アップルストア銀座店でのイベント「東北の高校生が未来を語る」にて。右端が廣野秀幸さん。

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■銀座で出合った高校生

この連載のきっかけは、8月最後の日曜日、東京・銀座のアップルストア銀座店だった。ここで行われた「東北の高校生が未来を語る」というイベントを覗きに行った。それまでこちらは、ソフトバンク及び孫正義個人が被災地支援をしていることは知っていたが、「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」のことは何も知らなかった。会場では岩手、宮城、福島から2人ずつやってきた高校生が、7月22日から8月12日までの3週間訪れた合州国での経験を語り、これからやっていきたいプロジェクトをプレゼンテーションし、将来どんな仕事に就きたいかを話していた。

■300名の仲間と3週間の留学体験をした東北の高校生たちがiPadを使って未来を語る | Impress Innovation Lab.
http://i.impressrd.jp/e/2012/10/01/1233

そこで「数学の先生になりたいです」と話していたメガネ男子が、岩手の港町・大船渡からやって来た廣野秀幸(ひろの・ひでゆき)さんだった。「TOMODACHI〜」の3週間で彼に「先生」というあだ名が付いていたことをこちらが知るのは、もう少し先のことになる。

廣野さんが暮らす大船渡市は、1952(昭和27)年に大船渡町、盛町、周辺5村が合併して誕生した。人口のピークは1980(昭和55)年の5万人。2001(平成13)年には三陸町を編入し、現在は人口4万人の市となっている。大船渡港は岩手県一の漁獲高を誇る漁業の町であり、太平洋セメントの巨大工場を抱える工業の町でもある。「東北の港町」という字面だけで、ひなびた風景を想像してしまう人には、大船渡港が、5万トンの巨大豪華客船「飛鳥II」が寄港接岸する近代港湾なのだと認識して戴きたい。

大船渡は実業の町でもある。2006(平成18)年には地元企業の共同出資で「大船渡国際港湾ターミナル協同組合」が設立され、公共コンテナターミナルのクレーンを民間資金で設置した。通常は自治体が設置するものだが、岩手県には予算がなかった。県との会合で「もういい。俺たちで買う」と当時の大船渡商工会議所会頭が宣言したことは、地元経済界ではよく知られている。港の経済を回しているのは、水産加工や物流会社など12社のコングロマリット「大船渡湾冷グループ」(通称「ワンレイ」)。1961(昭和36)年に創業し、現在は従業員数約1100人、15店舗を展開する三陸有数のスーパーマーケット・チェーン「マイヤ」も大船渡発祥だ。モスバーガー創業者・櫻田慧の出身地でもあり、「バーチャファイター」生みの親であるセガ(当時)のゲームディレクター鈴木裕もこの町で育っている。

だが、自前で買ったコンテナクレーンも、1960(昭和35)年のチリ地震津波後につくられた巨大湾口防波堤も、今回の津波で破壊された。太平洋に面した旧三陸町の綾里(りょうり)湾では津波遡上高24メートルを記録した。市全体で死者340人。行方不明者80人。全壊住宅2787棟。

「自宅は津波に流され、現在は仮設住宅暮らしです」と話す廣野さんに話を聞いた。

■自分にはこういうこともできるのかもしれない

廣野秀幸さんは、岩手県立大船渡高等学校2年生(理系クラス)。将来は中学校の数学の先生になりたいと考えている。

「とりあえず今のところは先生です。でもアメリカ行って考えが変わったというか、自分の見てる世界が狭すぎたというのがわかったんで、国際と教育と数学をかけて、何かやってみたい。高校1年生の時に奨学金の作文で『将来の夢について書け』っていう題材で、特にやりたいこともなかったというか、わかんなかったんで、何となく『先生になりたい』って書いてたら、それが自分の理想像みたいなものになってきて。地方の教職採用は競争倍率が高いって聞いてます。東京の方が、もっと簡単らしくて。簡単って言ったら変ですけど。なんか東京のほうはモンスターペアレンツとか多くて、辞める先生多いって聞いたし」

教職志望者の親が教職という例は少なくないが、廣野さんの親御さんが教員というわけではない。

「お父さんは、大船渡の漁場市場とか、病院とかをつくっている会社に勤めてたんですけど、今は別のところで働いてます。震災で仕事がなくなったわけじゃないです。お母さんは子ども相手の読み聞かせのボランティアグループで働いています」

アップルストアのイベントで廣野さんは「人が集まりやすい空間の提示」と題したプレゼンテーションを行った。今、大船渡の学校の校庭や公園は、そのほとんどが仮設住宅に使われている。子どもの遊び場がない。それは読み聞かせを続けてきた廣野さんのお母さんの実感でもあるのだろう。廣野さんは自分が見たサンフランシスコの公園が、単なる広場ではなく、アート作品を置くことで、その町で暮らす人たちが集まり、楽しむ場になっていることに気づいた。こういう場を大船渡につくることはできないだろうかと考えた。

9月、大船渡でインタビューを始める前、廣野さんたち大船渡高校の生徒何人かは、プレハブ建ての復興商店街2階にある会議室で、まちづくりのワークショップに参加していた。

「ワークショップで自分の撮ってた写真の感性褒められたんで、写真家っていったらあれなんですけど、そういうのにも興味出てきて、やってみたいなと思いました。褒められると、嬉しいです(笑)」

自分にはこういうこともできるのかもしれない。廣野さんの「発見」は大船渡に帰ってきてからも続いている。合州国での発見も「人が集まりやすい空間」だけではなかった。廣野さんは「TOMODACHI〜」のプログラムで、現地で働く日本人の数学教師に会って話を聞いている。

(次回に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)