花王会長 尾崎元規 
1949年、長崎県生まれ。県立佐世保北高校卒業。72年、慶應義塾大学工学部管理工学科卒業。同年、花王石鹸(現・花王)に入社。2000年、化粧品事業本部長。02年、ハウスホールド事業本部長。同年、取締役執行役員。04年社長。12年より現職。

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サミュエル・スマイルズの『自助論』は明治4(1871)年に『西国立志編』と題して邦訳され、福沢諭吉の『学問のすゝめ』と並んで明治期の青年たちに広く読まれたという。その時代は花王の創業者、長瀬富郎が活躍した時代でもあった。

長瀬富郎の遺訓に「天佑は常に道を正して待つべし」という言葉があります。日々の努力を積み重ねて初めて天佑(神の恵み)が訪れ、大きな目標を達成できるという意味で、私はこれを座右の銘としています。

この長瀬の遺訓と、「天は自ら助くる者を助く」の一節で始まる『自助論』に書いてある内容は、非常に重なる部分が多いと感じます。最初の邦訳が出版された時代を考えると、長瀬は『自助論』を読んで触発されたのではないか..。これは私の推測ですが、おそらく間違いないでしょう。ですから、『自助論』は花王という会社の原点に近い考え方が書いてある本だと思います。

本書には西洋や東洋の別を問わず、普遍的なことがきちんと書かれています。たとえば、「勤勉の中にひらめきが生まれる」「成長は無知の知から始まる」「最高の教育は日々の生活と仕事の中にある」「秩序立てて仕事をできない人は才能の4分の3を浪費している」といった言葉のように、いわば当たり前の内容が当たり前に書かれているのですが、私は何か困難に直面したときにこの本を改めて読むと、自分が立ち返るべき原点に戻ることができます。

私たちは困った問題にぶつかると、人に情報を求めたり打開策を相談したりします。もちろんそうした努力も必要ですが、それらはあくまでヒントであって、最終的な判断は自分で下さなければいけません。

やはり最後に頼るべき存在は自分しかいない。自分の力で直面した課題を切り開かないと、誰も助けてはくれない。

苦しいことがあって気持ちがググッと押し込まれたら、まず踏ん張って態勢を立て直す。そのとき、後ろを振り向いても誰もいない。だから、自分が必死で考え決断したことを進めていくのが最良の道である。そう腹を括ってみると、逆にいろいろな考えが浮かんできて、前に進むことができる――本書はそんな原則を示し、勇気を与えてくれます。

結局、困難を乗り越える力となるのは日々、一歩一歩努力を積み重ねて形成した自分自身しかありません。その意味で困難を跳ね返す力とは、自分の人生の凝縮から生み出されるものです。著者が「天は自ら助くる者を助く」と言っている真意も、そこにあるのだと思います。

最近、花王が直面した困難といえば2009年、エコナ油にグリシドール脂肪酸エステルが一般食用油に比べ多く含まれているのがわかり、エコナ関連製品の一時製造・販売中止を決定したことが思い出される。

グリシドール脂肪酸エステルそのものは、安全性への懸念を指し示す報告はないものの、体内で発がん性物質に変化する可能性が指摘されており、現在はEU、アメリカ、日本の産・官・学と協働し、健康への影響について究明が進められている。

エコナの問題が発生したときも、私は『自助論』を読み返し、自分が信じる道を行かなければいけないという思いを強くしました。私たちとしては、エコナは長年にわたりいろいろな試験をクリアしたうえで世に出している商品ですから、食品としての安全性には非常に自信を持っています。

しかし後発事象として、グリシドール脂肪酸エステルが発がん性物質に変わる可能性がドイツで指摘されました。ならば、身体への影響を解明していかなければならない。この点をきちんと調べないと、消費者の方たちの安心感が得られません。身体への影響を解明するには、客観性が重要です。私たちだけでやっても駄目で、第三者の研究が必要になります。

