ソフトバンク社長 
孫 正義氏

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16歳でアメリカに行った。20代でソフトバンクをつくった。30代でヤフージャパンを興した。40代ではブロードバンドに参入して、ボーダフォンジャパンを買収した――。私はいままでの人生で、5回の大勝負をしてきました。でも、まだまだやり足りない。私には、成さねばならないことがある。

私は「志高く」という言葉が好きです。15歳のときに『竜馬がゆく』を読んだのがきっかけで、目からウロコが落ちました。一度しかない人生、世のため人のために、引きちぎれるほど頑張って何か事を成さなくてはならない。志高く生きなければ、と思ったのです。

そんな矢先、語学研修でアメリカに行く機会がありました。そうしたら、やっぱりアメリカはすごいんです。規模も技術も、日本とは比べものにならない。いてもたってもいられなくなって、高校1年の1学期で退学届を叩きつけて、単身アメリカに行きました。

実はそのとき、私の父は血を吐いて入院していました。身を切られるような思いでしたが、母に泣かれても、担任に止められても、世間から冷たい息子だと言われても、私の意志は固かった。これから何十年も続く人生のことを考えたら、いま行かなくては、と思ったのです。

そんな思いで行ったアメリカですから、向こうでは歩いているときも教科書を読んだし、病気になっても授業は1回も休まなかった。食事のときも教科書から目を離さなかったので、冗談みたいな話ですが「両目で皿を見ながら食事したらどんなにおいしいだろう」と思っていましたよ。とにかく死に物狂いで勉強しました。そんな具合だったので、アメリカで高校に行ったのはたった3週間。その期間で3年分の教科書を全部読んで、高校は終わり。そのまま大学に行ったのです。

19歳のときにマイクロコンピュータのチップをはじめて見たときの衝撃は、いまでも忘れません。やはり歩きながら読んでいた科学雑誌に載っていたのですが、人差し指の先に乗るくらい小さなチップが、まるで未来都市の設計図のように見えました。「人類はなんてすごい発明をしたんだろう」と涙があふれましたよ。その感動がきっかけで、勉強漬けだった私が1日5分だけ勉強以外のこと、つまり発明をすることにしたのです。

はじめはその発明でひと山当てて、「1年で1000万円くらい稼ぎたい」と思っていました。でも父は病気だし、自分は学生で金もない。そこで、「特許が売れたら言い値で報酬を払う」という契約で世界的に有名な大学教授を引き入れて、私の発明を形にするプロジェクトチームをつくりました。夢のようなところからはじまったプロジェクトでしたが、結果的には、iPhoneのはしりのような、世界初のポケットコンピュータと、コンピュータゲームのプロジェクトが当たった。1年半で3億円以上稼ぎ、無事教授たちにも支払いができました。

最初に「5回の大勝負をしてきた」と言いましたが、これは私が発明にこぎ出した19歳のときに決めたことです。「人生50年計画」を立てて、人生を5つのステージに分けたのです。まず20代で自分の事業を興す。30代で数千億円という軍資金をためる。40代でひと勝負して、50代でビジネスモデルを完成させる。そして60代で次の経営陣にバトンタッチする――。いまのところこの計画どおりに進んでいますし、私のビジョンは一切ブレていません。

いまでこそインターネットは普及し、ヤフーは順調。iPhoneは売れ、ソフトバンクの売り上げは2.7兆円になりました。結果的にはオーライですが、ずっと順調だったわけではありません。私の大勝負のおかげで会社には借金があるし、自分の体でさえ常に健康ではありませんでした。事業が軌道に乗った矢先、余命5年と言われたこともあります。

それでも私のビジョンがブレなかったのは、20代で事業を興す際、1年半かけて自分の登りたい山=人生のテーマについて深く悩んだからです。私は、人生のテーマを決めることで人生の半分が決まると思っています。自分が一生を通して情熱を傾けることができることは何なのか。他人がやっていないこと、新しいこと、人の役に立てること、儲かること、1番になれること――。

私にとってそれが、デジタル情報革命でした。世界中の人々の知識と知恵を共有できるようなネットワークを構築して、それをみんなが共有することで幸せになること。病気の人が助かるかもしれないし、仕事の生産性が上がるかもしれない、世界が平和になるかもしれない。これは、人生を賭けるのにふさわしい仕事です。人生の早い段階でそう納得したからこそ、これまで志高く生きてこられたのだと思っています。

そんな高い志で、ソフトバンクを興しました。といっても資本金は1000万円。クーラーもない狭い事務所で、社員はアルバイトが2人いるだけ。その社員でさえ「わが社は30年後、数の単位を1兆、2兆で数えるような規模になる」なんて演説をぶったせいか、1週間で辞めてしまいました(苦笑)。でも、私の心は変わりませんでした。

