協和発酵キリン相談役 
松田 譲 
1948年、新潟県生まれ。1977年東京大学大学院博士課程修了、協和発酵工業入社。99年医薬総合研究所探索研究所長。02年常務取締役、03年社長。08年キリンファーマとの合併により協和発酵キリン社長、12年より現職。

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「松田さんの話は何を伝えたいのかよくわからない。事実を述べているだけでは、聞いている人の心に響きません。これを読んでみなさい」

私が大学院生のときに恩師・有馬啓教授がこういって手渡してくださったのが、まだ新書版で刊行されていた頃の『カーネギー話し方教室』だった。この本は、自分の伝えたいことを相手に理解してもらう効果的な話し方の基本や意思伝達の技など、話し手の思いを聞き手に上手に伝えて心をつかむ方法が書かれている。

会話をすればそこそこ話が通じることもあって一般に話し方はそれほど重要視されていないが、本当は難しいものだ。実は話すことで、相手とコミュニケーションをとって価値観をお互いに共有したり、ディスカッションによって新しいものを生み出すことができる。有馬教授から勧められた本を読んで、そういう会話の持つ奥深さを教えられた。

このとき学んだ話し方の大切さは、今でも十分に生きている。ほぼ毎土曜日、お医者さんなどを対象にテーマを決めて会社主催の研究会を開催している。その研究会に私もサポート役として、閉会時に謝辞とともに日頃感じていることや新製品の特徴など会社からのメッセージを5分間ほど話しているからだ。その際、会の責任者から前もって伝えたいポイントを個条書きにしてもらい、それをもとにポイントを絞って自分なりに構想を練る。場合によっては妻の前で練習もするし、3週間前から準備をして会にのぞむこともある。

恩師から注意されたくらいの私だ。もともと饒舌ではなかったし、私自身が研究者出身ということもあり気を付けていたことがある。研究者はテーマを決めて自分の研究に没頭していれば、周囲とのコミュニケーションに気を配らずにあまり会話をしなくてもすむところがある。しかし、実際に研究テーマを詰めていくには研究者同士のディスカッションは極めて大事だし、研究の成果を商品化して世に問う際にはメッセージの伝え方で評価が違ってくることもある。効果的な話し方を鍛えるためにも私は社内外の研究発表会などに進んで参加するよう心がけてきた。

もう一冊、本とのつきあいで大きな転機となったのは、研究所長から本社の総合企画室長へ異動になったときだ。研究者から経営者になるべく、それまで自分が研究で使ってきた段ボール箱約20個分の発酵学の専門書を焼却した。これは「自ら退路を断つ」という強い思いがあったからだ。学生の頃から取り組んできた研究者の立場は自分にとって一番心の安定を図れるポジション。その象徴ともいえる専門書を処分することで、苦しくなったときにそこへ逃げ込まないようにという決意だった。

それから1年後、社長を引き受けるときに平田正元社長から「これは実にいいことが書いてあるから、参考にしたらどうですか」と渡されたのが石川島播磨重工業、東芝を経営者として再建した土光敏夫さんの『経営の行動指針』だった。

私はもともと土光さんのファンで、石坂泰三さん(第2代経団連会長)や石田礼助さん(第5代国鉄総裁)と同じ明治生まれの経営者として、自分の信念を持ち、凛とし毅然とした姿がとても魅力的だった。特に土光さんは高潔、無欲、有言実行の人として知られる。1980年代の第2次臨時行政調査会長のときに、夕食はメザシに菜っ葉、味噌汁と軟らかく炊いた玄米という質素な生活ぶりがテレビなどで伝えられ、生き方も謹厳実直で行動力のある素晴らしい人に思えた。

この本は土光さんの経営者としての数多くの発言の中から100項目を選び、まとめたものだ。どのページを読んでも一字一句無駄はなく、まさに腑に落ちる。しかも出版されて40年も経っているのにダイバーシティからワークライフバランスに至るまで、今の時代にぴったりと符合し、現代に必要なキーワードがちりばめられている。本当にこの本は経営者にとってバイブルだと思う。

