大方の予想通りに動かないのが「相場」というもの
約40年にわたって株式市場、債券市場、金利市場など世界中のマーケットを見続けてきた筆者の経験から言えば、相場というものは大方の人が予想するようには動いていない。


今の20歳くらいの若者たちというのは、言ってみれば日本経済の悪い時しか知りません。1989年の大納会に日経平均株価が3万8915円をつけ、そして翌年12月に不動産バブルが頂点に達するわけですが、基調としてはそこからずっと右肩下がりが続いています。現在61歳の私などは、バブルの絶頂期も知っていますし、野村證券に74年に入社して以来、退職するまで、よい時も悪い時もいろいろなことがありましたが、どちらかといえば右肩上がりの時代を経験して今日に至ります。

もちろん、そうした右肩上がりの状況においても国内外の経済的・政治的要因によって上下するのがマーケットであって、当時を振り返ってみますと、とにかくさまざまなことを経験したように思います。

たとえば、私にとって大変印象深いのは85年9月22日、米国ニューヨーク市のプラザホテルで行なわれたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行
総裁会議)による「プラザ合意」(ドル高是正に関する合意)です。

あの時、会議自体は根回しがありましたから半時間ぐらいで終わったわけですが、その後の円高をもたらすうえでの第1の契機になっていきました。合意の翌日には1日で20円程度の円高進行が起こり、わずか1年で1ドル=235円から1ドル=150円台になったわけです。しかし、当時「もう日本はつぶれるか」とまでいわれた日本経済は、86年11月を景気の谷として景気回復過程に入り、91年2月まで51カ月間にも及ぶバブル景気を経験することになったのです。

87年10月19日、ニューヨーク・ダウが1日で508ドル、22.6%も下落した「ブラックマンデー」も非常に印象的です。22.6%という下落率は、「全世界のほとんどの資本主義国家を巻き込んだ世界恐慌の始まり」の日ともいわれる「ブラックサーズデー」(29年10月24日)の下落率より約10ポイントも大きかったわけですが、私はそうした状況も経験してきました。

さらにさかのぼると、73年に第1次オイルショックが起こり、74年には戦後初めてのマイナス成長(マイナス1.2%)に転落。第1次オイ
ルショックでは、いわゆる「狂乱物価」も重なってトイレットペーパーがなくなるなどと大騒ぎしたひどい時期もありました。また79年に起きた第2次オイルショックの影響により、70年代後半から80年代初頭にかけて世界経済は成長の停滞とインフレーションに悩まされたわけです。

そういう中で日本の株式市場はといえば、89年までは基調としてずっと右肩上がり、90年についても前年並みの2割前後の上昇率を予想する声がほとんどで、評論家や市場関係者のほとんどすべてが「4万円は簡単にいくでしょう」などとコメントをしていたわけです。



しかし、実際の日経平均は前述したように89年末の3万8915円をピークに90年に入ると下がり、10月には暴落したわけで(上のグラフ参照)、約40年間にわたって株式市場、債券市場、金利市場など世界中のマーケットを見続けてきた私の経験から言えば、相場というものは大方の人が予想するようには動いていないということです。

相場格言に「人の行く裏に道あり花の山」(=株式市場で利益を得るためには、他人とは反対のことをやったほうがよい)という言葉があるように、「山高ければ谷深し、谷深ければ山高し」で相場は動いていくものです。また、「強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく」という有名な格言もありますが、要するに相場というものは必ず上がり下がりを繰り返していくということです。