大谷翔平が、日本ハムに入ったことについて、世間はわりと平静である。誠に喜ばしい。世の中の成熟を見る思いだが、同時に大谷、日本ハムともに正しい手続きを踏んでいたことも大きい。

大谷は10月25日のドラフト会議を前にした21日にMLB行きを表明、これに対し23日に日本ハムは大谷をドラフトで強行指名することを宣言した。
そして25日に日本ハムは宣言通り大谷を指名、以後、フロント、監督が大谷と4度の交渉を重ね、指名受諾にこぎつけたのだ。
日本ハムが、ドラフト前に強行指名を宣言していなければ、世間は日ハムと大谷の間に「密約」があったのでは、と疑ったことだろう。

1985年、早稲田大学に行くと宣言していた桑田真澄を、巨人はドラフトで指名、桑田は「巨人に行かないと言ったことはない」と開き直ってすんなり入団した。この時は桑田の僚友の清原和博が巨人入りを熱望していたこともあって、世間は「密約説」を唱え、巨人、桑田を非難した。桑田、清原の遺恨はここから始まったとされる。
巨人は、ドラフト前に「桑田指名」を公表せず、他球団に指名をあきらめさせておいて、抜き打ち的に指名したことで、世間の非難を浴びた。日本ハムはこの轍を踏まなかった。

もちろん、それでも「密約」の可能性は払しょくできない。大谷側と日本ハム側が示し合わせて芝居をした可能性もなくはない。
しかし、日本ハムの強行指名の報を受けてからの大谷の困惑、そしてその後の、雪解けのような交渉の経緯を見ていると「密約」はなかったのではないかと思われる。
一生の岐路に立って大きな選択をした大谷と、会社を挙げて説得した日本ハム、ともに真っ当だったと言えよう。

日本ハム側は、大谷に対し、懇切丁寧な資料を提示したという。すでに9月から準備をしていたそうだが、KBOを経ずに直接MLBに身を投じた韓国人選手がことごとく失敗したという事例を紹介(秋信守を除いてということか?)。また、MLB挑戦の夢を持っている大谷に、日本ハム入団以後のステップも示したという。その資料を見てみたい。
ドラフトにかかった選手と球団の交渉はかくあるべしと思う。
日本ハム側は大谷の投手としての能力に若干不安を覚えているようで、投手、打者両方での育成を考えているという。どこまでも慎重だと思う。

NPB側は胸をなでおろしただろう。ただし、NPBとMLBの関係は、このままで良いわけではない。今や、野球少年の目標は日本のプロ野球ではなく、大リーグになりつつある。NPBを経由しなければMLBには行けないという現行ルールを理不尽に思う子どもは出てこよう。また、NPBでは通用しなくともMLBでは通用する素材もいるかもしれない。
野球少年の可能性の選択肢は、自由であるべきだ。

NPBのドラフト制度とMLBとの関係は、きっちりと整備されなければならない。今は、ドラフトを経ずにMLBに行った選手は、日本に帰ってきても高校生は3年、大学、社会人は2年間はNPBに入れないことになっている。
NPBとMLBは、外国人選手の交流や技術交流を行っている。NPBはMLBの背中を追いかけてやってきたのだ。そういう間柄でありながら、人材流出に対しては、あたかも「足抜け」「裏切り者」のような措置を取るのは理不尽だ。



昨日、野村克也氏は番組で「18歳の若造が伝統ある日本のプロ野球をナメている。何がメジャーだ。いい加減にせい、と腹立ってしょうがない」といった。
心得違いも甚だしい。やくざのシマじゃあるまいし、日本で野球をする若者は、すべてNPBの縄張りで大人しくしなければならない、という決まりはない。能力があって、気持ちがあるなら世界へ雄飛すればいいのだ。事実、野茂英雄やイチローなどの活躍は、どれだけ我々ファンを喜ばせた事か。(以下続く)