短さの中にある恐怖“怖い俳句”とは?

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 小説など長い文章では味わうことのできない、短さの中にある怖さ。それがあるのが「俳句」だ。
 では、俳句ならではの「怖さ」とは、いったいどのようなものなのだろうか。

 『怖い俳句』(倉阪鬼一郎/著、幻冬舎/刊)では、書籍名の通り、松尾芭蕉から現代の若手の作品までをたどりながら、“怖い俳句”を紹介していく一冊。さらに、それぞれの句には著者の倉阪氏の解説もついている。

 俳句の怖さを知るには、俳句を読んでみるのが一番わかりやすい。本書で紹介されている俳句をいくつか紹介したい。

「稲づまやかほのところが薄の穂」松尾芭蕉
 俳聖芭蕉の怪奇趣味を代表する一句、と倉阪氏。骸骨たちが能を舞う怪しい画に感じ入って作られた句だ。幽霊画に触発された句は、近代に入ってからも作例が少なく、正岡子規の前期作品にも散見される。
 「言ひおほせて何かある(すべてを言いつくしてしまって、何の妙味があるのだろうか)」とは松尾芭蕉の俳言の一つであるが、これは怖さを作り出すときにも当てはまるだろう。つまり、「怖がらせるには、まず隠せ」ということだ。倉阪氏は、本句でもあからさまに描写されていないがゆえに、読み手はその部分をおのずと想像してしまうと評している。

「唐辛子日に日に秋の恐ろしき」正岡子規
 倉阪氏いわく、内部がまったく透けて見えず、表面がうっすらと濡れているように感じられる唐辛子は、この世界の総体が投影されたものと考えることもできるという。
 この一見すると不思議な句の前後は「世の中を赤うばかすや唐辛子」「唐辛子残る暑さほのめかす」となっており、どうやら子規のまなざしは、赤く密閉された唐辛子に太陽を、しかも、生気に満ちたものではなく、自らの病身ともそこはかとなく響き合う、衰えかけた不気味な太陽を投影しているようだと倉阪氏。その衰えつつある息苦しい太陽=唐辛子に照らされた晩秋の世界は、日に日に凄涼しの気を増して恐ろしくなっていくというのだ。

 このように、本書では幅広い時代の俳人たちの句を集め、それぞれの句を倉阪氏が評していく。
 世界最短の詩文学・俳句は“世界最恐”の文芸形式でもある。語数が足りない、説明が付与されない・・・それを想像で補う。読み手だけの恐怖が創造される。短いがゆえ、俳句の言葉は深いのだ。
 言葉の中に隠されている意味に、ふと気付くとゾッとしてしまう。そんな俳句の世界を覗いてみてはどうだろう。
(新刊JP編集部)