2012年3月、ケータイの普及率は101.1%、初めて一人一台を超えたと総務省が発表しました。もはや、ケータイを持つのが"当たり前"の時代。本書は、その当たり前の感覚に疑問を投げかけます。「ケータイを持たない、世界で最後の一人になりたい」と願う、硬骨のジャーナリスト斎藤貴男氏が、自身のケータイを持たない理由をさまざまな面から検証します。

 公衆電話の大幅撤去などにより、ケータイを持たないと仕事や生活に支障が出るという状況に追い込まれている現状。これを著者は、「NTTが自らの公共性を放擲し、インフラの端末は個人のケータイに委ねられている」、つまり、ケータイの携帯はもはや義務になってしまったと論じています。

 本書ではその理由がいくつか挙げられていますが、大きく分けると2つ。一つは、ケータイを使う側のモラル欠如による危険性です。自動車運転中のケータイ操作から起こる事故の増加、ケータイからの書き込みによるいじめ問題などの例が挙げられます。これらはケータイによって、あっけなくさらけ出されてしまった人間の弱さだと嘆き、個人のモラルに頼るにはケータイは危険すぎると指摘します。

 もう一つの理由は「ケータイに操られるために生きているのではない」ということ。たとえば、GPS機能によって、その人の位置情報から、ピンポイントのメッセージが届けられます。ケータイが知らせくれたところで食事をしたり、休憩したり、そんな経験をした人も多いでしょう。私たちはこういうことを「便利」ととらえがちですが、見方を変えれば、店選びにも自由がないということ。ケータイの背後にいるマーケッターの思惑どおりになっていると著者はいいます。

 そして斎藤氏は、土日はケータイの電源を切るなど、「休ケータイ日」を設けることをすすめています。ケータイに操られず、支配されずに生活すること。そこから見えてくるものがありそうです。



『私がケータイを持たない理由(祥伝社新書292)』
 著者:斎藤 貴男
 出版社:祥伝社
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