351

写真拡大 (全8枚)


今回も引き続き、都営バス一日乗車券を使ったバス停と路線バス三昧の旅を企画しましたので、お付き合い下さい。
題しまして「隅田川橋めぐりの旅」です。東京を代表する河川ともいえる隅田川には、様々な橋が架かり、それらの多くはバス停名にも採用されています。今回は、隅田川上流から順に橋名のバス停を辿り、都営バスをふんだんに使った橋めぐりを楽しんでみたいと思います。それでは早速出発しましょう。

隅田川最上流部の橋は、環七通りを渡す新神谷橋ですが、ここにはバスは走っているものの、あいにくバス停が無く、今回の旅の出発点にはなり得ません。そこで2番目の新田橋ですが、こちらは[王41][王45]系統が通過し、新田橋バス停があります。まずは王子駅から新田1丁目行き[王41]系統に乗り込み、新田橋へと向かいます。

豊島7丁目から狭い路地に入りこんだバスは、人や自転車を巧みに避けながら、間もなく新田橋バス停に到着します。バス停は橋の南詰近くにあり、バスを追いかけて少し歩くと、橋が見えてきます。対岸の新田地区が荒川放水路開削によって島状に孤立した為、当初はここに渡船が設けられ、昭和14年に初代新田橋が架けられました。現在の橋は昭和36年に架け替えられた鋼桁橋で、木橋のようなA字型の橋脚が独特の外観となっています。

続いて、新豊橋へ向かいます。[王41]系統で王子4丁目へ戻り、今度はハートアイランドへの[王55]系統に乗り継ぐと、トンボ鉛筆工場の角を曲がって新豊橋バス停に到着します。バスを降りてすぐ、目の前に開放感のある優美なアーチを見せているのが、新豊橋です。ハートアイランドの開発に伴い平成19年に架橋された新しい橋で、新田地区と豊島地区を結ぶことからの命名です。土木学会デザイン賞最優秀賞受賞という栄誉にも輝き、大規模再開発都市の玄関口として親しまれています。

次は豊島橋です。新豊橋北詰に近いハートアイランド南バス停から北千住行きの[王45]系統に乗ると、やがて隅田川左岸の土手通りにある豊島橋バス停に到着します。バスを降りると、大きく南西方向に蛇行する隅田川の向こうに豊島橋が見えていますが、橋までは少し距離があるようです。川沿いの道をしばらく歩くと、やがて荒川の江北橋に続く宮城交差点から、豊島橋を渡ることができます。対岸の豊島5丁目団地一帯は、蛇行する隅田川に三方を囲まれた地勢から「天狗の鼻」と呼ばれた場所で、初代豊島橋は大正14年に架けられました。現在の橋は平成7年架橋の三代目で、ローゼ橋と呼ばれるアーチ橋です。

次は 小台橋です。宮城交差点の宮城2丁目バス停から東京駅への[東43]系統に乗り、宮城地区の住宅街を走り抜けると、小台橋バス停に到着します。バス停は橋の北詰にあり、バスを降りるとすぐ目の前に濃緑色のアーチが美しい小台橋が見えてきます。ここは古くから西新井大師参詣などの要衝で、古くは小台の渡しという渡船がありましたが、関東大震災後の復興事業のひとつとして昭和8年に初代小台橋が架けられました。現在の橋は平成4年に架け替えられたもので、ニールセンローゼ橋という種類に分類されるアーチ橋です。

小台橋から隅田川右岸の路地を抜けると、次の尾久橋です。ここは近いので、徒歩移動でもいいでしょう。荒川の扇大橋と一体化された橋で、尾久橋通りを渡す他、下流側には日暮里・舎人ライナーの高架も隣接しています。尾久橋バス停は南詰側にありますが、橋が大きいので地上からのアプローチも長く、バス停は護岸から300メートル程離れた熊野前交差点付近に置かれています。

次は尾竹橋です。熊野前交差点から北千住行き[端44]系統に乗ると、尾竹橋通りを左へ曲がって尾竹橋バス停に到着します。バスを降りると、すぐに色鮮やかなブルーのアーチが目に飛び込んできます。ここもローゼ橋で、現在の橋は平成4年架橋の二代目です。初代は震災復興橋のひとつとして昭和9年に架けられました。古くは尾竹の渡しという渡船があり、尾竹は渡船場にあった茶店の娘の名とも伝えられます。

尾竹橋バス停から再び[橋44]系統に乗り、千住2丁目で浅草寿町行き[草43]系統に乗り継ぐと、日光街道を南下したバスは次の千住大橋を一気に渡り、南千住交差点の先にある千住大橋バス停に到着します。こちらも橋とバス停とが少し離れていますが、隅田川最初の橋といわれる千住大橋の名が、バス停としても存在していることの意義は大きいでしょう。千住大橋については、昨年7月にご紹介した「京成中組」バス停で触れていますので、ご参照下さい。

千住大橋から南千住駅まで歩き、亀戸行き[南千48]系統に乗り込むと、バスは汐入地区の高層団地群を抜け、水神大橋で隅田川を渡ります。千住大橋からここまでの間には、千住汐入大橋がありますが、こちらはバス停が無いので割愛。水神大橋もバスは通るもののバス停が無いので通過。次は白鬚橋ですが、[南千48]系統は墨堤通りを南へ走り、間もなく白鬚橋バス停に到着します。バス停から明治通りを右へ歩くと、間もなく正面に白鬚橋の重厚なブレースドリブタイドアーチが顔を見せます。もともとは大正3年に架橋された私設の木橋でしたが、後に東京市が買い取り、震災復興橋として昭和6年に現在の橋が完成しました。設計は昭和初期の橋梁技術者として活躍した増田淳。これまでに見てきた橋では、初代尾久橋も増田の手掛けた橋でした。

いよいよここから隅田川らしい由緒ある橋の数々が登場してきますが、バスだけでの移動はやはり疲れます。既に乗車回数は9回。前編はここまでとし、次回後編に続きます。