できない人も少しはいたほうがいいのはなぜか

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アリのコロニーを調べてみたら、意外とさぼっている連中がいた。一生働かない者さえもいる。それでもコロニーはちゃんと機能している。

それならば人間の場合にも同じことが言えるかもしれない。会社でもさぼっている者がいたっていいのではないだろうか? アリに見習おうじゃないか!

こんなふうに考える方がおられるかもしれない。しかし残念ながら話はそう単純ではないのである。アリのコロニーと人間の会社などでは決定的に違うことがある。

それはアリのコロニーは、非常に近縁な血縁者たちからなる集団だということである。

誰かが繁殖してくれれば、遺伝子のコピーを残す上で、自分で繁殖したのとあまり違いはないということになるのである。

メスで繁殖するのは普通、女王アリだけである。

そして巣の中にいる働きアリ(メス)もオスアリも、同じ女王アリが産んだキョウダイに当たる。そして将来繁殖することになる処女アリも女王アリの娘である。

オスアリは普段、何もしていないが、一生に一度だけ、繁殖シーズンに他のコロニーの女王アリ(その繁殖シーズンまでは処女アリだった)と空中で交尾。交尾が終わるや否や、死んでしまう。もっともオスアリならすべて交尾できるのかと言えばそうではなく、交尾に成功するのはごく一部である。

このように、繁殖をするかどうかも含め、社会の中に役割分担が生まれるのも、非常に近い血縁集団であればこそである。何かの仕事を自分が行なっても、誰かが行なっても遺伝子のコピーを残すうえでさほど違いはないからである。

さぼっている連中がいてもお咎めなしなのも、やはり近い血縁集団内での話だからである。

そうすると、人間の会社、特に大きな会社などはどうかと言えば……。

それは近い血縁集団どころか、あかの他人の集まりである。自分がやらなくても誰かが代わりにやってくれるからよいであるとか、自分の手柄をどうぞと誰かに譲ってやる、などという論理は通用しなくなってしまう。

アリを見習おう、会社の中にもさぼっている奴がいてもいいじゃないか、と呑気に構えていると、リストラの対象にされてしまうのがオチだ。残念ながらアリでわかったことは人間には当てはまらなかったのである。

ちなみに、ある程度の数の人間が集まっていると、必ず「あいつはできないやつだ」などと烙印を押される人物がいる。だが、その人は「できない」のではなく、「向いていない」だけなのだ。何か向いているものがある。それを周囲が見つけてあげればいいのである。

ともあれ、アリと人間の社会の比較についてここで諦めるのはまだ早いのかもしれない。

あかの他人が大勢集まり、会社で働くというような労働の形はつい最近になって登場したものだからだ。

農業や漁業などは今でも、家族や近い親戚どうしで行なうことが多い。こういうふうに、労働の単位が昔ながらの血縁を軸としたものに回帰すれば、アリ的要素が入りこむ余地があるのではないだろうか。

日本は食料の自給率が低く、戦争などで世界経済が混乱したなら、いったいどういうことになるだろう。そこで食料の自給率を高めることが急がれる。そのために、かつてのような農林水産業の国に戻るとするなら、家族や親戚で働くことが多くなるだろう。

私はこういう時代が来ることを本気で待ち望んでいる。

額に汗して労働する。周りからの評価など気にせず、ただ働けばよい。働く気になれないときには、無理せず休む。だからと言ってそれをとやかく言う者はいない。なぜなら周りは血縁者なのだから。

今の時代に我々が働くうえで強いストレスを感ずるのは、周りが他人だからである。うつ病や引きこもり、ニートと言った問題は、周りの他人からのあまりにも厳しいプレッシャーに適応できないことに端を発していると思うのである。

アリでわかったことの本質。それは、我々も血縁集団で暮らし、働けばよい、そうすれば、ゆとりも生まれてくるだろうし、ストレスに悩まされずに済む……そういうことではないだろうか?

(エッセイスト 竹内久美子)