フィギュアスケートのNHK杯(11月23日から25日)でGP(グランプリ)シリーズ2勝目を挙げた羽生結弦(はにゅうゆづる)が、最終日のエキシビションの演技前に明かしたのは、ケータイ電話を持っていないという今どきの高校生らしからぬ一面だった。

「持ちたいとは言ったけど、今はスケートに集中するときだからという両親の方針というか……。自分は流されやすいタイプだし、昔から『スケートに集中しろ』と言われていたから、僕もそのほうがいいかなと思ったんです」

東北高校(宮城県)に在学中の高校3年生。友人への連絡が不便ではないかという質問にも、「友達がいないというわけじゃないですが、スケートをやっていると連絡する用事もそんなにないから」と言って笑わせた。

羽生は中学1年で格上の全日本ジュニアで3位になり、翌シーズンからは全日本ジュニアを連覇、2009〜10年シーズンはジュニアGPファイナルを史上最年少で制して世界ジュニアも優勝。シニア初シーズンの11年は四大陸選手権2位で男子の史上最年少メダリストになった。中性的な容姿としなやかな表現力ばかり注目されるが、「どうせなら盒供並臺紂冒手や小塚(崇彦)選手が絶頂期のうちに倒したい」と口にする熱い一面も持つスケーターだ。

そんな羽生がもう一段成長したのは昨季だった。東日本大震災で拠点の仙台のスケートリンクが営業を停止したため、神奈川県を仮の拠点にしてアイスショー出演を練習代わりにした。その逆境を逆手に取り、「観客がいるところで4回転ジャンプを跳んでいる数は、僕が一番だと思う」と自信をつけた。“きれいに降りる”4回転ジャンプを武器に、3月の世界選手権ではSP(ショートプログラム)7位発進と出遅れるも、フリーで挽回して銅メダルを獲得した。

「震災後、テレビなどで多くのスポーツ選手が『勇気を与えたい』とメッセージを発信するのを見て、自分もそういう立場にならなければいけないと感じました。仙台の街を歩いていると、『頑張ってください』と声をかけてくれる人もいて、自分はそういう人たちにも支えられているんだから、恩返しをするためにも結果を出さなければいけないと思ったんです」

そう話す羽生は、世界選手権のメダルにも満足しなかった。2014年のソチ五輪をにらめば、日本のフィギュア男子は世界一競争が厳しい。それを勝ち抜いて五輪の舞台へ立つためにとカナダに新天地を求め、キム・ヨナ(韓国)を指導したブライアン・オーサーに師事している。だが、それはただ単にヨナを育てたコーチというだけの理由ではなかった。

「僕がまず求めたのは4回転ジャンプなんです。一緒に練習できるハビエル・フェルナンデス(スペイン)の存在が大きかった。あれだけコンスタントに4回転を跳んでいる彼から、刺激を受けて成長できると思ったんです」

そんな思いとは裏腹に、カナダでまず指導されたのはエッジの使い方など滑りの基本だった。だが、それも土台づくりのために必要なことだと納得して取り組んだ。その成果はすぐに出た。持ち前のしなやかさに加え、緩急のメリハリと力強さもある滑りになり、表現力の幅も広がったのだ。そして、昨季は「緊張してしまう」と失敗を繰り返していたSPで、今季はスケートアメリカとNHK杯の2戦連続で世界歴代最高得点をマークするという結果を出した。

滑りでこれまで以上に筋肉を使うようになったために4分30秒間演技するフリーはスタミナが不足して2戦ともミスを犯している。だが、それも時間が解決するはず。

「カナダへ行ってスケートに対する概念が変わったし、これまで意識していなかったストレッチや体のことも考えるようになった」

そう語る羽生。12月に18歳になる今季はどこまで進化するか、目を離せない状況になってきた。

(取材・文/折山淑美)