スズキ会長兼社長 
鈴木 修氏

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スズキ会長兼社長 
鈴木 修 
1930年生まれ。中央大学法学部卒。中央相互銀行を経て、58年鈴木自動車工業入社。67年常務、73年専務を経て、78年社長。2000年会長就任。バイタリティの源泉は現地の食事を食べること。取材時は社長室からドリアンの香りが。

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──世界自動車市場は、いつ1億台に到達すると予想するか。

鈴木 そんなことはわからんよ。自動車産業の将来とか、世界経済と自動車との関係といった大きな話は、余裕のある会社に聞いていただきたい。中小企業のスズキは、生存をかけて日々頑張っていくだけ。

──スズキはインド事業への依存度が大きいが。

鈴木 国内で108万台、海外で197万台(2012年度予想)の生産だが、海外生産の半分に当たる100万台がインド。つまりインドの“一本足打法”になっているのは問題です。そこで、タイに工場を建設して、12年3月から「スイフト」の生産、販売を始めました。ASEANと中国とのFTA(自由貿易協定)、タイ政府が推進するエコカープロジェクトに適合する車をつくるという考えからです。今年度は1万2000台ですが、14年度には5万台を目標にし、インドネシアの約10万台と合わせてインドに続く柱にしていく。タイ工場には、日本の工場から150人の従業員が行っている。指導ではなく、タイ人の従業員と一緒に働いているのです。

──スズキにとって初めての試みでは。特に、言葉の問題をどうするのか。

鈴木 初めてです。一緒に生産ラインに入り、例えば組み付けをする。マン・ツー・マンで、日本人のベテランがタイ人の新人に作業をしてみせるのですよ。言葉は関係ないです。現場では、目の前にモノがあり、共通の目的があるから、ハート・ツー・ハートで通じ合える。「やってごらん」と日本語で話しても、通じるものです。

タイ工場が日本工場と同じ品質を確保するために、こうしました。タイ製スイフトは、アジアはもちろんオーストラリアにも輸出していくのですから、品質が落ちたら通用しない。日本の工場からも、世界の工場に人が出ていくようになっています。

──日本からタイへ行く人には、どんな心持ちが求められるのか。

鈴木 同じワーカーとして、一緒にやりましょう、という気持ちが大切です。指導ではなく、一緒に仕事をすることで、タイの人には一人前になってもらう。そのためのお手伝いで、日本人は赴任しているのです。

──インドなどで、できる従業員は転職したりライバル社に引き抜かれるケースも多いのでは。

鈴木 マルチ・スズキなんか抜かれっぱなしですよ。でも転職は日本でも一緒。マルチ・スズキで班長になった、さらに湖西工場に研修に行ったということが、キャリアになり引き抜かれることは多い。仕方のないことなのです。

──7月にインド・マネサール工場で暴動が起きたが。

鈴木 はっきりした原因はわからない。事件を起こした人は、懺悔をしているはずです。日本でも戦後15年間は、荒廃していた。私は小学校の教壇に立ったが(鈴木は中央大学に学びながら世田谷区で教員を務めていた。当時は戦争で教員が不足していた)、子供たちを前に身のつまされる思いをしたよ。猫も杓子も、みんながストライキに参加したんだ。そんな時代が、日本にもあったのです。80代以上の日本人なら、みんな知っていますよ。

──インドでは追われる立場だが、日本での追う気持ちとは違うのか。

鈴木 経験がないから、わからない。インドには、世界の一流がみな入ってきました。大変な競争ですが、もう前を向いて走るしかない。

──新型「ワゴンR」では東芝の技術者とスズキの技術者が2年以上、一緒に開発したそうだが。

鈴木 環境の時代になり、いろいろなところとの協力関係が求められてきています。開発部門でも、業界を越えたハート・ツー・ハートは大切になります。

■軽は世界最高のエコカー

──アルトやワゴンRなどの軽自動車が、インドで人気だ。新興国で軽は通用するのか。

鈴木 ワゴンRのボディーに1000ccのエンジンを積んでいますが、月1万5000台売れるヒットになった。小さな車でいいのですよ、アジアは。体の大きさは日本人と変わらないのですから。日本がつくった軽自動車は、新興国で通用する最高のエコカーなのです。

※すべて雑誌掲載当時

(永井 隆=構成 的野弘路=撮影)