そこで、たったひとりで人生2度目の大勝負に出ました。資本金1000万円のうち800万円を使って、大阪のエレクトロニクスショーに出たのです。さらに200万円使ってカタログ代わりの雑誌をつくったら、持ち金はすっからかん。私は創業1カ月で資本金を使い果たしました。ここでお客さんが誰も来なかったら、そこで終わりという局面です。でも、20代で名乗りを上げると決めたのだから、それなりのことをしなくてはいけない。バカだと思われるかもしれませんが、自分では納得していました。幸いにもそのエレクトロニクスショーがきっかけで取引がはじまり、1カ月後には社員が15人になり、その翌月には100人になり、その翌月には200人になり……倍々ゲームで、1年間で年商30億円の会社に急成長しました。

ところが、その後すぐに肝臓を患って、3年半もの間、入退院を繰り返す生活に。事業が軌道に乗って、娘も生まれて、順風満帆というときにです。お客さんはいなくなるし、社員には去られるし、医者からも余命5年だと宣告されてしまったのです。まさにどん底で、さすがにこのときは病院のベッドで泣きましたね。でも、やっぱりここで坂本龍馬に立ち返ると、彼は33歳で暗殺されているんです。その最後の5年間で、龍馬がいかに活躍したか。それを思ったらふつふつとやる気がわいてきて、病気も乗り越えることができました。

病気が治って、やっと迎えた30代。仕事に打ち込める体になった私は、人生3度目の大勝負に出ました。計画どおり軍資金をためにかかったのです。まずは株式上場して、800億円で世界最大のコンピュータ見本市「コムデックス」を買収し、2300億円でコンピュータ業界最大の出版社「ジフデービス」を買収しました。今度は、会社の時価総額が2700億円のときに、3100億円使ってしまったわけです。頭がおかしいと言われましたが、はじまったばかりのインターネットに挑戦していくには、どうしてもこの買い物が必要でした。「コムデックス」と「ジフデービス」は、私の宝探しにおける地図とコンパスのような存在だと思ってください。そして見つけたのが、ヤフーという宝物です。私は、当時アメリカで社員5人ほどの会社だったヤフーの筆頭株主になり、ヤフージャパンを興したのです。

30代後半にはITバブルがあり、絶頂期はすごい体験をしました。株がどんどん上がるから、自分の資産が1週間ごとに1兆円ずつ増えていくのです。たった3日間ですが、ビル・ゲイツを超えこともあります。まさに世界一の大金持ちになった。でも、銀座の三越に行ったって、1兆円出せばお店ごと買ってもおつりがくると思ったら、途端に買い物の喜びがなくなりました。あの頃は金銭感覚がおかしくなった。お金なんていらないなと、本気で思ったものです。そんな体験があったからこそ、金儲けより人に喜ばれることがしたいと、心の底から思えるのだと思います。

でも、その直後にITバブルは崩壊。ネット事業に携わっているというだけで犯罪者扱いされるありさまで、ソフトバンクの株式価値も1年間で100分の1にまで落ちました。お金なんかいらないと思っていたら、本当になくなってしまったわけです(笑)。しかも会社は借金だらけ。40代は、なかばやぶれかぶれな気持ちでの幕開けでした。

そこで、人生4度目の大勝負。ブロードバンドへの参入です。当時、日本のインターネットは先進国一遅く、世界一高かった。私の人生のテーマはデジタル情報革命なのだから、このままにするわけにはいきません。私は日本のインターネットを世界一速く、安くしてやろうと決めたのです。そして、本当にそれを実行しました。数年前、どこの駅前でも「Yahoo! BB」と書かれた赤い袋がタダで配られていたのは記憶に新しいのではないでしょうか。

アメリカの10倍で世界最高速なのに、NTTの8割引きで世界一安値。当然申し込みは殺到し、これを発表した日、一晩で100万件もの申し込みがありました。日本のインターネットが変わった、ブロードバンドの夜明けだったと思います。

でも、その後が大変でした。まず、申し込みに対して圧倒的に機材が足りない。NTTがなかなか回線をつないでくれない。そのせいで、お客様を何カ月も待たせてしまう。だから、総務省に乗り込んでいったこともありますよ。「NTTがこのまま回線をつないでくれないようなら、責任をとってここで焼身自殺してやる」ってね。私の気迫が伝わったのか、相当怖かったのか、担当者も最後には折れて、NTTにとりなしてくれましたよ。

そんないきさつもあって、その後はお客様に迷惑がかかるようなことはなくなりましたが、1年間はエンジニアたちと血を吐くような思いで働きました。4年間は毎年1000億円ずつ赤字を出しました。ITバブルがはじけた後に、よくやったものだと自分でも思います。でも、そのときの私は西郷隆盛の気持ちだった。「名もいらん。金もいらん。地位も名誉もいらない。そんな男が一番厄介だ。そんな厄介な男でないと、大事は成せない」というわけです。

5度目の大勝負も40代、48歳のときでした。40代でひと勝負する、というのは19歳のときに決めたことですが、ブロードバンド参入だけでは、まだ少し勝負し足りなかったのです。会社の時価総額がやっと2兆円にまで復活した時期でしたが、私はそれで満足する男ではない。そこで、モバイルインターネットを何とかしてやろうと、2兆円全額使ってボーダフォンジャパンを買収したのです。ちなみにこの買収は、日本経済史史上、最大の現金による買収。世界的にも2番目の規模で、私の最後の大勝負にふさわしい賭けになりました。

