「ドラッカー」の売れ方、読まれ方-3-

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■TOPIC-3 ドラッカーの「自己啓発」化――1980年代から2000年代前半

2000年代以降を別とすれば、それ以前でドラッカー論が一番盛り上がりを見せたのは1969年から1970年、つまり『断絶の時代』の頃でした。具体的には、学術誌と一般誌を合わせて、1969年には14件、1970年には15件の雑誌記事がそれぞれ掲載されていました。再び記事数が15件を超すのは1999年(16件)まで待たねばなりません。それ以後は毎年15件以上(2000年代の平均は33.8件)の雑誌記事が掲載され続けています。

これらを逆に言えば、1970年代以降、概して2000年代に入るまで、ドラッカーは学術研究者からの論考もしくは書評が年に3、4件程度発表され、一般誌においてもやはり年に3、4件程度の記事が掲載されるというくらいの注目度に落ち着いていたとも言えるでしょう。

では、ドラッカーの論じられ方はこの頃どのようなものだったのでしょうか。端的にいうと、ほとんど変わりませんでした。つまり、『断絶の時代』で確立した時代診断者、未来予測者としてのドラッカーという観点からの記事がかなり多くを占めていました。

これは当時のドラッカーの著作の傾向にも関連しています。『乱気流時代の経営』(1980)、『新しい現実――政府と政治、経済とビジネス、社会および世界観にいま何がおこっているか』(1989)、『ポスト資本主義社会――21世紀の組織と人間はどう変わるか』(1993)、『未来への決断――大転換期のサバイバル・マニュアル』(1995)、『明日を支配するもの――21世紀のマネジメント革命』(1999)というように、次々と時代診断、未来予測(もしくは未来の行動への提言)が示され続けたからです(刊行はいずれもダイヤモンド社)。

一方で当時は、『イノベーションと企業家精神――実践と原理』(1985、ダイヤモンド社)、『非営利組織の経営――原理と実践』(1991、ダイヤモンド社)といった重要な著作も発表していました。しかし雑誌記事のタイトルという観点からみると、これらの著作を正面から受け止めようという学術的論考、重要な視点だとして紹介する一般誌の記事、双方ともにかなり限られたものでした。

ところで、1980年代後半から1990年代初頭までの日本は、いわゆるバブル景気がその頂点まで登り詰めていく時期でした。前回、ドラッカーは日本人に「現状肯定の思想的根拠」を与えているとする三戸公さんの指摘を紹介しましたが、この時期のドラッカー関連の記事ではしばしば、日本の輝かしい現状(当時)の根拠をドラッカーに求めるといった類の記事が散見されました。

たとえば『週刊現代』1991年10月26日号の「P・ドラッカー博士が絶賛!日本の新戦略 ブレイン・キャピタル経済が世界を制する」という記事があります。この記事では「相変わらずの国際競争力を発揮する日本企業」がなぜ強いのか、ドラッカーがウォール・ストリート・ジャーナルにこの頃掲載した論文「日本――新しい現実のための新戦略」をもとに説明しようとしています。

ストーリーはシンプルで、知識経済にますます移行しつつあるなかで、日本企業は金融コントロールやコスト管理ではなく、「ブレイン・キャピタル(頭脳資本)」に投資を積極的にしているためだというものです。この記事では「将来も日本は15年先を行く」という小見出しが躍っていますが、日本経済がこの直後、どのような状況になったかはご存じの通りです。

いわゆるバブル崩壊の後、ドラッカーの「使われ方」は突如正反対になります(それ以前の使われ方は、どうもなかったことになったようです)。そもそもドラッカーの論述は警句的であり、日本の各時点での状況に応じて診断や提言が示されていたのですが、バブル崩壊以前においてそれらは「現状肯定の思想的根拠」として引かれていました。ところがバブル崩壊以後は、「現状を変革するための思想的根拠」として引かれるようになります。

