「ドラッカー」の売れ方、読まれ方-4-

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■TOPIC-4 何を言ってもよくなった――『もしドラ』以後の状況

ようやく『もしドラ』が大ベストセラーになる2010年にまでたどり着きました。今回のテーマのひとつは、『もしドラ』は「ドラッカー観の系譜」の何を引き継ぎ、また何を新たに生み出したのかを明らかにすることでした。

結論から先に述べると、『もしドラ』は全く新しいドラッカー観を生みだした著作ではないと考えています。同書はむしろ、その刊行以前からあったドラッカー観のひとつの流れが端的なかたちで表われたという著作であり、またそのヒットによって、以前からあったドラッカー観のある部分を劇的に増幅させることになったという著作であると考えています。

これは連載の2つめのテーマである「心」系ベストセラーにおける議論と近しい考え方をとっていると言えます。つまり、東日本大震災を「原因」として、「心」を癒し、鎮めようとする著作が初めて売れるようになったのではなく、以前から売れていたそうした著作が、震災を「追い風」にしてますます売れるようになったという考え方です。では、どのようなドラッカー観が『もしドラ』以後に増幅したのでしょうか。まず、2010年以後の出版動向について概観してみましょう。

単純には、「ドラッカー」をタイトルやサブタイトルに含む書籍(以下、「ドラッカー関連書籍」と呼びます)が劇的に増加しています。TOPIC-2で示したことですが、1959年に初の関連書籍として藻利重隆『ドラッカー経営学説の研究』が出版されて以後、2009年までのドラッカー関連書籍は計82冊でした。これが2010年以後、たった2年半で実に104冊が刊行されています。出版業界において、急激な「ドラッカー・ブーム」が起こったわけです。

近年刊行された関連書籍のタイトルをいくつか拾ってみましょう。まず2010年には、NHK「仕事学のすすめ」制作班『柳井正 わがドラッカー流経営論』(NHK出版、2010)、中野明『ドラッカー流最強の勉強法』(祥伝社、2010)、藤屋伸二『20代から身につけたいドラッカーの思考法』(中経出版、2010)、渡邊祐介『ドラッカーと松下幸之助』(PHP研究所、2010)、林聰『ドラッカーと会計の話をしよう』(中経出版、2010)、藤屋伸二『別冊宝島 まんがと図解でわかるドラッカー』(宝島社、2010)、西村克己『1分間ドラッカー――最高の成果を生み出す77の原則』(ソフトバンククリエイティブ、2010)、大川隆法『ドラッカー霊言による「国家と経営」――日本再浮上への提言』(幸福の科学出版、2010)といった著作が出ています。

2011年以降には、中野明『17歳からのドラッカー』(学研パブリッシング、2011)、桐山秀樹『ドラッカー流健康マネジメントで糖尿病に勝つ』(講談社、2011)、樋口義人『がんばれ、さくら!――ドラッカーに学ぶ受験マネジメント』(遊行社、2011)、伊佐美『もしドラッカーがITベンチャーの新卒女性社員だったら――マネジメントの基本と原則をビジネスシーンに活用する』(メディアパル、2011)、藤屋伸二『これで内定!ドラッカー流就活塾』(ATパブリケーション、2012)といった著作が出ています。

かなり沢山挙げてしまいましたので整理しておきます。柳井正さんのような経営者による活用論から、勉強法、20代論、会計のような他分野の話、3分間どころか1分間で分かるドラッカー、青少年向け、健康、子どもの受験、就職活動、果ては宗教家から「招霊」されたり、新卒女性社員にさせられたりしています。個人的にはドラッカーも大変だなと思ったのですが、それはさておき、『もしドラ』以後に起こったのは、端的に言えば「ドラッカーで何を言ってもよくなった」ということなのだと考えます。

『もしドラ』以前から、ダイヤモンド社「はじめて読むドラッカー」シリーズなどによる「自己マネジメント」への応用という道筋がつけられ、雑誌記事では病院経営や恋愛といった、ドラッカーの応用は既になされていました。『もしドラ』前後の状況を比較し、状況の変化を『もしドラ』に求めるとするならば、それは同書の内容やスタイルを通して、ドラッカーをどのような分野にも、どのように論じてもよいのだという、「閾値」を下げる役割を果たしたのではないかと私は考えています。

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『柳井正 わがドラッカー流経営論』
 NHK「仕事学のすすめ」制作班/NHK出版/2010年

『ドラッカー流最強の勉強法』
 中野明/祥伝社/2010年

『20代から身につけたいドラッカーの思考法』
 藤屋伸二/中経出版/2010年

『ドラッカーと松下幸之助』
 渡邊祐介/PHP研究所/2010年

『ドラッカーと会計の話をしよう』
 林 聰/中経出版/2010年

『別冊宝島 まんがと図解でわかるドラッカー』
 藤屋伸二/宝島社/2010年

『1分間ドラッカー−最高の成果を生み出す77の原則』
 西村克己/ソフトバンククリエイティブ/2010年

『ドラッカー霊言による「国家と経営」−日本再浮上への提言』
 大川隆法/幸福の科学出版/2010年

『17歳からのドラッカー』
 中野明/学習研究社/2011年

『ドラッカー流健康マネジメントで糖尿病に勝つ』
 桐山秀樹/講談社/2011年

『がんばれ、さくら!−ドラッカーに学ぶ受験マネジメント』
 樋口義人/遊行社/2011年

『もしドラッカーがITベンチャーの新卒女性社員だったら−マネジメントの基本と原則をビジネスシーンに活用する』
 伊佐美/メディアパル/2011年
『これで内定!ドラッカー流就活塾』
 藤屋伸二/ATパブリケーション/2012年

