『人生に効く漱石の言葉』

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一編ごと冒頭に漱石作品の一節を引き、そこから思索を展開するエッセイ集である。『人生に効く漱石の言葉』(木原武一著 新潮選書)。題名にはお手軽感があるが、実は真正インテリによる上質な漱石論である。

あとがきによれば、神経衰弱に悩んだ漱石にとって、小説を書くこと自体「執筆療法」なのであり、その効能を多くの読者のために生かしたいという思いからの題名だとのことなのだが、題名倒れの書籍が多い中で、本書はその対極にある。

回避行動は自己防衛

本書の第1章は、「御前は畢竟何をしに世の中に生まれてきたのだ」という『道草』の一節から始まる。自らの内なる問いかけに主人公健三は「分らない」と叫ぶが、「途中で引懸っているのだろう」と内なる声は詰問する。これを著者は、「健三には途中で引懸っている理由が漠然と見えているに違いない」「真相に対峙するのを恐れている」と分析し、健三や『それから』の代助は、なぜ「人生の意味について考えはじめたものの、途中で引懸ってしまったのだろうか」と問題提起する。

そして、ラ・ロシュフコーの「太陽も死もじっと見つめることはできない」という箴言を引いて、健三や代助の回避行動は自己防衛だったと結論付けた上で、「見つめてはいけない太陽の光にこそ、人間を生かし、人生を豊かにするものが秘められている」とし、「それをわれわれの視力に耐えられるように示すのが文学の役割」だと説くのである。

小説によく登場する「片づかない」の意味

本書の第3章は「片づかないこの人生」と題されている。漱石の小説によく登場する「片づかない」という表現に関連して、著者は「針箱のうちは一生かたづかず」という柳多留の川柳を引き、「針箱や人生はなぜ片付かないのか。絶えず動きの中にあるからである」と説明する。そして、ヘラクレイトスの「万物流転」や横山大観の「生々流転」に触れつつ、「大部分の事柄は、片づかないまま、流転する」とした上で、「そもそも人間は完全に物事の片をつけることを望んでいないのではなかろうか」と問いかける。『明暗』の「自由はどこまで行っても幸福なものだ。そのかわりどこまで行っても片づかないものだ」という一節を引用し、これを「自由と幸福がなくては、この世は成り立たない。と同時に、不自由と不幸も覚悟しなければこの世には住めない」と解説する。別の篇では『道草』の「人間の運命はなかなか片づかないもんだな」という一節から説き起こして、「自分の力の及ばないことまで片付けようとするところに、予定調和を求める幻想がある」と結んでいる。

『道草』のテーマは、おそらく、片付かない身辺雑事へのいら立ち、すなわち著者のいう「学者としてのライフワークに取り掛かりながら、雑事に翻弄されてなかなかそれが完成されず、道草ばかり食っている」ことへのいら立ちであろう。我々霞が関の住人も、健三のような身内との金絡みの雑事は別として、職業人生の中で、雑事雑用に翻弄されて、本来的業務に思うように時間を割けないという思いをしばしばする。どこまで行っても片づかない霞が関人生に幸福を感じられるようになれば、さすが漱石は人生に効くということになるのだが……。

経済官庁(I種職員)山科翠

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