日曜日においしいお酒をご一緒させていただいた、のぶ。さんが、メールで教えてくださったのだが、巨人の3選手がタイトルを獲得するについて、ある「美談」が出来上がっているという。
「作為」の話は一通り終わったつもりでいたが、私はうーんと唸らざるを得なかった。

10/15の「徳光和夫の週刊ジャイアンツ」で原辰徳監督が、徳光和夫氏に長野、坂本、阿部のタイトル争いについて激白したというのだ。

(1)長野、坂本の話
長野、坂本の最多安打争いでは、最終戦で長野に坂本の安打数が並んだ次点で、原監督は長野にこう話しかけたという。

【原】「勇人が3本打ったと。君と並んだ。君の中で、この打席を打つかい?」と。
「今まで頑張って144ゲームやってきてるわけだから、この1打席に関しては選択肢を与える」ということを言いましたら、(長野は)「私は引っ込みます」と。
【原】それで彼(長野)、本当に長野と勇人で同じ本数、173本で一緒にタイトルをとり、表彰式に出るんだと、心の底から思っていたらしいんですね。

そこで原監督は長野に代打石井を送った。

【原】長い人生、野球人生の中でね、そんなに僕はキャリアがないけれどもしかし、あの光景、風景というものは今まで見たことが無いと。もう、素晴らしい光景だったと思う、と。

長野はこの試合2打席立っているが、追いつこうとしている坂本のために安打は打てない、しかしチームには貢献すべきだということで、必死に四球を狙っていたという。

【原】そうしましたら、「全力で戦おうと思った。全力でフォアボールを取ろうと思った」と。


(2)阿部の話

【原】もう一つね。慎之助が最後出なかったじゃないですか。まぁ、(試合前の段階で慎之助は)捕手最高打率ですね。
(※1991年:ヤクルト古田の打率は.3396。一方前日までの結果で、阿部の打率は.3404でした。)

【徳さん】(あのヤクルト)古田を越えるという打率ですね。

【原】1のゼロ(=1打席ノーヒット)。1打席立たせることによって、その打率が消えてしまうんです。
【原】「ジャイアンツの歴史、慎之助の歴史、記憶、全てにおいて崩すようなことはしたくない。」と(慎之助に伝えたんです)。「ありがとうございます。そうさせて頂きます。」と(慎之助が答えたんです)。


聞き手である徳光和夫氏は、涙を流さんばかりに感動していた。

(この情報は、「スコアブックから巨人の試合結果を考える」さんのブログから引用させていただいた。
詳細はhttp://www.plus-blog.sportsnavi.com/giants_love_2012/article/225
を見ていただきたい。ただし、この方に対して議論を吹っ掛けたり、中傷するようなことのなきよう。一ブロガーであるこの方に私は異議申し立てをする気はない。)

プロ野球では、シーズン終盤に「タイトル獲得に関する裁量権」が、選手の手に転がり込むことがままある。
これは野球というスポーツの「欠陥」だと思う。
NPB、MLBを問わず、「裁量権」を手にした選手の多くは、「リスクを冒して数字を伸ばす」ことを選択せず、試合を休んだ。これは「悪習」ではあるが、野球界では容認されてきた。

(1)のケースはこの「裁量権」を利用してチームメイトにタイトルを「お裾分け」したものだ。レアなケースだが、坂本が最終戦で奮闘したことによりこうした事態が生じた。
(2)のケースは、タイトルではないが「歴史的記録」に対して「裁量権」を行使したものだ。

要するに「公正」であるべき野球記録を、原監督と3人の選手が「私」したというだけのことだ。徳光氏は何に感激したのだろうか。

私が原辰徳という人物に、微妙な違和感を常に抱いてしまう理由が、少しわかったような気もする。この人は野球界全体ではなく「自分の身内」のために頑張っている人なのだろう。



日米問わず、こうした事例はいくらでもある。問題があると一部の人が言っても、既成事実は覆らない。前例は山積みになっていく。そういう因習が存在するのは事実だ。

しかしながら、それを「美談」として祭り上げたのには、考え込まざるを得なかった。
徳光和夫氏と言えば長嶋茂雄に心酔して立教に入り、以後ずっと最良の巨人ファンとして生きてこられた方だ。つまり、それは、最良のプロ野球ファンだったはずだが、その徳光氏が、この「悪習」をもろ手を上げて賛美するとは思わなかった。

私はこの話は、巨人や巨人ファンの体質がどうのという問題ではないと思う。

「フェア」であること、「無私」であることが前提であるはずのスポーツマンが、公私混同をして栄誉を「私」したこと、常に全力プレーを期待するファンを裏切ったことに対し、メディアが健全な批評精神を失ったということだと思う。
そして、安っぽい「感動物語」が、マスコミを通じて流布される中で、世間にはこのストーリーも「感動」なのだと思い込む人が増えたのだと思う。

スポーツをめぐる「ドラマ」は人知の及ぶものではない。作ってはいけないし、演じてはいけない。ひたすらプレーする結果として「ドラマ」は出来上がるのだと思う。

最後に「記録」をめぐる本物の「感動物語」を一つ、wikipediaから引用しておく。
有名なテッド・ウィリアムスのエピソードだ。



1941年には打率4割の期待がかかり、シーズン最終日にフィラデルフィア・アスレチックスとのダブルヘッダーを残して打率.3995。打率は毛を四捨五入して厘の値までとなり、この時点でも記録上は打率4割となるため、周囲からは欠場を勧められた。しかしウィリアムズはダブルヘッダーに出場。(中略)2試合で8打数6安打を記録し、打率4割を6厘上回った。(中略)試合に出場した理由として、四捨五入で4割となるため実際は4割ではなかったと言われるのが嫌だったと言っている。