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■雑誌記事は『もしドラ』を境に変わったのか

雑誌記事に関してもこのような解釈は同様にあてはまるように思えます。この時期、ドラッカーについての特集記事の構成は『もしドラ』以前と変わることがない、というよりさらに定型化が進んだと言えます。ドラッカーの人生、著作リストやポイント解説、交友録、名言紹介、ドラッカーの知見を活用している経営者や組織へのインタビュー(この事例部分が『もしドラ』以後増加してはいます)、という構成です。たとえば『週刊ダイヤモンド』では「もっと知りたい!ドラッカー」(2010.4.17)、「みんなのドラッカー――学校、会社に広がるドラッカー」(2010.11.6)、「【エッセンシャル版】ドラッカー」(2011.6.18)と立て続けにドラッカー特集が組まれていますが、ほぼ上記のような構成がとられています。

この時期1つだけ新しい要素を見出すとすれば、『もしドラ』著者の岩崎夏海さんのインタビューがかなりの頻度で掲載されるようになっていることです(岩崎さんが秋元康さんのもとでAKB48のプロデュースにかかわっていたことは有名な話ですが、AKB48の峯岸みなみさんも、物語の主人公のモデルとして時折インタビューを受けています)。私は岩崎さんの発言・著述は今日におけるドラッカー観をある種端的に表わしているものではないかと思っています。

私が最も端的だと思うのは、『週刊ダイヤモンド』2009年11月14日号に差し込まれた『もしドラ』の試読版にある「解説」です。ここで岩崎さんは映画『ダ・ヴィンチ・コード』を例にして次のように述べます。「ぼくにとってこの小説(タイトル略:引用者注)を書く行為は、さながら『ドラッカー・コード』とも呼べるようなものだった。ドラッカーが『マネジメント』の中に隠したコードを、一つひとつ読み解いていくことになったからだ」。そして『もしドラ』は、「ドラッカーが『マネジメント』の中に隠した、日本の女子高生にあてて書いたコードを読み解いた、その記録でもある」とも述べます。

コード(暗号)としてのドラッカーという言い方は示唆的です。そこには真実が間違いなく隠されており、「正しく」読み解くことができれば、岩崎さんの表現で言えば「人生のあらゆる局面で役に立つ」知識になるというドラッカー観が圧縮された表現と言えます。このような観点は、TOPIC-2で経営学者の藻利重隆さんが「経営学の金山」とドラッカーを評して以来保持されてきたものですが、岩崎さんの表現はそれをより先に押し進めたものと見ることができます。『もしドラ』の刊行直前には、「ドラッカーの言葉は、『するめ』だ。自分であぶり、よくかまないと、のみ込めない」(『AERA』2009.9.20「ドラッカーは『するめ』なのだ」)とする記事もありました。コード、金山、するめと、表現はさまざまですが、いずれにせよ、自分自身でよく噛み砕きさえすれば、必ずその味わいが出る――味わいを感じられないとすれば、それはあなた自身の読み込み不足の問題だ――という、真実の根源としてのドラッカー観は連綿と受け継がれているのです。

ドラッカー・マネジメント論の適用対象が広がっているのも書籍と同様です。書籍と同内容のものは割愛しますが、家族関係、夫婦関係、性生活、婚活、民主党政権の運営、学校経営、病院経営(細かく言えば病棟マネジメント、マネージャーとしての院長夫人論、眼科学会のサービス)、サッカー日本代表の采配、プロ野球選手のモチベーション管理と監督采配、AKB48の成功の理由、暴力団の盛衰、等々。やはり「何でもあり」の状況になっているといえます。

こうした記事では『もしドラ』のように、アニメ絵が用いられることもしばしばです。たとえば2010年6月1日号の『週刊SPA!』では「萌える♥ドラッカー入門」として、「末端お茶くみOL」の主人公がドラッカー理論を用いて社会に改革を起こすという、岩崎さん監修によるライトノベル風の記事が組まれていました。こうしたアニメ絵のビジネス書もまた、これ以後いくつか刊行されるようになっています。

■ドラッカー賞賛の「偏り」が始まる

このように、雑誌記事においても、書籍の動向と同様に、ドラッカーのマネジメント論が多種多様な分野に応用され、『もしドラ』の後を追ったアニメ絵の記事が追随するという状況になっています。つまり、雑誌メディアにおいても、ドラッカーに言及することの「閾値」が劇的に下がったこと、これが『もしドラ』以後に起こったことではないかと考えます。