たとえば『週刊ダイヤモンド』1994年1月1・8日合併号には、「『ポスト資本主義社会』私はこう考える」という記事が掲載されています。この記事は、「政治、社会、経済すべてが変わることを今だれもが感じている」「ポスト資本主義社会においては、これまでのパターンがまったく通用しない」と現状を位置づけたうえで、「数百年に一度の歴史の転換期の真っただ中」でどう行動していけばよいのか、『ポスト資本主義社会』での言及を手がかりにしながら財界や教育界の「代表者」が今後の改革の展望を述べるという趣旨のものでした。

一方この時期には、ドラッカーの著述に批判的な記事も数件見ることができました。しかしそれらは決まって、ビジネスを必ずしもメインテーマとはしない雑誌の、1から4ページ程度の「本紹介」のコーナーでドラッカーをチクリと指す程度に留まっていました。たとえば、情報組織論を専門とする金子郁容さんが『新しい現実』は良くも悪くも『断絶の時代』を20年スライドさせたもので、「透き通るような洞察」や「思わぬ跳躍」を与える本ではないとする指摘(『朝日ジャーナル』1989.9.15)、エッセイストの佐々木敦さんが『ポスト資本主義社会』は内容は新鮮味に乏しいにもかかわらず、半ば脅迫的に警句を確信めいた口調で語る「老いた伝道師の御託宣」に過ぎないとする指摘(『Voice』1993.11)などです。

しかし基本的には、ドラッカー関連の記事は「ドラッカーが何を言っているかを知ろう」「ドラッカーの著作や提言から今後の行動指針を学ぼう」というパターンでほぼ占められていました。こうした傾向は、2000年代に入ってさらに加速することになります。

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『乱気流時代の経営』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/1980年

『新しい現実−政府と政治、経済とビジネス、社会および世界観にいま何がおこっているか』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/1989年

『ポスト資本主義社会−21世紀の組織と人間はどう変わるか』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/1993年

『未来への決断−大転換期のサバイバル・マニュアル』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/1995年

『明日を支配するもの−21世紀のマネジメント革命』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/1999年

『イノベーションと企業家精神−実践と原理』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/1985年

『非営利組織の経営−原理と実践』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/1991年

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■カット・アンド・ペーストの始まり――2000年代前半

さて、いよいよ2000年代に入ります。ドラッカーの最晩年となるこの時期、新刊として話題を呼んだのは『ネクスト・ソサエティ――歴史が見たことのない未来がはじまる』(2002、ダイヤモンド社)でした。雑誌記事上でも概して、時代診断者、未来予測者としてのドラッカー観が保持されていたのですが、この頃、このようなドラッカー観にもう1つの傾向が加わることになります。

その傾向というのは、端的には当時刊行されたドラッカーの「編訳書」に表われています。まず、TOPIC-1でも紹介した「はじめて読むドラッカー」シリーズ、つまり自己実現編である『プロフェッショナルの条件』(2000)、マネジメント編『チェンジ・リーダーの条件』(2000)、社会編『イノベーターの条件』(2000)、少し間をおいて技術編『テクノロジストの条件』(2005)という、4冊シリーズの刊行がこの時期ありました。これらは書き下ろしの新著ではなく、それまでのドラッカーの論述が、自己実現等の各テーマに即して精選されたものです。この自己実現というテーマへの「応用」が当時は意外性をもって受け止められたことをTOPIC-1では紹介しました。

他にも当時は、『仕事の哲学』(2003)、『経営の哲学』(2003)、『変革の哲学』(2003)、『歴史の哲学』(2003)という「ドラッカー名言集」シリーズや、ドラッカーの弟子である経営学者ジョセフ・A・マチャレロの編による『ドラッカー 365の金言』(2005)というやはり「名言集」が相次いで刊行されていました(刊行はいずれもダイヤモンド社)。

こうした傾向について、経済コラムニストの喜文康隆さん※は「『著者』と『編集者』の役回りの分離であり、出版におけるマーケティングの台頭」であると分析しています(「経済報道『解読ノート』」『フォーサイト』2003.10)。つまり、著者自身が編集される対象となり、著者自身の手を離れたところでその著述が読者のニーズに即して「カット・アンド・ペースト」「編集」されるようになるという事態が、ドラッカー(や養老孟司さんや岩井克人さん)において始まっていることを批判的に捉え、「こうした流れは、ひとたび転がり出すと不可逆性をもって進む」と指摘しています。ここで指摘された傾向は実際、ドラッカーの死後、そして『もしドラ』以後、ますます加速していくことになります。 ※「喜」=正しくは七が3つ

