代表作「立てる像」、1942年

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終戦後まもなく36歳の若さで亡くなった洋画家・松本竣介の足跡をたどる「生誕100年松本竣介展」が、東京の世田谷美術館で開かれている。亡くなる直前までの油彩約120点、素描120点、資料などが展示されている。かつて、「戦争画」を描くことを求めた軍部に異を唱えた「抵抗画家」としても知られる松本の画風は、どんなものなのだろうか。

大きく4つの時代・内容に分けて展示

展示の特長は、時代ごとにめまぐるしく変化する松本の画風を大きく4区分して鑑賞できるようになっていることだ。構成は、「前期」(1927年〜1941年頃)、「後期:人物」(1940年頃〜1948年)、「後期:風景」(1940年頃〜1947年)、「展開期」(1946年〜1948年)と分かれていた。

表示されていた説明文などによると、松本竣介は13歳のときに脳脊髄膜炎のため聴力を失ったことがきっかけの1つで絵を描き始める。1935年に第22回二科会展で「建物」が入選。都市や人物をモンタージュで描いたことで知られる。

「前期」の作品から見ていくと、画家を目指し始めた松本が描いた最初期の作品のほか、画風が決定的に変化する前までの作品が並ぶ。1940年に発表された「都会」は、東京の躍動感や新しい時代を感じさせる作品として知られる。確かに、ビルらしき建物がどんどん増えてきて、絵を飛び出してまで増えていくのか、といった迫力を感じる絵だった。

「後期:人物」には、松本の転機となった1940年の個展以後に制作された人物画がまとめられている。この時期を境に画風は大きく変貌を遂げ、代表作の「立てる像」を中心とした自省的な作品が多い。「後期:風景」に入ると、それまで街を喧騒として描き出した風景画とは対照的に「無音の風景」と称される抑制された絵ばかりに変わる。説明文を読むと、戦争のまっただ中だったが、松本にとっては思索や画想や技術を練成する時期だったのだそうだ。

そして、敗戦後の「展開期」は、庭の土中に埋めておいたという褐色の絵具を使用し、人体などを抽象的に描き出す画風に行き着く。素人考えでは、「敗戦後は色使いが明るくなるのかな」と予測していたが、そういうわけでもなく、落ち着いた色の中に大胆さや力強さを感じる絵が多かった気がする。

観覧料は、 一般1200円、大高生900円、中小生500円、65歳以上900円。2013年1月14日まで。