しかしながら、その活用のあり方、つまりドラッカーあるいは『もしドラ』の語られ方、使われ方はそれ以前と大きくは変わらないように思えます。「経営の神様」としてのドラッカーに学ぼう(何でも知っている神様に教えを乞おう)、「経営学の金山」としてのドラッカー鉱山を掘り起こそう(そこには必ず金脈がある)、「コード(暗号)」としてのドラッカーを読み解こう(そこには真実が必ず隠されている)、というスタンスです。前二者が50年近く前から言われていることを考えると、私たち日本人にとってのドラッカーとは、常に真理の象徴として立ち現れ続けていたのだと理解することができます。

もう少し言えば、私たち日本人は、ドラッカーという人物を通して常に真理を求め続けてきたのだと言えます。そしてその切望の度合は、近年の記事の増加を単純に捉えるならば、ますます高まっているのではないでしょうか。これだけ価値観が多様化し、各界における流動性が高まっているにもかかわらず――いや、それだからこそ――私たち日本人はドラッカーにますます「一なる真実」を求めるようになっているのです。

さて、『もしドラ』に話を少し戻します。同書の扱われ方は、ビジネス誌においては専ら、一般誌においても大体が賞賛の記事や、「なぜ売れたのか」ということを岩崎さんや上田さんに聞くといった記事で占められています。その一方で、批評的な記事は、それ以前のドラッカー自身の著作がそうであったように、ビジネス誌以外における寸評で軽い皮肉が当てられるという程度に留まっています。その内容はたとえば、ストーリーに納得できない、アイデアはいいがライトノベルとして見ると質的にはどうか、内容よりもマーケティングの意図ばかりが透けて見える本だ、といったものです。

いずれにせよ、こうした全体的には賞賛の大合唱が(少なくともマスメディア上では)なされ、一部にのみ批評が見られるという構図もまた、それまでのドラッカーの語られ方そのものをなぞり直しているように思えます。

さて、今年になり、ようやくまとまった『もしドラ』批評が現れました。経済学者の江上哲さんによる『「もしドラ」現象を読む』(海鳥社、2012)です。それ以前にも社会学者の樫村愛子さんが社会学と精神分析の観点から『もしドラ』の分析を行っていましたが、実際の分析パートは17ページの論文のうち、冒頭の4ページ程度に留まるものでした(「『もしドラ』のストーリーテリングとマネジメントの社会学/精神分析学」『現代思想』2010.8)。江上さんはそれに対し、1冊まるごとを使って『もしドラ』の批評を行っています。

江上さんの主張はシンプルで、論理よりも感動を重視する『もしドラ』のストーリーは、内面や関係性に事象の原因を還元することで、組織の問題が社会構造的背景を持つことや、現代社会が抱える問題から目を背けさせるような、欺瞞的な構造になっているのではないかというものです。そしてこうした内容を有する『もしドラ』の読者の一部には、個性や感動を求める「下流」(三浦展『下流社会――新たな階層集団の出現』光文社、2005)層の若者がおり、同書はそのような若者を再生産しているのではないかとも言います。

江上さんの主張は、その論拠とされている三浦さんの知見も含めてより実証的な検討を要するものだと考えます。しかしながら、こうした批評すら、これまでほとんど見ることができなかったという点では重要な論考です。私がここで言いたいのは、『もしドラ』をこきおろすべきだという話ではもちろんなく、マスメディア、特に雑誌メディアにおいて、あまりに賞賛の記事が偏って見られるというバランスの悪さについてです。

経営学者の米倉誠一郎さんは、『ドラッカーの遺言』(講談社、2006)の書評記事で次のようなことを述べていました(『週刊現代』2006.2.18「『社会生態学』の理論に基づいて的確に見抜いた『予測力』の凄み」)。「偉大なる偶像的預言者を祭り上げ、そのご託宣をありがたく喧伝するという図式」、このようなことを「一番嫌っていたのがまさにドラッカー博士そのもの」だ、と。そしてドラッカーの次のような言葉を引きます。「私たちに必要とされているのは、リーダーを待望する姿勢ではなく、リーダーの登場を恐れることなのです。『彼らが象徴しているもの』や『彼らが代弁する価値』が信頼に値するか、それを見極めることなのです」(『ドラッカーの遺言』136p)。

このような米倉さんの書評、およびドラッカー自身の発言は、まさに日本におけるドラッカーの語られ方、そして『もしドラ』の語られ方にこれ以上なく、しかし逆説的に当てはまるものだと考えます。私が江上さんの著作を紹介したのも、TOPIC-1で少し独特なかたちでダイヤモンド社の中嶋さんのインタビューを解釈したのも、このようなドラッカーの語られ方の偏りを念頭に置いてのことでした。

さて、ここまでで「ドラッカー観の系譜」は終わりです。しかし、もう少し論じなければならない点が残されているように思えます。今回、その一部については語りましたが、「なぜドラッカーが今日ここまで注目を集めているのか」という点の検討が残されています。次週はこの点についてもう少し考えてみることにします。

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『ドラッカーの遺言』
 P.F.ドラッカー/講談社/2006年

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(牧野 智和=文)