大和ハウス工業会長 
樋口武男 
1938年、兵庫県生まれ。県立尼崎高校を経て関西学院大学法学部卒。63年、大和ハウス工業に入社。常務取締役、専務取締役などを経て93年にグループ会社の大和団地社長に就任。2001年には大和ハウスと大和団地が合併して代表取締役社長に。改革を推し進めて、06年に売上高で業界トップの地位に。04年より代表取締役会長兼CEO。

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忙しさにかまけて斜め読みばかりだった私の読書人生で、精読した数少ない1冊がデール・カーネギーの『人を動かす』である。20代の頃に出合って、10回以上は読み返した。

事業家になることを目標にしていた私は、大学卒業後、中小の鉄鋼商社に就職した。商社は業務の幅が広いし、中小なら全社的な仕事の仕組みや流れを身につけやすいと思ったからだ。私にとって会社は経営者修業の場であり、大学ノートに会社のすべての書類を書き出すなどして商業文書の書き方を徹底的に勉強した。『人を動かす』を手に取ったのも、経営者的な視点で人間関係のマネジメントに関心があったからである。

結局、その会社は2年で辞めた。

「鉄は国家なり」の時代だから、一生懸命働いても働かなくても商売になる。そんな“ぬるま湯”では修業にならない。次なる修業先として私が選んだのは、当時、週刊誌の記事で「猛烈会社」と評されていた大和ハウスだった。

大和ハウスの社員は入社時に『わが社の行き方』と題された小冊子を渡される。創業者石橋信夫が1963年に著したこの冊子は、創業者の企業精神が込められた“原典”であり、大和ハウスグループで働く者としていかに考え、行動すべきかが示されている。「率先垂範」
「現場主義」といった行動姿勢や、現場の士気を高めるコミュニケーションの重要性など、カーネギーの『人を動かす』と共通する部分も少なくない。

それを実践してきた私は36歳で山口支店の支店長を命じられた。任された支店を日本一にするべく、「今日から山口支店株式会社の社長として陣頭指揮を執る」と宣言して営業の先頭に立った。やる気の見えない部下を叱り飛ばし、時には手を上げたこともある。

誰よりも働いてきた自負があったし、仕事に打ち込む後ろ姿を見せれば部下は自然についてくると思っていた。ところが私が張り切るほど社員は萎縮して誰もついてこない。就任半年で思い悩んでいた頃、石橋社長が現場視察にやってきた。

視察を終えた夜、宿屋で風呂に誘われた私は、湯船につかった社長の背中越しに思わず弱音を吐いた。笛吹けど踊らず、支店長がこんなに孤独とは思わなかった、と。すると黙って聞いていた社長は一言。

「樋口クンな、長たるものは決断が一番大事やで」

私の悩みに直接答えてくれたわけではないが、その一言にハッとした。信念を持って進めと背中を押されたような気がしたのだ。

人を動かすのは、結局、率先垂範とコミュニケーションである。その日から私は社員の一人一人と朝に晩にマンツーマンで徹底的に対話するようになった。胸襟を開いて自分の思いや考えを伝え、時に自分の弱い部分も晒す。相手の話にもじっくり耳を傾けて、互いの本音で語れるように心掛けた。

コミュニケーションが濃密になり、一体感が格段に増した山口支店は1年後に社員1人当たりの売上高、利益率で全国トップになった。以降、大赤字の福岡支店でも巨額の債務を抱えていた大和団地でも、徹底対話によるコミュニケーションで組織を活性化させてきた。『人を動かす』にも、「聞き手に回る」「自分のあやまちを話す」といった項目が出てくるが、柔と剛の部分を持ち合わせていなければ企業家としては大成しない。それを最初に示唆してくれたのがカーネギーの『人を動かす』であり、トップの処し方を、身を以って教えてくれたのが石橋社長だった。

※すべて雑誌掲載当時

(小川 剛=構成 森本真哉=撮影)