中でも一番心に残るのが、66番目の「会社全体が『システム』という概念を体得せよ」という言葉だ。わが社のように特許などの研究成果をベースに事業展開をする“技術立社”的な研究開発型の企業にとって、このキーワードは極めて大事だと思う。システムというと、すぐにコンピュータや機械系を思い描きがちだが、土光さんの言わんとするシステムとは思考の問題で、「何ができるかではなく、何をなすべきか」、そして「インプットからアウトプットを導き出すのではなく、アウトプットを先に決め、それに合うインプットを選ぶ」と指摘している。つまり研究開発でも出口を見据えて研究しなさいということで、研究結果が出てきたから何に利用するか、どう事業化しようかというのでは発想が逆だというのである。これはデスバレー(優れた研究成果は挙がるけれど、新製品や新事業につながらない)のことを意味しており、世の中に望まれるニーズを研究開発しなさいと言っているのである。

また土光さんは、この項目の中で「不確定要素を攪乱因子と見ず、成長因子と見る」とも言っている。要するにピンチをチャンスとして捉えろと言っているのだろう。医薬業界で言えば、今、製薬会社の持つ主力薬品の特許が2010年前後から次々に切れてしまういわゆる「2010年問題」が指摘されている(※雑誌掲載当時)。医薬企業はフラジャイル(壊れやすい、華奢の意)でリスクばかりが高いとの声もあるが、それを不確定要因として捉える必要はないというのだ。医療の現場から望まれている医薬事業のハードルは高いものの、それを越えて真に必要な薬であれば必ず使用され、事業としても大きく発展するはずである。土光さんはそういうリスク要因を前向きに捉えてむしろ成長因子として見なさいと言っているわけだ。

さらに「同一系列のタテの連結よりも、異系列のヨコの連動を重視する」という発言や、「組織を、機能の分割と見ず、機能のネットワークと見る」というのも会社の縦割り組織の問題点としても重要な指摘だ。研究開発マネジメントのあり方の真髄だと思う。そもそも製薬事業は長い年月と数百億円の資金を投入してやっと完成するが、縦割りのセクショナリズムや自分の着想だけでやっている自己完結型の研究では何も成功しない。研究者やグループ、あるいは研究所などの組織間のコミュニケーションやネットワークこそが一番大事で、それが成否の鍵を握っているのである。前述のカーネギーの話とも連動するが、まさにコミュニケーションとスピード感が大事だとつくづく思うし、実際に今もそれを実践している。『経営の行動指針』にはほかにも注目すべき項目はいくらでもある。

「人はその長所のみ取らば可なり。短所を知るを要せず」という荻生徂徠の言葉もある。人は短所ばかりに目がいくが、一つくらいは長所があるもの。その長所を活用するよう良い所だけ見ていくと、結局、個性ある人を尊重することになる。さらに女性の活用についても40年も前なのにものすごく強調している。当社も、女性のMR(医療情報担当者)の採用比率を50%にするように努めている。『経営の行動指針』は現在のような混沌とした時代に、自分の行動指針の基盤となる座標軸を示してくれる本である。項目を繰り返し読むだけでも意味があるし、一字一句がすべて経営の本質を突くもので、経営者だけでなく管理職クラスも目を通すべき本だと思う。

■松田譲氏厳選!「役職別」読むべき本

部課長にお勧めの本

『日本の優秀企業研究──企業経営の原点6つの条件』新原浩朗著、日経ビジネス人文庫

トヨタや花王など、過去15年間、持続的に成長する日本企業約30社を選定し、共通点を抽出している。

『人を大切にして人を動かす』和地 孝著、東洋経済新報社

3期連続赤字の危機的状況にあった会社をリストラせずに改革、10期連続増収・過去最高益更新を達成。

『アホは神の望み』村上和雄著、サンマーク出版

若手、新入社員にお勧めの本

『粗にして野だが卑ではない──石田禮助の生涯』城山三郎著、文春文庫

78歳で国鉄総裁となった石田禮助の伝記。上に立つものの毅然とした態度と見識に敬服する。

『高峰譲吉の生涯──アドレナリン発見の真実』飯沼和正・菅野富夫著、朝日選書

※すべて雑誌掲載当時

(吉田茂人=構成 小倉和徳=撮影)