自分の持っている力で誰かに貢献すること

仕事とは? Vol.83

歴史学者 北川智子

『ハーバード白熱日本史教室』の著者・北川智子氏がハーバードの学生を白熱させられた理由


■学生たちの期待を感じたハーバード2年目。「大人」になる覚悟を決めた

高校時代は理数科で、卒業後に留学したカナダのブリティッシュ・コロンビア大学で学んだのも数学と生命科学でした。その私が大学院で日本史を専攻するなんて自分でも想像もしていませんでした。転学のきっかけは、アルバイトで日本史の教授のリサーチを手伝ったこと。指示されるままに昔の人が書いた日記などの史料と歴史学者の論文を読むのが私の仕事でしたが、史料と論文を読み比べるうちに、日本史研究の中に何かが抜けているような違和感があったんです。当時、それは漠然とした感覚でしかありませんでしたが、その思いを教授に伝えたところ、「大学院で日本史を研究してみないか」と勧められ、「それも面白いかも」と誘いに乗ることにしました。

「歴史研究の何かがおかしい」という直感が確信に変わったのは、大学院進学直前の夏休み。ハーバード大学のサマースクールで「ザ・サムライ」という日本史の授業を受講した時のことです。縄文時代から現代に至るまでの日本史概論を短期集中で学ぶ授業だったのですが、語られる人物は男性ばかり。一方、私がそれまでに読んでいた史料にはサムライのそばにたくさんの女性の存在が記録されていました。いくらサムライに焦点を当てた授業とはいえ、女性がまったく登場しないのは変だと思ったんです。

それからは、大学院でサムライとともに時代を作ってきた女性たちの研究を始めました。サムライと生きる女性というと、妻や側室として為政者を支えた存在を思い浮かべがちですが、手紙などの一次史料を丹念に読むと、一般のイメージ以上にさまざまな面で大きな役割を果たしてきた女性がいたという事実がわかります。「ザ・サムライ」のクラスのように男性の存在だけで語られていた日本史に新しい視点を持ち込み、歴史の語り方を変えようと意識して論文を書いていました。

就職活動を始めたのは、米国・プリンストン大学大学院の博士論文のめどがたった28歳の時。ハーバード大学で新設されたカレッジフェローというポスドクに、とりあえず応募してみたんです。まさかの採用に誰よりも驚いたのは私です。ハーバード大学は、博士課程進学の際に応募したものの入学のかなわなかった大学でしたし、就職面接には大雪で15分も遅刻しましたから…。

私には大学で教えた経験はもちろん、大学時代に歴史の授業を履修したことさえありませんでした。ハーバードで教えることに不安はなかったかとよくたずねられるのですが、初めての授業に向けて準備すべきことが山ほどあって、着任前は不安になっている場合ではありませんでした。悩む時間がなかったというのが正直なところです。未知のことに挑戦するにあたって「自分にできるかな」と不安を感じる人も多いけれど、悩みはじめると深みにはまって、肝心の準備が手につかなくなってしまう。悩むよりも、ひたすら目の前のできることをやっていくことが大事だと考えていました。

当時のハーバードでは日本史の受講生の数が低迷しており、前任の先生のクラスには2名しか受講生がいませんでした。おそらく同じくらいの履修者数になるだろうと1年目はプレッシャーもなく、「レディ・サムライ」をテーマに授業ができることをただうれしいと感じていました。新人気分が吹き飛んだのは、「レディ・サムライ」のクラスに104名もの履修者が集まった2年目です。学生たちからの大きな期待を感じたこの年、もう私は「子ども」ではいられないと自覚しました。これまで以上に学生のためになる授業をしたい。自らの責任を果たす「大人」になろうと覚悟を決めたんです。

それからは迷いがなくなりました。履修者が増えれば1年目にはうまくいったこともそのままやるわけにはいきませんし、ハーバードでは履修者18名ごとに1名助手がつくシステムになっているので、ティーチング・チームを組んで授業を進めることになります。先生として、新しいチャレンジも多かったですが、どうすれば「大人」らしく、歴史の先生としての責任を果たせるのかを考えれば、どんな時もいい答えが出せるようになっていきました。

振り返れば、「学生のための先生になる」と決めた日、そしてハーバード2年目に「大人になる」と決めたあの日は、自分にとっての大きな節目の日でした。就職や昇進をすれば自動的に成長するような感覚を持っている人もいるかもしれませんが、人生の区切りというのは自分でしか作れないもの。殻を破る必要性を自覚し、自ら機会を作って変わろうとする時にこそ人は成長するものだと思います。