しかし、ボーダフォンジャパンは決して業績の芳しい会社ではなかった。端末がダサいし、電波が悪くて電話はつながらない。営業は悪いし、ブランディングも弱い。まだナンバーポータビリティがはじまる前で、他社からボコボコにやられるだろうとみんなが言っていましたよ。でも、逆に言えばこの4点さえ改善すれば、逆転の可能性があるわけです。短所がわかっているのだから、直せばいい。

現在、iPhoneの人気も手伝ってソフトバンク携帯の純増契約数は過去2年連続1位に。ホワイトプランも好評で、白い犬のお父さんのCMも、好感度ランキング3年連続ナンバーワンです。電波の基地局もボーダフォンジャパン時代の2倍に増やして、98%の人の自宅でつながるようになりました。でも、99%つながるドコモさんやauさんに比べると、若干弱い。(※雑誌掲載当時)

ツイッターをやっていると、まだまだ「携帯電話なのに電話がつながらないとは何事だ」というお叱りを受けることがあります。それで、経営的に考えれば無謀なのですが、基地局をさらに倍にする「ソフトバンク電波改善宣言」を出しました。それでもつながらない残り1%のお宅や会社には、自宅用小型基地局「フェムト」をタダで提供します。モバイルインターネットを何とかしてやる、とはじめたことなのだから、これくらいしなくてはいけない。これが私の腹の底からの誠意です。

今回はツイッターで自分の会社に足りないことを気づかされたわけですが、人々の知識と知恵を合わせることで世界中が幸せになる、そういう時代が来ます。ツイッターはその先進的な例なのです。たとえば先日、ツイッターで「30年後の教育はどうあるべきでしょうか」と投げかけたら、一瞬で230件もの意見がツイートされました。文字だけじゃなく動画も、Ustreamのようにリアルタイムで公開できるようになり、世界中の人が一緒に情報共有できる時代がすぐそこまできています。それにともない、ものづくり産業で競争力を失ってしまった日本が、もう一度輝けるチャンスがあると思っています。

日本がものづくりにおいてコケたのは、テクノロジーの低下が問題ではありません。日本に比べて賃金や材料が安く、国内市場のボリュームも多い中国やインドに需要が移ってしまうのは、当たり前のことなのです。人口でも勝てない、価格でも勝てない日本がこれから競争力を持つとしたら、それは頭で勝負する分野でしかありえません。はじまったばかりのモバイルインターネットにこそ、可能性があるのです。携帯電話のユーザは、この10年間で7億人から50億人に増えました(※雑誌掲載当時)。モバイルインターネットのユーザは、これからも世界規模で増え続けるでしょう。ITの中心がパソコンからモバイルに移ることで、携帯が音声を中心とした携帯「電話」でなく、インターネットを中心とした携帯「インターネット」と呼ばれる時代が来ます。アジアは人口が多い、日本には優秀な頭脳がある。日本にとっては2つの面でチャンス到来というわけです。

50代になり、私のデジタル情報革命ももうすぐ完成の時期。60代になったら、計画どおり次の世代にバトンを渡します。

60代で引退したらどうするか。すでに青写真はできています。私の夢は「ソフトバンクアカデミア」をつくり、そこの校長先生になることです。プラトンが自らのアカデミアの入り口に「幾何学を知らぬ者、この門をくぐるべからず」と掲げたように、私も「デジタル情報革命を志さぬ者、この門をくぐるべからず」と掲げたい。高い志を持った、ソフトバンクグループの経営陣を育てる学校をつくりたいのです。ちなみにソフトバンクのイコールサインのロゴマークは、龍馬の海援隊の2本線の旗印からきているんです。「志高く」生きた龍馬に憧れる私が決めました。私は、金も名誉もいらない。ただ、人に志を残したい。

このように考えるのは、やはり早く志を持った人間は強い、という信念があるからです。早く志を持てば、人生をムダにせず生きられます。どんな人間も一生懸命に生きていますが、自分の登りたい山を定めずに歩くのは、さまようにも等しい。これは非常にもったいないことです。でも、実は99%の人が自分の山を決めかねたまま、なんとなく生き続けているのではないでしょうか。だから迷いも生まれるし、「自分の人生、こんなはずじゃなかった」なんて愚痴も出る。では、どんなはずだったのか。

自分の可能性を生かしきって生きるには、エネルギーを注ぐ価値のある、人生のテーマが必要です。高い志が必要です。時間がかかってもいいから、一度そのことについて悩みぬくこと。それが自分自身の、人生の夜明けになるはずです。

※本稿は2010年3月29日に東京国際フォーラムで行われたソフトバンク新卒採用向けの説明会「孫正義LIVE2011」での孫正義社長の講演の要旨です。写真と本文は関係ありません。

(ソフトバンク社長 孫 正義 編集協力=大高志帆 撮影=小倉和徳)