした言葉や意味になる前、その瞬間を切り取ってカタチにしたい

ハイパー学生のアタマの中 Vol.16

早稲田大学 高橋良爾さん

写真家・デザイナーとして挑戦する早稲田大学の高橋さん


■モノ作りは自分にとって、精一杯の存在証明だった

「自分で何かを作りたい、生み出したい」って思うようになったのは、“家”への反骨心が芽生えた、小学校2年生のころからでした。ちょうどその時期、父親の開業が決まり、わが家がとても立派な一軒家になったんです。新しい家に引っ越してから周りの目を集めるようになり、意味もなくたたえられたり、うらやましがられるのがイヤでした。家のことではなく自分がやったことで評価されたいという欲求が降り積もって、創作意欲へとつながっていったんだと思います。それから、いろいろな物のデザインを考えては、よくノートに書き込むようになりました。

小学校6年生になって、デザインするだけでは物足りなく思うようになってきました。試しにネットで調べてみると、個人の依頼も受けてくれそうな東京の工場がちょうど見つかって、思い切って、図面を送って発注したんです…。と言っても、アクリルの花瓶を4つだけだったんですけど。それに普通、図面ってミリ単位で記入するのがルールなんですが、あのころはまだ何も知らなくて、センチメートル単位で書いてたんです。今思い返せば、よく受注していただけたなぁ、相手の懐が深かったんだなぁ…としみじみと感じます(笑)。実際に制作されたものが届いたときには、本当に感動しました。職人の技はすばらしく、アクリルが想像以上に磨き上げられていて、とてもきれいで。うれしくなって両親や友達など周りに見せたら、「ふーん」とか「へぇ」とか、非常に薄い反応だったんですけどね(笑)。でも、不思議とそんなに気にならなかったんです。花瓶のできに、心底満足できていた自分がいました。「評価されたい」と思って始めたデザインでしたが、初めて自分がデザインしたものを手にして、「純粋に“いいモノ”を作りたい」という方向に変わっていました。

モノづくりの醍醐味を覚えた僕は、中学生になってもデザインを続け、そのいくつかを制作して楽しんでいました。それであるとき、陶器のコップを作りたいと思い立って、地元の業者さんに図面を送ったんです。あとで知ったのですが、そこは全国的にも有名なメーカーだったんです。しばらくして、先方のデザイナーさんから「うちは個人の発注は受けてないんですよ」という丁寧な断りと、「デザインの仕事に興味があるんだったら、一度遊びにおいで」というお誘いの返信を頂きました。これも、今考えると本当に運が良かったなと思います。後日、仕事場におじゃまして、現場をいろいろと見学させてもらいました。デザイナーさんは、商品製作の過程をたどりながら「商業デザインは、ただ“いいモノ”をデザインすれば良しというワケじゃない。それを、現実的なコストで商品にして世に送り出すために、製作の工程もまるごとデザインするんだ」と教えてくれました。この話に僕は大きな刺激を受けて、お金とデザインの関係についても意識するようになったんです。

写真を始めたのは、高校に入ってからです。1年生のときに大きく体調を崩して、体が思うように動かなくなってしまった時期がありました。運動はおろか歩くにも不自由になったことで、表現欲求が強くなり絵画を始めたんです。しかし、絵は本格的にやると1つ仕上げるのに時間がかかり過ぎて、自分の性にはどうも合いませんでした。ほかに何か手段はあるかなと考えをめぐらせているとき、たまたまTVでカメラのCMが流れているのを見て、「これだ!」と感じたんです。すごく安易だったんですが…写真なら、一瞬で絵を切り取ることができて、一石二鳥だと(笑)。それで、すぐに一眼レフのカメラを衝動買いしました。

そして、この写真の方面でも、貴重な出会いに恵まれました。高校1年生の2月くらいに、写真を撮り始めてから度々通っていたギャラリーカフェで、世界的にも有名な写真家の東松照明先生に遭遇したんです。思い切って自分の撮った写真を見てもらったら、気に入ってくださって。それをきっかけに、先生に事務所で写真の加工の仕方を教えてもらったり、ときには撮影に同行させてもらったりするようになったんです。先生は常日ごろから、「新しいことに挑戦していきなさい」とおっしゃっていました。この言葉は、今の自分の創作活動の指針になっています。