■「今やらなければいけないこと」「今しかできないこと」を選んでいく

ハーバード大学では2012年の6月まで、3年間教えました。3年目春学期の「レディ・サムライ」履修者は251名、助手は15人。大きなクラスに成長しました。日本の戦国時代から江戸初期に焦点を当てた「KYOTO」や、“約束”という視点から歴史を見ていく「約束の歴史」といったクラスにもたくさんの学生が集まりました。ハーバード大学には学生が先生を評価するシステムがあるのですが、どのクラスも5段階評価で4.5を超えて、「ティーチング・アワード」を3年連続で頂くことになりました。毎年、同じ内容を一方的にリピートするのではなく、履修者や学生の個性に合わせて工夫を重ねてきたので、連続した高い評価には本当にほっとしましたし、励みにもなりました。

たくさんの学生に評価してもらえた直接的な理由は、学生が能動的に参加して一緒にクラスを作っていくアクティブ・ラーニング型の授業にあったのではと思います。アクティブ・ラーニングと言うと、ハーバード大学のテレビ公開授業で有名なマイケル・サンデル教授が行っているようなディベート型を思い浮かべるかもしれませんが、私のスタイルは学生が実際に何かしらの成果物を「つくる」というのが特徴です。「KYOTO」のクラスの場合、史料をもとに中世京都の地図や当時の日本の史実を紹介するラジオ番組、さらに映画まで作るというのが課題になります。グループワークが多く、課題はクラス全員に公開されますので、学生にプレッシャーは大きかったはずですが、有意義だと感じてくれたようです。

このように、オリジナルな授業スタイルを確立できたのは、「学生にとって役立つ歴史の授業とは何か」を突き詰めて考えた結果です。ハーバードの学生にとって日本史は外国の歴史。その彼らが私のクラスを取る意味は、新しい知識を得ること以上に歴史の普遍的な捉え方を身につけることにあるのではと考えました。日本の歴史を自分のものに感じてほしい。その目的を果たすために、学生が興味を持って取り組めるカリキュラムを用意し、歴史史料を通して、過去に「タイムスリップ」する醍醐味(だいごみ)を感じてもらおうとしたのです。さらに授業の「付加価値」として 、コミュニケーション力など社会に出て必要となるスキルをこのクラスで少しでも養ってもらいたいと考えました。だから、「KYOTO」はハーバードであまり取り入れられていないグループワークを主体とした授業にしたんです。

私にはひとりの歴史学者としての目標があります。しかし、教えるうえで大事なのは私自身のやりたいことではなく、いかに学生に役立つ知識を提供できるかにあります。基本的に「仕事」というのは自分の持っている力を最大限に使って誰かに貢献すること。誰かにとってプラスになったり、その瞬間をハッピーにすることを目指すことだと思うからです。

12年7月からはハーバードを離れ、英国・ケンブリッジ大学の研究所で日本とアジアの中世数学史を研究しています。教えるというのは私にとって大切な仕事ですが、ヨーロッパに渡り、研究に集中して取り組めるのは「今、このタイミング」しかないと思いました。振り返れば、私のキャリアは思いがけないことの連続。分岐点ではいつも「今やらなければいけないこと」「今しかできないこと」を選んできました。最終的にどこにたどり着くのか、それはわからない方が可能性が広がっていいと思うんです。目標を決めてガチガチに頑張るよりも、目の前のやりたいことを全力でやって、「いつもご機嫌」というのが一番ハッピーな人生だと考えています。

周囲を見渡すと、グローバルに活躍している人に共通しているのは個性や感性を大切にしていることです。「自分には特別な感性なんてない」と謙虚におっしゃる人もたまにいますが、必ずあります。むしろ、「ある」と思って見つけようとする姿勢が大事なんです。一方で、グローバルに仕事をするためには、「世界標準」がどこにあるかを常に見極めなければいけません。自分が日本人だということを時々忘れる必要があるのです。そのためには、旅行でも、本でも、映画でもいいから外国を感じ、外国の視点から日本を見てみるという時間を作ることも大事でしょうね。「日本ではこうだから」といった物の見方を超えて、世界基準で仕事をしていけると最高だと思います。