懐かしの「パーティジョイ」!

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アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る! 

 ガンダム、キン肉マン、スーパーマリオといった人気キャラクターや、探偵、怪談、冒険など子ども心をくすぐるテーマで作られたボードゲームを、わずかB5サイズのボックスに凝縮した「パーティジョイ」シリーズを覚えている者は幸せである。心豊かであろうから……。

 というわけで、今回振り返るのは、株式会社バンダイが80年代初頭から90年代初頭にかけて発売していたボードゲーム「パーティジョイ」シリーズだ。1000円というお手ごろな価格や、さまざまなテーマや題材をありとあらゆるアイデアでゲーム化した「パーティジョイ」シリーズは、およそ10年の歴史の中でなんと130タイトル以上も発売。ボードゲームのブランドとしては驚異的なロングランシリーズとして、僕たちを大いに楽しませてくれた。

 今回はそんな「パーティジョイ」シリーズ初期から終焉まで、数多くのタイトルを制作していたひとりである野村紹夫氏に「パーティジョイ」の裏話を聞いてみた。

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■白熱のゲームを生み出した、「本気」の制作現場

 野村氏がまず見せてくれた代表作は「キン肉マン」シリーズ。厚紙で実際にリングを組み立てて、その上でプレイヤーたちが火花を散らす……という「キン肉マン・ザ・ファイナル・ウォーズ」や、縦に伸びる立体的な盤面が特徴的な「キン肉マン・地獄のタイトルマッチ」など、単なるすごろくゲームと言い切ることのできない、原作のテイストを多分に盛り込みつつ、ビジュアル的に楽しく、何よりプレイヤー同士の熱い駆け引きを実現したタイトルばかりだ。

 「パーティジョイ」シリーズの魅力といえばコレである。「パーティジョイ」シリーズには、原作のテイストを盤上に再現するべく、ただのすごろくに終わらない制作者の創意工夫と熱意がこれでもかとばかりに凝縮されていたのだ。そんな懐かしさと色あせないゲームの魅力に満ちた「パーティジョイ」シリーズに野村氏が関わるようになったのは、20番の頃からだそうだ。

「最初は参加していなかったので分からないのですが、シリーズ20番くらいから100番あたりまでは非常に盛り上がってましたね。売り上げも比較的良かったですし、バンダイの担当者の方も本気でしたから、中途半端なものを持っていったら『ふ〜ん、こんなもんか』って鼻で笑われてしまうんです。その顔が見たくないからこっちも本気でやるという感じで、必死で作りましたね」

 野村氏は、当時を懐かしむようにそう語る。そんなゲーム好きなスタッフ同士のガチンコのぶつかり合いから「パーティジョイ」は生まれていたそうだ。

「『パーティジョイ』を指揮していたのはバンダイ栃木工場で、実際に制作を受け持っていたのは自分が当時働いていたM社(今はもう存在していない)とS社の2社でした。聞いた話では、S社は1つのゲームをチームで担当するスタイルで、主に正統派なすごろくゲームの発展型を作っていたのですが、うちは基本的にひとり1タイトルずつ担当していました。だからなのか、わりと作家性の強い、実験作みたいなものが多かったと思います」

 そんな「パーティジョイ」のリリースペースは、ほぼ月1〜2本というハイペース。必然的にゲームの制作ペースも早くなる。

「同時にいくつも並行していたので正確なところは分かりませんが、概ね3カ月かからないくらいで1本作っていました。ゲームを出そうという企画が立ち上がって最初の1カ月以内にゲームルールと説明書原稿を作って、次の1カ月でデザインから版下までを作って、最後の1カ月で生産という流れでした。何かウケそうな話題があれば、とりあえずそれで『パーティジョイ』を出すという雰囲気はありましたね。『パーティジョイ』って、そのキャラや題材が売れるかどうか、様子を探る斥候みたいなもんだったんですかね」

 「パーティジョイ」に携わっている期間、野村さんは年がら年中ゲームばかり作っていたという。


■最大のライバル「ファミコン」の出現

 野村さんの思い出の作品は、1984年に発売された、初めてひとりで制作したというオリジナルタイトル「日本全国ミケ猫トマトの配達屋さんゲーム」だそうだ。宅配ドライバーになったプレイヤー同士で荷物を奪い合い、目的地に届けるというシンプルながらエキサイティングな内容は、社内でも非常に高い評価を得たらしい。本作のキモは、なんといっても「ギリギリの駆け引き」だそうだが、その精神はほかのタイトルにも息づいている。

 当時、急激に勢いを増しつつあったファミコンを題材にしたゲームも多数制作されたそうだが、その中でも特に自信作なのが、同名のファミコンゲームを題材とした「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」。妖怪が左右から襲ってくるというスピーディな横スクロールアクションゲームをボードゲーム化する際、野村氏はほかのプレイヤーが振った目で妖怪も動く、というアイデアを盛り込んだ冒険ゲームに仕上げた。