また、望月護『ドラッカーの実践経営哲学――ビジネスの基本がすべてわかる!』(PHP研究所、2002)、片山又一郎『ドラッカーに学ぶマーケティング入門』(ダイヤモンド社、2004)のようなドラッカーのポイントが整理された「入門書」「要約書」、あるいは別冊宝島『ドラッカー的未来社会――図説これならわかる!』(宝島社、2003)、久恒啓一『図で読み解く!ドラッカー理論』(かんき出版、2004)といった「図解」ものもこの頃登場し始めています。

もちろん、それ以前からドラッカーの解説本がまったくなかったわけではないのですが、「入門」や「図解」という観点から、ドラッカーの「カット・アンド・ペースト」「編集」を行おうとする書籍が相次いで刊行されるような事態はそれ以前には見られなかったことでした。

一方、学術研究の領域では、ドラッカー研究はこの頃下火になってきたように見えます。1980年代から1990年代までは、ドラッカーの経営哲学、組織論、管理論、現代社会論、学説史的理解等、さまざまな観点からの論究が年数件程度のペースで積み重ねられていました。しかし2000年代になるとドラッカーの著述内容についての論究は年に1、2件しか見られなくなってしまいます。

整理しておきます。2000年代前半、つまりドラッカーの最晩年の頃になると、ドラッカーの著作を読者のニーズに即して「カット・アンド・ペースト」「編集」しようといった動向が発生してきました。また、ここ数十年のドラッカー観の基調であった時代診断や未来予測のみならず、自己実現、いわば個々人の日々の仕事術に活用しようという向きも起こってきています。一方でドラッカーの学説を学術的に検討・批判しようとする活動は収束に向かっていました。

今述べた動向のうち、ドラッカーを仕事術の文脈に活用しようとする出版動向は、関連書籍を手がけた人々の独創的なアイデアとばかりは言えないと考えます。というのは、連載の第5回(「心」系ベストセラーを追った回の初回)で述べたように、1990年代後半から、読み手の意識や日々の行動の変革を促す「人もの」タイプの書籍が多く売れるようになってきたという、ビジネス書全体のトレンドの変化――経済書・経営書から自己実現・仕事術へというトレンドの変化、いわば「自己啓発化」――が先行しているからです。

自分自身の意識や行動を変えようという書籍の売れ行きが年々良くなっていくなかで、ドラッカーの著述内容もまた、そうした方向に活用できるのではないかというまなざしが強まっていく。実際、『プロフェッショナルの条件』などがよく売れ、この路線に間違いはないということになる。そして個々人の状況に応じた活用を押し進めるような「名言集」「入門」「要約」「図説」という路線も規定路線となる――。個々の出版事情はともかく、当時のドラッカー関連書籍の動向を俯瞰するとき、2000年代に起こったのはいわば「ドラッカーの自己啓発化」とでも言えるような状況ではないかと考えます。

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『ネクスト・ソサエティ−歴史が見たことのない未来がはじまる』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2002年

『プロフェッショナルの条件(はじめて読むドラッカー【自己実現編】)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2000年

『チェンジ・リーダーの条件(はじめて読むドラッカー【マネジメント編】)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2000年

『イノベーターの条件(はじめて読むドラッカー【社会編】)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2000年

『テクノロジストの条件(はじめて読むドラッカー【技術編】)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2005年

