大槌町江岸寺(こうがんじ)前の電信柱。高さ2.5メートルの位置に印が付けられている。(撮影=東 紗紀)

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■ 大槌-仕事場は求人票が来るところ

大槌高校2年生の東紗希さん。志望はケアマネジャー。仕事に就いたとき、どこで暮らしていると思いますかと訊く。

「釜石、大槌、宮古、遠野。最初は家から通って、お金が貯まったらひとり暮らしをしてみたいです」

釜石は大槌の南隣。宮古は海岸沿いに車で北へ約1時間。遠野は釜石からJR釜石線で約1時間。確かに通勤可能な範囲だろうが、ずいぶんと具体的に地名が上がるのはなぜか。

「大槌高校に求人が来るところだから」

東さんは屈託ない表情で答えたが、こちらは少々うろたえた。求人票が来る範囲が、彼女の進路を自動的に限定しているということではないか。そのことを東さんに言ってみたが、彼女の屈託のない表情は変わることはなかった。

「かさ上げの目安の写真は、江岸寺(こうがんじ)前の電信柱にはってあるものです。江岸寺は津波の被害をうけたけれど、現在は仮設のお寺を建ててやっています。この他にも、町内の電柱何カ所かに同じものが貼ってあります。震災の影響により大槌を離れてしまった方に、大槌がどのように復興するのか(どのくらい、かさ上げするのか)、どんな復興計画なのかを知って戴きたい。そう思いました。『何メートル』という数字を聞くよりは写真を見た方がわかりやすいと思います。いつか、また大槌へ戻ってきてもらえるように、震災を風化させないように沿岸の私たちに出来ることをしていきたいです」

取材後に東さんから送られてきた写真に添えてあったことばだ。

この連載では、現地取材を終えたあとも「TOMODACHI〜」に参加した高校生たちと、Facebook 上に開設されたグループで連絡を取り合っている。そこに東さんが大槌の今の写真を載せていた。被災地の現状がよくわかる写真だったので、こちらからお願いしてさらに何点かを撮影してもらった。大槌編に掲載しているのは、「『何メートル』という数字を聞くよりは写真を見た方がわかりやすいと思います」と考え、自分が暮らす町に、かつて暮らしていた人たちに届けたいと考える高校生から、そうやって送ってもらった写真である。

■大槌—ほんとうはここを出たくないけれど

菊地真央(きくち・まお)さんは普通科1年生。バレーボール部(女子)に所属している。ポジションはセンター。「私が住んでいるのは山のほうなので、震災前、震災後も家は変わっていないです」。父母共に家の近くの老人ホームでケアマネジャーの仕事をしている。「明日で4歳」という妹がひとり。菊地さんは、まだ具体的になりたい職業を決めていない。

「なりたい職業がありすぎて……。震災のときに女性自衛官を初めて見て、かっこいいなあと思って学校の先生に話したら、調べてくれたんですけど、どうも訓練がきつそうだと思って諦めました。中学時代はヘアメイクの仕事がいいなと思って、中学3年の時は通訳になりたいと思って、高校生になって『進路ノート』見たら仕事がありすぎて……」

「進路ノート」とは、高校で学年別に用意されている50ページ程度の副教材だ。LHR(ロング・ホーム・ルーム。他の科目と同じように時間割の枠を1つ使って行われるホーム・ルーム)や総合学習の時間に、生徒が進路を考える手がかりとして使われている。

この取材を通して感じたことのひとつが、同じ高校生でも1年生と3年生では、なりたい仕事のイメージ、その具体性にずいぶんと違いがあるということだ。菊地さんの迷いは1年生としては珍しいことではない。そして高校生の1日1日はめまぐるしく、かつ、濃密に変化する。取材から2カ月経ったころにメールで、その後、なってみたい仕事が出てきたかと訊いてみると、菊地さんはこう返事をくれた。

「知っている先輩が美容関係の仕事をしていたり、本や雑誌を見たりして、最近は美容関係の仕事に興味があります」

「進路ノート」の情報量を多いと感じた菊地さんは、取材時にこう言っていた。

「今年中には決めたいです。学校の先生の話や本だけじゃなくて、その仕事に就いている人に会って話を聞いてみたい」

菊地さんが必要としているのは、職種のカタログではなく、「深さ」と考えればいいのかもしれない。実際にその仕事をしている人間が、目の前で話し、答える「具体的な、自分の仕事の話」。このことばの背景を、この連載の中では繰り返して書くことになる。「TOMODACHI〜」には、現地で働く日本人に会い、その人たちの仕事の話を聞くというプログラムがあった。それは、被災地から来た300人の高校生たちに「大人から仕事の話を聞く。大人に仕事の話を質問する」という体験を持たせた。ありていなことばを使えば、視野を広げたと言えるだろう。その意義の大きさを、こちらは取材者として体感した。高校生相手に仕事の話を聞くという取材が成立できたのは、ひとえに彼ら彼女らが、仕事とは何かということに、渇望に近い興味を強く持っていたからだ。

(次回に続く)

(オンライン編集部・石井伸介=文)