アサヒグループホールディングス社長 
泉谷直木氏

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アサヒグループホールディングス社長 泉谷直木(いずみや・なおき)
1948年、京都府生まれ。京都産業大学法学部卒業。広報部長、経営企画部長、東京支社長などを歴任。2004年、常務。09年、専務。10年3月より現職。自他ともに認めるメモ魔。本取材に際しても、ポイントを記したA4用紙を事前に準備していた。

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世の中はさまざまな情報に満ちている。玉石混交の中から、有用な情報を見つけて整理し、ビジネスに役立てるにはどうすればいいか。結論を先に述べてしまうと、努力と経験によって、ビジネスの勘を磨いていくしか方法はない。それには次の5つのポイントがある。順に説明しよう。

もっとも重要なのは、(1)「思考の足腰力を強化する」ことだ。

たとえばマーケティングの仕事をしているなら、まずはSWOT分析やSTP理論、PPMといった、その道のオーソドックスな原理・原則を知らなければならない。そのうえでこそ、情報を取捨選択できるようになる。

私は10年間、広報の仕事を担当してきた。広報マンの日課は、新聞やテレビ、雑誌などのメディアをくまなくチェックすることである。この仕事では、日々多くの情報に接するため、どれが重要かを判断することが求められる。そのためには、判断するためのフィルターを持ち合わせていなければならない。そのフィルターが、原理・原則に当たる。

ただし、人間とは忘れる動物である。自分の頭に原理・原則を叩き込むには、繰り返し「手で書く」ことによって記録し、記憶することを勧めたい。私はこの20年来、スケジュール管理用の小さな手帳を活用している。

スケジュール欄の右ページには経営学の理論やマーケティングの法則、あるいは、その年の世界的なテーマとなるであろう事柄(たとえば環境問題や食糧問題など)について、要点を自分なりに整理し、シャープペンシルの細かい文字でどんどん書き込んでいくのだ。年初に行うこの恒例行事は、現在まで20年間欠かさず続けている。

また、翌週の面会相手についても、ちょっとした情報を書き留めている。得意先の会社のデータや社長の人となりはもちろん、現場で会うことになっている社員が何年入社か、どんな成績をあげたかなどを調べておく。

すると、社員とビールを酌み交わすときに、「お、君は2000年入社やな。2年前はえらい成績をあげたそうやないか」と、すんなり話に入れるのだ。相手との距離を近づけるためにも、「書く」ことは大事だと実感している。

勘を磨くためのポイントの(2)は「思考の俯瞰力を強化する」ことだ。全体を見通すことができなければ、個別の情報を得てもそれは単純な情報=インフォメーションにすぎない。しかし2軸で表現する、マトリックス化する、といった手法を身につけることで、真の情報=インテリジェンスとして活かすことができるのだ。

■専門家の「翻訳」で知識を血肉化する

ただし、手法を学んでも、それを使えなければ意味がない。身につけた手法を自分の血肉とするためには、何より経験を積むことが大切だ。

私の場合は、30代半ばのころに、当時の村井勉社長から命じられてCI(コーポレート・アイデンティティ)導入の実務を担ったことが、いま思えば得がたい経験の場になった。

課せられたミッションは、アサヒビールの新しいイメージをつくりあげること。そのために、社内の意見だけではなく社外の専門家の知恵を借りることになった。

このプロジェクトを通じて、マーケティングを専門とする大学の研究者や広告代理店のプランナーなど、第一線で活躍する方と出会った。狭い視点で物事をとらえていた私に、彼らは新たな興味深い視点を提供してくれた。

また、彼らと会話をするためには、専門用語を理解するための勉強が必要だった。このことをきっかけに、マーケティングの知識を頭に叩き込んだ。さらに、そこで勉強したことを社内に通じる言葉で私自身が説明しなければならない。いわば社内向けの翻訳作業だ。このプロセスを踏んだことにより、私はブレーンの方々から得た知識を消化し、自分自身のものにすることができたのである。

同時に、外の声を取り入れる重要性にも気づくことができた。「俯瞰力」を養うためにも、私は意識的に社外の人と出会う場を設けている。

次に大切なのは、(3)「思考の跳躍力」である。いま得られる事実を組み立て、将来を想定する。そのときには、単に「いま」を延長するだけではなく、思考の跳躍が求められる。

跳躍のために欠かせないのが「バネ」だ。たとえば、次のようなロジックがある。

ビール業界にとって避けがたい話題にシェア競争がある。それを議論する際に基礎となるのが、クープマン目標値というシェア理論である。73.9%なら独占的市場シェア、41.7%なら安定的トップシェア、26.1%なら市場影響シェア……というように、クープマンは、シェアの目標値を掲げ、それをクリアできればどういったポジションを獲得できるかを定めている。

こうしたロジックを頭に浮かべることで、当社の置かれている状況を俯瞰し、さらに未来へ向けて発想を飛躍させることができる。これが思考の跳躍力をもたらす「バネ」である。

■トップを動かす「5つの思考実験」

しかし、そこまでなら抽象的な推論だ。理屈は正しくても、実現するためには人を動かさなければならない。そこで問われるのが、(4)「思考の現実化力」だ。

私がよく使うのは、次のような組織変革のメカニズムである。

組織が停滞するとき、トップに「経営への課題意識」があり、ミドルも「現状への問題意識」を持っているものの、一般社員が「現状肯定意識」を抱えたままであることが多い。このような組織を変革する場合、まずトップが「5年後にわが社の利益は半減し、10年後にはゼロになる」などと揺さぶりをかける必要がある。そうすることによって、それがミドルへと連鎖し、さらには一般社員が模倣をはじめ……という経路をたどって、最終的には全員が変革に向かって動き出す。

理論を実践に移すには、このようなモデルを頭の中にいくつか用意しておくことが肝心なのだ。

さらに、(5)「思考を実行化するノウハウ」が加わることで、情報はようやく現実の経営戦略に活かされることになる。

私が心がけているのは、実行に当たっては必ず「5W2HYTT」を意識して指示を出すことだ。つまり、いつまでに・どこで・誰が・何を・なぜ(5W)、いかにして(How)・どれくらい(How much)実行するのか、さらに昨日・今日・明日(YTT)にはどうあるべきか、を報告させる。経験上、こうすることによって戦略が実行化される確率は格段に高まる。

私は広報部や経営企画部のスタッフ時代から、以上5つのポイントを常に心がけてきた。

経営戦略を実行に移すのはスタッフではなく、経営トップの仕事である。私は若い頃から経営トップと直接やり取りをする機会に恵まれたが、そこまでの思考実験をしておかないと、トップは動いてくれない。単に「この情報は大事です」というだけでは、仕事をしたことにならないのだ。

「この情報は原理・原則に照らすとこのような意味があります。全体から見てわが社にはこのような価値があります。他の情報と組み合わせると、さらに高い次元の価値が生じます。このように工夫すれば組織を動かすことができますから、実現にはこの戦略をとるべきです」

こうしたことが無意識にできるようになれば、必要な情報を選び出し、仕事に活かすための勘がおのずと養われているはずだ。

※すべて雑誌掲載当時

(面澤淳市=構成 小倉和徳=撮影)