『仕事の哲学(ドラッカー名言集)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2003年

『経営の哲学(ドラッカー名言集)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2003年

『変革の哲学(ドラッカー名言集)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2003年

『歴史の哲学(ドラッカー名言集)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2003年

『ドラッカー 365の金言』
 [編]ジョセフ・A. マチャレロ/ダイヤモンド社/2005年

『ドラッカーの実践経営哲学−ビジネスの基本がすべてわかる!』
 望月 護/ダイヤモンド社/2002年

『ドラッカーに学ぶマーケティング入門』
 片山又一郎/ダイヤモンド社/2004年

『ドラッカー的未来社会−図説これならわかる!』
 [編]川井健男/宝島社/2003年

『図で読み解く!ドラッカー理論』
 久恒啓一/かんき出版/2004年

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■人生、著作一覧、名言……雑誌記事における定型化

2000年代の雑誌記事でもまた、ドラッカーの「入門」「要約」に関する記事が多くなっています。こうした記事の構成要素はほぼこの時期に定型化します。つまり、ドラッカーの人生が追われ、著作一覧が掲載され、そのポイントが解説され、幅広い交友録が紹介され、名言が紹介され、ドラッカーの知見を活用している経営者や組織が紹介されるというスタイルです。

たとえば2001年3月3日号『週刊ダイヤモンド』では「日本経済は甦る!P.F. ドラッカーの大預言」という特集が組まれていますが、ここではドラッカーとソニー会長兼CEO(当時)の出井伸之さんとの冒頭の対談の後、「あなたの問題を解決する ドラッカー全著作目的別活用法」「何をどう読むか! 目的別ドラッカー著作全紹介」「P.F. ドラッカー年譜」というコーナーが並び、ドラッカーの思想の全容が分かるようになっています。この特集では他にも、「経営者が語る ドラッカー思想がわが社の経営をこう変えた」という経営者へのインタビューも見ることができます。

ドラッカーを自己啓発のツールとして使おうという傾向も、やはり雑誌記事において見ることができます。たとえば2005年6月13日号の『プレジデント』では、「ドラッカー流『捨てる、断る、切る』技術」として、ノンフィクション作家の枝川公一さんがドラッカーからハウツーを切り出しています。これは拙著『自己啓発の時代』でも書いたことですが、2000年代に『プレジデント』が大きなリニューアルを行い、歴史的人物に範をとる路線から、ビジネスハウツーを扱っていく路線へと変更した文脈の中にドラッカーが差し込まれているというように理解することができます。

こうした「入門」「解説」に関する雑誌記事を見ていくと、この頃から、ドラッカーの邦訳を一手に引き受けてきた、上田惇生さんが多く登場するようになっていることに気づきます。もちろんそれ以前からも時折見ることはできたのですが、2000年代から上田さんの露出量は一気に増加します。おそらくこれは翻訳者ではなく、「はじめて読むドラッカー」や「ドラッカー名言集」の編訳者という仕事をされたこと、そしてドラッカー自身が以前ほどに自ら日本のメディアに活発に登場しなく(できなく)なったことが原因だと考えられます。

いずれにせよ、ドラッカーが最晩年を迎えるこの時期、そして後述するように2005年暮れにドラッカーが亡くなって以降、「日本での分身」とも呼ばれる上田さんの露出はますます増えていきます。上田さんは2003年から『週刊ダイヤモンド』誌上で「3分間ドラッカー」という連載も始められていますが、これは上述したドラッカーの「入門」「要約」「図説」化が進んでいた当時の動向に即したもの(その端的な表われ)と位置づけることができると思います。

雑誌記事におけるドラッカー観を整理しておくと、その基調となるスタンスは「ドラッカーに学ぶ」「ドラッカーをよく知ろう」というものだと言えます。特にビジネス誌においては、ドラッカーへの批判的言及はほとんど見ることはできません。批判的言及は、それ以前と同様に、週刊誌の寸評等で散見される程度でした。たとえば、『プロフェッショナルの条件』は「すぐさま妙にやる気にさせてくれる」「読むドリンク剤だ」(『週刊プレイボーイ』2000.10.17「売れてる本には理由がある 週プレだったらこう読むね。」)、というようにです。

■著作が多すぎて選べない――逝去から『もしドラ』前夜まで

2005年11月11日にドラッカーは逝去します。雑誌メディアでは多くの追悼記事・特集が組まれましたが、その際のドラッカーの語られ方は生前と大きく変わることがなかったように見えます。