 その結果、自分以外のプレイヤーの番でも目を離すことができないという、原作のゲームとはひと味違う非常にスリリングな展開が可能となった。

「ファミコンはファミコンだから面白いんです。ただマップを進んで敵がいたから倒しました、というボードゲームにしても面白くならない。だから、絶対に目を離せない恐怖に駆られるゲームを作りたかったんです。一晩中ファミコンをプレーして、鬼太郎の“怖い”ってなんだろうというのを考え抜いて、ゲームで出せる怖さを追求しました。そんなふうにボードゲームならではの面白さを出すために、題材とするファミコンゲームとは異なるテイストに変えさせてもらうこともありましたね」

 ボードゲームを作る上でのこだわりとプライドが感じられる一方で、こんな言葉も飛び出した。

「ボードゲーム屋としては、そもそもファミコンに負けるっていうのは分かっていました。80年代半ば頃には、すでにボードゲームは時代遅れだったんです。そんな中でコンスタントにシリーズとして発売していたのはバンダイくらいで、ほかのメーカーはそんなに力を入れているわけではない。やっぱり紙ものってそんなに高級感もないし、いざとなったら自分でも作れるだろう、みたいな意識があったのか、バンダイ社内でもそんなに評価はされてなかったですね。むしろ、ファミコンにいつまで対抗できるかという勝負なところはありました。ただ、バンダイの歴代担当者にどれだけ情熱があったかはわかりませんが、我々は1本1本に誇りを持って作っていました」

 そんな敗色濃厚な戦いに挑んだ野村氏をはじめとする「パーティジョイ」スタッフだが、シリーズはファミコン全盛期の80年代を生き抜き、スーパーファミコンの時代となった90年代初頭まで存続。結果的に次世代ゲームの時代まで孤軍奮闘し、ひっそりと終焉を迎えた。

「たぶん対抗できていたのは85〜86年くらいまでではないですかね。ただ、ファミコンはひとり1台買えば楽しめましたけど、『パーティジョイ』は1個あれば最大4人遊べますから。そういう意味では、売れた個数「×4」でカウントすれば、いい勝負をしていたと思います(笑)」

 そう野村氏は、激戦を戦い抜いた戦士のような穏やかな口調で語った。


■「パーティジョイ」の終焉と、その後

 ドンジャラやルーレットゲームなど、その他大勢のパーティゲームとは一線を画すブランドとして存続していた「パーティジョイ」だが、次第にこだわりを持つ関係者が減っていったことや市場の縮小、バンダイ側も含めた体制の変化もあり、シリーズは「すーっと終わっていった」そうだ。

「ファミコンなんかのデジタルなゲームに押されるボードゲームの火を絶やさない、なんて意識もありましたけど、独りよがりですよね。実際、世の中にボードゲーム待望の空気はありませんでした。作っている僕らはボードゲームが好きだし、子どもたちからも『パーティジョイクラブを作りました』というお便りをもらったこともあるくらい手ごたえはあったのですが、だんだんそういう子たちも卒業していって、ファミコンで育った子達と世代交代して『パーティジョイ』なんか知らない子たちが増えて、やがて消えていくんだろうなと、そういう意識の中であがいてました」

 そんなボードゲーム愛と確実に存在するユーザーへの思いを糧に、「パーティジョイ」を作り続けた野村氏だが、現在もボードゲームを追いかけているゲームファンから「当時遊んでいた」という声をもらうことがあるそうだ。

「当時僕たちがつけちゃった火が、まだくすぶっている人たちが多くいるんですよね。当時、他社は簡単なすごろくばっかりだったんです。でも、マスに止まったらそれっぽいことが書いてあるだけっていうのが、すごく嫌だったんです。『キン肉マン』のゲームならキン肉マンになりたいんであって、お話をマスでなぞりたいんじゃない。だから安易なすごろくは作らないと心に決めていました。ただ、周囲の一部から、子どもには難しいんじゃないかとか、もっと単純にしないと面白くないんじゃないかとは言われていましたね。そういう言葉に必死に抵抗していたのですが、今になって『やっぱりこだわってよかった』って思います。あれがただのすごろくだったら、今まで引っ張ってもらえなかったと思います。大人げないですけど(笑)」

 野村氏を含むゲームデザイナーたちが、さまざまな相手と戦い生み出した数々の「パーティジョイ」の魂は、今も多くのゲームファンの心に焼き付いているのだ。

 現在、大手玩具メーカー以外にもインディーズ系のメーカーや同人サークルからさまざまなタイトルが発表され、密かに盛り上がりつつある日本国内のボードゲームシーンだが、その源流はもしかしたら「パーティジョイ」にあるのかもしれない。

 取材の終盤、今はボードゲーム制作からは遠ざかっている野村氏に、今後再びボードゲーム制作に挑戦する予定はないのかと尋ねてみた。

「自分も、またゲームを作ろうかなと思っています。去年から考えてはいるんですけど、仕事が忙しくて……。ただ頭の中ではアイデアを温めています」

 この盛り上がりを知る野村氏も、ボードゲーム熱が再燃しつつあるようだ。その日を待ちながら、久しぶりに友達と顔を突き合わせて「パーティジョイ」でガチンコ勝負するのも一興かもしれない。
(文=有田シュン)


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