自分の存在を「物語」にして「商売」にしていく女を「アキンド女」と名付け、さまざまなアキンド女の生き方を語ってきた。

 一方で、成功していながらも、自分の「女」の「物語」を売りにすることをよしとしない「サムライ女」もいる。

 ここまで元祖アキンド女として、瀬戸内寂聴と、岡本かの子と、林芙美子と、宇野千代について語り、元祖サムライ女として白洲正子を語ってきた。

 今回は、元祖サムライ女の女優、高峰秀子である。

天才子役の「決して幸せとは言えなかった人生」

 高峰秀子は1924年(大正13年)生まれで、2010年に亡くなった、昭和の大女優の一人である。

 彼女は、函館で生まれて4歳で生母を亡くすと、父方の叔母夫婦の養女になり、東京に連れて行かれた。

 5歳で映画「母」の子役としてデビューし、男の子役まで演じるほどの演技力で、すぐに天才子役として人気になった。

 「デコちゃん」という愛称で親しまれ(本人によると、ヒデコからという理由と、木偶(でく)人形からという理由などがあったようだ)、またアメリカで人気のあった子役シャーリー・テンプル(6歳でアカデミー特別賞を受賞し、今でも「アメリカで一番人気のある子役」である。彼女にちなんで同名のノンアルコールカクテルもある)の日本版とも呼ばれた。

 しかし子役としての秀子の人生は決して幸せとは言えなかった。

 その高収入のために、養父母だけでなく、多くの親戚の生活が彼女の肩に掛かってしまったのだ。

 秀子は学校に通えないのに、親戚の子供は彼女の稼ぎで学校に通っているという状態であった。
 
 秀子の境遇に同情し、またその才能に魅入られていた周囲の大人たちは、彼女を自分の手元に引き取ろうとした。

 戦前を代表する歌手の東海林太郎、大女優であり女性監督でもある田中絹代など、当時の著名人たちである。

 秀子は松竹から東宝に移籍し(当時は映画監督や映画俳優は大手映画会社に所属し、その会社の映画にしか出られなかったのだ)、その移籍の条件として世田谷の一軒家と(それまでは稼いでいたのに貧しいアパート暮らし)、学校への入学を許された。

 念願の文化学院に入学したものの、仕事が忙しくて、学校から「仕事か学校かを選べ」と言われ、「親戚の生活のために」仕事を選んで1年で退学することになってしまう。

 それでも、周囲の大人たちが秀子に様々な形で影響を与え、秀子はオペラや骨董なども学んだ。

 戦後は、映画会社を自由に選べるフリーとなる。当時はまだまだフリーの俳優は珍しかったが、そのおかげで、名監督と多くの仕事をすることができた。

 そして、代表作となる『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』の監督、木下恵介の助監督を務めていた松下善三と出会い、結婚。夫のデビュー作『名もなく貧しく美しく』にも主演する。

 また秀子は女優でありながら、社会への発言や論争もいとわなかった。これは、当時の女優としてはとても珍しいことであった。

 養父母のことも最後まで面倒を見て、55歳で女優を引退。その後は数々のエッセイを書いて過ごした。

 夫とは秀子が亡くなるまで仲良く暮らし、子供はできなかった(つくらなかった)が、晩年にはライターの斎藤明美を養女として迎えている。

 秀子のエッセイは、どれも素晴らしく辛辣で真実をついていて、面白い。

 そして映画の中の高峰秀子も燐として美しいので、これも見てほしい。

自伝『わたしの渡世日記』でわかること

 秀子のこれらの人生については、自伝『わたしの渡世日記』にくわしい。

 養父母や親戚に苦しめられたことなども正直に書かれているのだが、なぜか自分のつらかった人生を売り物にしようという態度ではないのだ。

 秀子は辛辣に、養母のことを「デブ」とまで書くのだが、それでも“自分に同情して書く”ことはしない。

 そもそも、この自伝のタイトルで使われた「渡世」とは、「この世で生きていくこと。生活すること。世渡り。生活していくための職業。なりわい。生業。稼業(かぎょう)。」(大辞泉)という意味で、大女優が使うような言葉としては、けっしてふさわしくはない。

 それでも秀子にとって、生きることは「世渡り」であった。

 それに日本では、女優の書いた自伝自体も珍しいのだ。

女優というのは、「実生活」をあきらかにしてはいけないものだからなのかもしれない。

 秀子は自分についてすべてを明らかにしながら、そこに「矜恃」がいつもあった。だからこそ彼女は「アキンド女」ではなく、「サムライ女」なのだ。それがなければ、彼女は自分の境遇を支えきれなかったのだろう。

 そして「女優、高峰秀子」のファンは、彼女の作品を読んでも幻滅することなく、「エッセイスト、高峰秀子」のファンになることができるのだ。

 今では彼女の女優時代を知らない若い読者たちが、彼女のエッセイのファンになっている。

 最後まで自分に厳しかった彼女に、ファンの一人として私は、「ちょっとくらいダメな部分があってもよかったのに」と思ってしまうけれども。