繰り返しになりますが、つまりドラッカーの人生、著作リストやポイント解説、交友録、名言紹介、ドラッカーの知見を活用している経営者へのインタビューといった記事パターンが踏襲され続けたということです(『週刊ダイヤモンド』2006.1.14「特別追悼特集 知の巨人ドラッカー」、同誌2009.11.14「社会に貢献し、未来をつくる人たちへ!21世紀も生き続けるドラッカー入門」、『THE21』2009.9「30分でわかるP.F.ドラッカー入門」など)。

ドラッカーの入門・要約書や、ドラッカーの知見を自分自身の啓発、いわば「自己マネジメント」のために用いようとする書籍も、この時期刊行が続いています。中野明『ポケット図解 ピーター・ドラッカーの「マネジメント論」がわかる本』(秀和システム、2006)、藤屋伸二『図解で学ぶドラッカー入門』(日本能率協会マネジメントセンター、2009)、一条真也『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考――一流の思考が身につく!47の実践テクニック』(フォレスト出版、2009)、等々。とはいえ何よりもこの時期は、「ドラッカーの分身」たる上田さんが『ドラッカー入門――万人のための帝王学を求めて』(ダイヤモンド社、2006)を出されたことも大きいと思います。

こうした状況は、ドラッカーが逝去したことで、その著作や思想の整理が促進される機運になったこともあるかとは思いますが、連載の1つめのテーマであった「自己啓発書ガイド」の登場に近い背景もあると考えています。たとえば上述の『THE21』の特集では、「著作が多すぎて選べない。いったいどれから読めばいい?」という記事が掲載されていました。つまり、ドラッカーは著作だけでも膨大なものがあるにもかかわらず、2000年代に「アンソロジーもの」の刊行が相次ぎ、その言及範囲がますます広がっていく中で、「ドラッカー・ガイド」の必要性が考えられるようになったというわけです。ある種、マッチポンプ的な構造という気もするのですが。

さて、次回はいよいよ『もしドラ』以後を扱うわけですが、その直前となるこの時期既に、企業以外を対象にマネジメントの手法を活用しようとする提言や記事が現われ始めていました。たとえば開業医向けの雑誌『ばんぶうCLINIC BAMBOO』の2007年8月号では、「P.F.ドラッカーの格言に学べ! 『選択』と『集中』による診療所の“特化戦略”を考える」という特集が組まれています。同特集は上田さんの解説を導きとしながら、ドラッカーのマネジメント手法の診療所経営への活用が推奨されています。

より応用性の高いものとしては、2006年4月18日号の『日経ビジネスアソシエ』に「偉大なるドラッカーが遺した恋愛マネジメントの教え」という記事が掲載されています。ここでは経済評論家の山崎元さんが、「組織のマネジメントなどという辛気くさいものに悩む人はほんの一握りだろうから、恋愛成就のために、自分をどうマネジメントしたらいいかに翻訳して、泰斗の教えをお伝えする」として、「独自の強み」を活かして恋愛において「成果を得る」ハウツーについて論じられています。

これらの記事から言えるのは、『もしドラ』以前から既に、企業以外にもマネジメントの手法を活用しようとするドラッカーの応用論が存在したということです。ただ、量としてはかなり少ないものでした。ドラッカー自身、『非営利組織の経営』のような、企業以外の組織にもマネジメントのまなざしを向けようとする端的な著作をものしていますが、同書の活用はNPO論そのものに当時は留まっていました。議論をやや先取りすると、『もしドラ』以後、こうした応用論が急激に増えていくことになります。

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『ポケット図解 ピーター・ドラッカーの「マネジメント論」がわかる本』
 中野 明/秀和システム/2006年

『図解で学ぶドラッカー入門』
 藤屋伸二/日本能率協会マネジメントセンター/2009年

『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考−一流の思考が身につく!47の実践テクニック』
 一条真也/フォレスト出版/2009年

『ドラッカー入門−万人のための帝王学を求めて』
 上田惇生/ダイヤモンド社/2006年

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(牧野 智和=文)