朝晩自分と向き合う「挨拶のミラーマジック」−−千 玄室

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茶道裏千家 第15代家元 
千 玄室 
1923年、京都府生まれ。同志社大学卒業。国内外で茶道文化の普及に大きく貢献したことが評価され、97年、茶道界初の文化勲章を受章。日本・国連親善大使、日本国 観光親善大使も務める。哲学博士。文学博士。近著『いい人ぶらずに生きてみよう』ほか著書多数。

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茶道文化の普及と日本・国連親善大使として世界平和に貢献するために、年に12〜13回は世界各国を訪れます。海外から帰ってくるたびに、日本のビジネスマンの元気のなさが気がかりで仕方ありません。

とくに朝の通勤時間帯に都心を車で通るときなどには、出勤の人がうつむきながら暗い表情でビルへと流れ込んでいく様子を目の当たりにします。ビルの入り口には守衛が立っていて、社員一人ひとりに「おはようございます」と声をかけるのですが、それに答える声はほとんど聞こえません。

確かに、朝は眠くて辛いものです。人によっては仕事でいろんな問題を抱えているのでしょう。もしかしたら、家庭のトラブルを背負っているかもしれません。でも朝は、大切な1日のはじまりです。暗い表情で1日を迎えるのはよくありません。

私は毎朝起きて顔を洗うとき、鏡に映っている自分に向かって「おはようさん。やぁ元気か?」と声をかけています。実はこれ、私が小学生のころからずっと実践していることなのです。

小学生のころの私といえば、裏千家の家元の跡継ぎだったことから「千家のボンボン」と言われ、同級生からも上級生からもいじめられたことがありました。そんなとき母から「そんな仏頂面して泣きそうな顔をしていたらダメ。朝起きたら、まず鏡に映っている自分に『おはようございます』と声をかけ、夜寝る前には『おやすみなさい、明日も元気でね』と語りかけてごらんなさい」と言われたのです。それを実践してみると、どんな人に対しても自分から明るく「おはようございます」と言えるようになり、自然といじめはなくなったものです。

ぜひ皆さんも、朝と晩、鏡に映っている自分と向き合う習慣を身につけてみてください。鏡に映っている自分は貧相な顔をしていませんか? 余裕のない顔になっていませんか? 自分を客観的に見て会話をする時間をつくることで表情が豊かになり、心にも余裕が生まれます。そして、人に会ったら自分から「おはようございます!」と元気に声をかけてみてください。そうすれば、嫌なことも辛いことも一瞬で払いのけることができるはずです。

心に余裕がなくなってきたときは、気持ちが安らぐ時間をつくることが大切です。私がこれまでにお会いした優秀な企業家や財界人の多くは、そのひと息の時間によく茶道をたしなんでいらっしゃいました。

私の父にお茶を習われていた松下幸之助さんは、どんなに忙しくても、欠かさずにご自分でお茶を点て、客人にふるまっていました。そんな心の余裕があったからこそ大きな仕事を成し遂げることができたのでしょう。

ところが最近の方々は、私が「お茶を一服いかがですか?」と申し上げても、皆さん口々に「忙しいので、また次の機会に」とおっしゃるのです。本当に残念なことです。時間といっても10分もかかりません。「お茶の作法はわかりませんが、ぜひいただきます」とおっしゃるくらいの気持ちの余裕を持っていただきたいのです。

海外にビジネスで行かれた際に、もしお茶を点てることができたら、それは立派な外交となります。お茶を点てるのはそれほど難しいことではありません。器と茶筅とお抹茶、お湯があれば誰にでも点てることができます。金平糖などの干菓子を添え、野に咲いている花を一輪さりげなく活ければ瞬く間に雰囲気が変わり、「日本人、日本の文化はすばらしい」と口々におっしゃいます。

ほんの10分ほどのことで、その効果はきっと100倍にも1000倍にもなって返ってくるものです。日本人としてのプライドや誇りを持つこともまた、余裕のバロメーターになるのではないでしょうか。

「いつでも辞めてやる!」。そんな思いで仕事をされている方はいらっしゃいませんか? 私は、どんな仕事もすべて天から与えられた天職と思うべきだと考えています。仕事は単なるビジネスではありません。

キリスト教社会では、「Service above self」 という言葉がよく出てきます。「自己心を超越した奉仕」という意味です。仕事とは単に利益を挙げることのみが目的ではなく、自分のやっていることが人に喜びを与え、社会に還元されるものだと考えてみてください。そこにやりがいを感じ取っていただきたいのです。

偉人として後世に名を残した人のなかで、一攫千金を狙った人はひとりもいらっしゃいません。まじめにコツコツと努力を積み上げた人たちであることを忘れないでほしいのです。

組織のトップにいる人は、孤独をより強く感じている人が多いかもしれません。さまざまな判断を自分でしていかなければなりませんから気持ちに余裕がなくなりがちです。たしかに、リーダーシップを発揮するということは孤独に負けない強い気持ちを持つということなのでしょう。でも、リーダーだからといって、人を見下ろすことをしてはなりません。

「そういうあなたは、裏千家の家元として頂点にいるじゃないか」とおっしゃる方もいるでしょう。私は、自分の役割を500年以上続く伝統と大きな組織を下から持ち上げ、守るための存在と思い、今までやってきています。

何か重要な決議をするときは役員たちと討議をします。けれど、役員全員が「イエス」と言っても、自分でその判断が「危ない」と感じたら、「ノー」と言えるだけの決断力がなくてはいけません。それをただ、伝統の上にあぐらをかいていたら、あっという間に座布団から引きずりおろされてしまいます。そうならないために、孤独に耐え、冷静な判断ができるようこれまで毎日毎日、厳しい修業を積んできたのです。

誰もが悩みや苦しみを抱えているものです。悩むということは、頭の中の整理ができない状況にあるということ。整理がつかないから、つまらないことでもどんどん悩みとして膨らんでいくのです。そして、「自分だけが」と孤立させることで、よけいに追い詰められてしまうのです。

私が世界中どこへ行っても使う言葉があります。「All together with you」。「みんな一緒だよ」ということです。楽しそうにしている人も、すましている人も、それに私も、皆同じように悩みを持っています。苦しんでいるのは自分だけではないと思うことで気持ちを楽にしてください。そして、決して自分の殻に閉じこもらないこと。何を言われようが、何があろうがいつも胸を張って人の前に出ていくのです。

「言いたい人は好きに言ったらよいではないか」と。

2010年春に一冊の本を書きました。『いい人ぶらずに生きてみよう』というタイトルです。この世に生きている人は、どんな人であれ、みんなが悪の気持ちをどこかに抱いているのです。生まれてから一度も嘘をついたことのない人など、どこにもいません。

人間は大して立派なものではないのです。ですから、「どうして自分だけが」「誰も自分を理解してくれない」などと、いじけたりくじけたりしないこと。悩んで暗い顔ばかりしていたら、ますます自分を破滅させてしまいます。

何度も申します。みんなが考えていることや悩みは一緒なのです。仏教でいうところの「一蓮托生」です。人間生まれてから死ぬまで運命は皆一緒。そこに大した差はありません。それなら、周りの人たちを豊かな気分にすることで自分も豊かな気持ちになるのがいちばんではないでしょうか。

※すべて雑誌掲載当時

(茶道裏千家第15代家元 千 玄室 構成=堀 朋子 撮影=小林禎弘)