品質という問題に対して疑念があってはいけません。花王は品質が一番の基本であり原点ですから、品質に疑念が出たらまず払拭することが基本中の基本です。そこで疑念を払拭できるまでは販売を一時取りやめて、払底できたときに再発売することを決めました。

販売の取りやめという判断は過去、同様の問題に直面した会社はそうしてきたと思いますが、私たちが想定していた以上に大きな反響がありました。会社や社員が疑いの目で見られたのですから、これも非常事態であり、大きな困難でした。

しかし、私たちは長年にわたって品質を追求する努力を続けてきたという真実に基づく自負があります。

その真実を拠り所として、私たちは前に進むことができる。そう自分に言い聞かせ、自分の信じる道を進んでいこうと考えました。

製造・販売の一時中止に関しては、安全性に自信があるのならそのまま販売を続けてもよいのではないか、あるいは問題の物質を徐々に減らしていけばよいのではないか、という考え方もあります。

しかし、大切なのは誠実さです。完全な納得を得られていない中で「この商品は安全である」と自分たちの主張を押し通していくことは、自分たちに対して忠実ではあっても、社会に対して誠実であるといえるでしょうか。

やはり第三者によっても安全性の評価が科学的に説明され、納得を得られるようにしてはじめて、誠実であるといえると思います。

経営者の仕事は重要な判断の連続といわれる。たとえばエコナ関連製品の売り上げは約200億円。その販売を中止するという決断は、目先の数字だけにとらわれていてはできない。どんな困難な状況にあっても原理原則に則って、物事を適切に判断していくためにはどうすればよいのだろうか。

判断力を磨くには、読書も含めた経験が大切ではないでしょうか。やはり正しい努力を積み重ねてきたという経験そのものが、自分という存在になるのです。そこに拠り所がないと、困難に立ち向かうことは難しい。

必要な情報の3割しかなくても、進むか退くか決断しなければいけない場合もあります。そういうとき、最後はある意味直感が頼りになるのですが、それはいきなり出てくるものではありません。さまざまな要素や過去の経験を踏まえて考え抜く中で、迷いながらもやっと方向性が見えてくる。しかもそれは、スパッと割り切れるような単純なものではありません。

3代前の社長・丸田芳郎は、「会社は道場だ。自分を鍛える場所なんだ」とよく話していました。今思い返すとたくさん経験を積み、その経験値でさまざまな判断や行動ができる力を養っていく場が会社であると丸田は言っていたのだと思います。

やはり毎日毎日コツコツと続ける努力の積み重ねこそが大事。『自助論』にも「最高の知的素養は1日の仕事から生まれる」「自らの汗と涙で勝ち取った知識ほど強いものはない」と書いてあります。これは「会社は道場だ」という考え方と同時に、長瀬の「天佑は常に道を正して待つべし」に通じる考え方です。

半年間山にこもって勉強しても、その後の日々を安易に過ごしていたら何にもなりません。いきなりスーパーショットを打つ必要はない。それよりも長い期間コツコツと努力を積み上げることによってこそ、大きな成果も生まれるのだと思います。

私にとって『自助論』は、本当に困ったときに原点に立ち戻り、態勢を立て直して前進するための書になっています。

■尾崎元規氏厳選!「役職別」読むべき本

■部課長にお勧めの本

『経営者の条件』P・F・ドラッカー著、ダイヤモンド社

経営学者ドラッカーが、経営者のみならず、1人のビジネスマンとしてよき仕事を成し遂げるためにはどうすべきかを記した書。

『組織戦略の考え方−企業経営の健全性のために』沼上 幹著、ちくま新書

組織を預かる立場になった人に、組織について考える入門書。

『坂の上の雲』司馬遼太郎著、文春文庫

■若手、新入社員にお勧めの本

『ものづくり経営学−製造業を超える生産思想』藤本隆宏著、光文社新書

技術経営が抱える問題点に関する研究成果がまとめられている。

『V字回復の経営』三枝 匡著、日経ビジネス人文庫

『フラット化する世界』トーマス・フリードマン著、日経経済新聞出版社

※すべて雑誌掲載当時

(宮内 健=構成 市木朋久=撮影)