■思いついたら動いて、作って、人に見せる。すべてはそれから始まる

大学なんですが、本当は美術系の学校に行って、写真の勉強を専門的にしたかったんです。だけど、「それでは将来食べていけなくなる」と親の反対にあって。我を通し切ることができなかった僕は、「とりあえず東京には出られて、親も納得して、少しはアートにかかわる勉強ができそうなところは…」と探して、早稲田の建築学科を選びました。

建築ってスマートなイメージがあって、授業も楽だと思っていたんですが、現実はそんな想像とはかけ離れていました。月曜から金曜まで毎日5コマの授業に、週2で出される大量の課題、大学に泊まりこんで連日の模型製作…まさか徹夜続きの日々が待っているなんて(笑)。最初の2年間はとにかく勉強についていくのに精一杯で、本来自分のやりたい写真やデザイン活動にほとんど時間が取れませんでした。

2年生も終わりかけたころから、「このまま学校ばかりに縛りつけられてはいけない!」と危機感を覚え、学外での活動にいろいろと参加するようになりました。そして、知り合いのデザイナーさんの展示会の手伝いに行った際に、エンジニアの田中章愛さんと出会いました。しばらくたって、一緒にモノづくりしようという話になり、デザインプロジェクト「Vitro」が立ち上がりました。

Vitroでは基本的に、二人でコンセプトなどを詰めてから、僕がデザインしたものを田中さんが形にする、というスタンスで創作活動をしています。まず初めに、線香花火をモチーフにした照明器具を作りました。作ったからには、人に見てもらいたいと思い、DESIGNTIDE TOKYO 2011の展示受付に応募しました。どんなに良いアイデアを思いついていても、それを形にして誰かに見てもらわないと、そのアイデアの良さは伝わらないんですよね。現に、DESIGNTIDE出展以降、周りからの評価がガラリと変わりました。自分の考えが、実績を得たことによって肯定されるようになったんです。社会的に認められたことによって、自信が持てるようになり、忘れかけていた「純粋に良いものを作る」という自分の原点に立ち戻ることができました。

これをきっかけに、学外での写真やデザイン方面の活動も、積極的にやっていけるようになりました。ニューヨークでの写真の個展も、入っていた写真部で公募が回ってきて、応募したらすぐに決まったんです。自分からアクションを起こさなきゃ何も始まらないんだと感じました。

なんだかんだ言って、大学での建築の勉強も、今の僕の大切な基礎になっています。今でも課題の多さには苦労しますけど(笑)、こなした量はそのまま製作やプレゼンテーションの質につながって生きているな、という実感はあります。建築にデザインに写真…いろいろな活動でいろいろな価値観に触れて、それぞれの表現がなんとなく本質に近づいてきたような気がしています。

今、制作したいのは「解釈の余地」があるものです。例えば、単純に“キレイ”だったり、“面白い”だったり、“なんかよくわからないけどイイ”という感じを出したい。淡々と、押し付けがましくないものを作りたい。それを見た人や触った人が同じような感想しか言わないのではなくて、人それぞれに別々の何かを感じさせるものであってほしいと思います。

これからの進路については…あまり深く考えてません(笑)。自然な流れに身を任せようと思っています。Vitroの方で仕事の依頼も少しずつ入るようになったのですが、就職も視野に入れてます。

ただ、将来的にはフリーランスとして、自分の名前で仕事をして食べていけるようになりたいです。これまでの経験を通して、デザイン・アート方面で生きていく自信は少しついたんですが、一人でやっていくにはまだまだ足りないので、もう少し修業したいです。ただし、流れと言ってもなんとなく流されるわけではなく、主体的に選んだ方向に流れようと心に決めています。自分の選択を信じて、これからも新しいことに挑戦し続けようと思っています。