今年10月にデビュー50周年を迎えたビートルズ。11月14日にはデビュー曲『ラヴ・ミー・ドゥ』のアナログシングル盤が発売されるなど、今もなおその人気は衰えません。1966年に初来日した際も多くの国民が注目しましたが、当時、そのビートルズよりも人々の関心を集めたものがあったことをご存知でしょうか?

 百田尚樹さんの著書「『黄金のバンタム』を破った男」によれば、昭和27(1952)年、ボクサーの白井義男さんが日本人初の世界チャンピオンになり、日本人は敗戦によって失われた自信と誇りを取り戻したといいます。しかし、昭和29(1954)年にタイトルを失い、その後多くの日本人ボクサーが国民の期待を背負って世界タイトル戦に挑み続けたものの、8年もの間、誰もそれを奪うことはできなかったそうです。

 そんな中、当時19歳の「ファイティング原田」こと原田政彦さんが、プロデビューからわずか2年半で世界チャンピオンに輝きます。ひたすら前に出て、打って打って打ちまくるファイタースタイルのボクシングで人々を熱狂させました。

 そもそも、現在のボクシングは17階級あり、複数のチャンピオン認定団体があるので世界チャンピオンは70人以上もいます。それに比べて当時は8階級のみで、世界チャンピオンはたった8人しかいなかったのですから、原田がいかに凄かったのか想像できます。

 ちなみに、タイトルの「黄金のバンタム」とは、そのあまりの強さに"チャンピオン中のチャンピオン"と呼ばれたボクサー、エデル・ジョフレのこと。生涯80戦近い試合のうち負けたのはたったの2度だけで、その2度の敗北は両方ともファイティング原田との試合でした。

 当時、ファイティング原田の防衛戦のテレビ中継は、全試合がなんと視聴率50パーセント以上。エデル・ジョフレとの2度目の試合の視聴率は63.7パーセントで、この年のビートルズ来日公演の56.5パーセントを大きく越えていたといいます。

 敗戦で焼け野原となり、ゼロどころか大きなマイナスから急成長を遂げた当時の日本。まさに裸一貫で生き抜いた人々は、同じように裸一貫で闘うボクサーから勇気をもらい、一緒に闘っていたのかもしれません。



『「黄金のバンタム」を破った男 (PHP文芸文庫)』
 著者:百田 尚樹
 出版社:PHP研究所
 >>元の記事を見る



■ 関連記事
横浜DeNAに長嶋の遺伝子(=DNA)を注入!? 「地獄の伊東キャンプ」って何?
「誰でも編集長時代」の気軽な情報発信 NAVERまとめが編集コンペを開催!
「日中韓の関係」は、なぜここまで複雑なのか


■配信元
WEB本の雑誌