新しい人を発掘し、起用する人気テレビ番組の仕掛け人

ビジネスパーソン研究FILE Vol.192

日本テレビ放送網株式会社 田中宏史さん

『しゃべくり007』や『嵐にしやがれ』を立ち上げ、看板番組へと育てたプロデューサーの田中宏史さん


■7年間の営業職を経て、制作へ。『エンタの神様』でディレクターデビュー

ヒット番組を次々と世に送り出し、今や日本テレビのトップクリエイターの一人とされる田中さんだが、そのキャリアはスポットCMの営業職から始まった。担当したのは、広告会社からのスポンサーCM予算を、どの番組枠で使うかを割り振っていく作案業務。与えられた予算内で最大限のCM効果をもたらそうと、CM枠前後の番組視聴率や視聴者層はもちろん、裏番組の視聴者層まで緻密にマーケティングして、作案業務に臨んだ。

3年目になると広告会社との強い信頼関係もでき、「日テレだから」「田中さんになら」と任される予算額が増えていった。そのころ注力するようになったのが、過去に出稿実績のないスポンサーを、日本テレビに振り向かせること。
「ひたすら他局の放送を見ているから、ウチに流れていないCMはすぐわかっちゃうんです(笑)。そうしたら、早速そのスポンサー用にCM計画書を作成し、広告会社にアプローチしていました」

こうして、過去に発注のなかった大手服飾メーカーをCMスポンサーにしたり、ターゲットを綿密に分析して作案した映画公開CMによって映画が予想以上のヒットとなるなど、営業としての手ごたえとやりがいを感じるようになっていった。
「その一方で、歯がゆさも感じていました。他局のドラマの方が女性層に支持されているとか、他局の主演が人気女優だからという理由で、CM予算が他局に流れてしまうとか。これは、営業だけでは対処できないこと。『やはり主役はソフト(番組)なんだ』と感じました」

その思いに突き動かされた田中さんは、番組制作職場への異動を希望。7年目に異動し、『エンタの神様』のAD(アシスタントディレクター)となった。収録し、VTRを編集するなど、番組を司るのがディレクターの仕事。それまで、1つの番組ができ上がっていく過程のすべては知らなかった田中さんだが、先輩ディレクターの下で鍛えられ、約半年で業務を把握。1年後にはディレクターとして『エンタの神様』を担当するようになった。最初に任されたのは、エンディングのタレント起用。田中さんは、知名度はなくても毎週ワクワクしながら見てもらえるような意外性のある人を探そうと、さまざまなお笑いライブに足を運び、まだ一般的に知られていなかったサバンナの高橋茂雄さんを起用。その後任の、ムーディ勝山さんも担当した。
「『この人なら!』という自分の勘が、ズバリはまった感じでした。それまで無名に近かった芸人さんが、番組出演をきっかけに、みるみる人気者になっていくのを見るのは、すごくうれしかったですね」


■プロデューサーとして『しゃべくり007』や『嵐にしやがれ』を立ち上げ、看板番組に

2007年、田中さんはプロデューサーに転身し、『行列のできる法律相談所』を引き継いだ。
「自分の主観や喜怒哀楽を信じるのがディレクターだとしたら、自分を律して『本当に面白い?』と常に客観視していくのがプロデューサー。プロデューサーは、予算やキャスティング、キャンペーン戦略に至るまで、番組制作全体を管理します。両方を経験して、僕はプロデューサーの方が楽しいなと思いました」

2008年に特番として制作した『人生が変わる1分間の深イイ話』は、すぐにレギュラー化。その後も、『しゃべくり007』や『嵐にしやがれ』などを立ち上げ、日本テレビの看板番組に育てていった。
「特に印象に残っているのは『しゃべくり007』ですね。月曜22時に放送される番組には強敵の裏番組があって、社内的にはあまり期待していない雰囲気も一部にあった。でも、一緒に組んだ演出担当は、僕が最初にADになったときにディレクターだった人。2人で『強敵を切り崩して、存在感を示そう』と燃えました」

不安がないわけではなかったが、初回は視聴率13.6パーセントと好結果。意外なゲストの登場と、当日まで出演者にゲストを知らせないサプライズで番組を盛り上げ、視聴者の心をつかんでいる。
「大物ゲストを呼んで『この番組に出て良かった。また出たい』と思ってもらうことも大切ですが、僕はそれだけで番組が面白くなるとは思っていません。むしろ、ちょっと毒気がある人、あまり知られていない人を起用してみたらすごく面白かったというような、意外な組み合わせによって起こる化学反応に期待しています。自分だけが発見できる新しい人たちを、思い切って起用することが、飽きられない番組づくりの秘訣だと思っています」

2009年には、第32回『24時間テレビ』の総合プロデューサーを担当した。
「歴史あるチャリティー番組を、バラエティー番組の経験しかない僕につくることができるのか。どんな番組にすれば、人の心や社会を動かすエネルギーになるのか。初めて尽くしで、すごくハードルが高い仕事でした。しかも、制作スタッフだけで300人以上もいて、誰にどの企画を任せるべきか判断がつかず、うまく仕切れない。100パーセントの力でぶつかったのに、やり切った感が得られなくて、すごく疲れました(笑)」

「僕には無理かも…」と上司に弱音を吐いた田中さんだったが、翌々年の第34回で再び総合プロデューサーに。番組内容を固めた後に東日本大震災があり、テーマや方向性をいちから見直したが、『力〜わたしは、たいせつなひとり』をテーマに、すべてにテーマ性が貫かれた番組に仕上げることができ、歴代第6位の視聴率を獲得して達成感を噛み締めた。続く第35回も総合プロデューサーを務め、視聴率は歴代第5位となった。
「回を重ねるたびに完成度は高まっている半面、油断したなと思う反省点もあります。初めて担当したときは燃え尽きたと思ったのに、2回目は『もっとこうしたい』と欲が出てきた。そして3度目は『終わっちゃうと寂しいな』という感情が芽生えるまでに。もはや中毒みたいですね(笑)」

視聴者を泣かせようとして『24時間テレビ』を制作しているわけではないのに、毎回大泣きしながら番組を見ているプロデューサーとしての自分がいる。
「人間には感情がある。だから、僕は“ピュアな感情むき出しのプロデューサー”でいいと思っています。僕は自分に特別な才能があるとは思っていません。ただ言えるのは、いい人たちに巡り合えたということ。相談できる作家や先輩、芸能事務所のスタッフも含めて、周囲の人たちに恵まれているんです。僕は『テレビ離れが進んでいる』という言葉が大嫌い。これからも、1人でも多くの人が1日でも長くファンでい続けてくれるような番組づくりを追求していきます」