リセットの口グセ「一度で成功する人はいない」−酒井雄哉

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天台宗大阿闍梨
酒井雄哉
比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。1926年、大阪府生まれ。夜学の慶應義塾商業学校を経て熊本県人吉の予科練に志願し、鹿児島県鹿屋の特攻隊基地で終戦を迎える。戦後は職を転々とし、40歳のときに仏門へ。7年をかけ延べ4万kmを歩く「千日回峰行」を2度満行。著書に『一日一生』『「賢バカ」になっちゃいけないよ』など。

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人生なんてものは、経験の積み重ねだからね。積み重ねていく間には、失敗なんかなんぼでもある。失敗は失敗と認めて、それを踏み台にして、前に進んでいけばいいんだよ。

何をするのだって、いっぺんで成功する人なんてなかなかいない。逆にスムーズに成功したら、あとになってからが怖いよ。失敗したときは、必要な経験を積んでいるんだ、教えてもらっているんだと思うことだね。

戦後間もないころ、手づくりのラジオが流行ったけれど、あれ、聴きたい局に合わせるのが難しいんだ。ネジを回してチューニングをするときに「このへんかな?」というあたりで止めればいいのに、最初はつい回しすぎて、聴こえなくなっちゃう。そのうちに、電波をうまくつかまえるコツを覚えるんだな。

何ごともそれと同じで、繰り返し、繰り返しやっているうちに、いろんなヒントを得たり、コツを覚えたりして「これなら合格」というところへたどり着くんだよ。

だから、1回や2回失敗したからって、青くなったりすることはない。学校だって、授業料を払わなければ卒業できないでしょう?

一つ失敗するごとに「1月分の月謝を納めた」くらいに考えたらいいんだよ。そういうことじゃないのかな。

僕なんか、若いころは失敗だらけの人生だった。学校の勉強は中途半端だし、兵隊に志願したら、うろうろしている間に終戦になっちゃった。

戦後になって、たまたま法政大学の図書館で働くことになったけど、そこで本の出納係をしていたら、図書館担当の教授と仲良くなってね。本の出し入れは要領よくやっていたから、頭のいい奴だと思ったのと違うかな。あるとき、学生と勘違いして「君、何科に行ってるの?」と聞くんだよ。

とっさには何のことだかわからなくて、「図書科です」と答えたら「いや、それはわかってる。学科はどこかということだよ」。落語みたいな問答になっちゃった(笑)。

ここで働いているだけなんです、と説明すると、

「もったいないなあ。じゃあ、大学へ入んなさいよ」

今度は、法政に入学しろと勧めてくれたんだ。あの大学には夜学があったし、図書館で働いている仲間には学生アルバイトも多かったからね。僕もその気になっちゃって、戦時中に通っていた慶應の商業学校から成績証明書を取り寄せてみたんだよ。

そうしたら、落第したこととか、品行方正じゃないことがしっかりと書いてあるじゃない。これじゃあ入学できないなあ、と思ってね。願書を出すのはやめにしたんだ。

でも、そのころにはもう、職場の同僚なんかに「来年からは、あんたたちと同じで学校へ行くよ」と言いふらしていたからね。勧めてくれた教授にも同僚にも、顔を合わせにくくなっちゃった。ちょっと意味は違うけど、「口は災いのもとだ」と思ったなあ(笑)。

これは逃げちゃうことが一番いいと考えて、何も言わないまま図書館にも行かなくなった。つまり、職場放棄をしたんだよ。

当時は親と一緒に住んでいたんだけど、辞めたことを言い出せなくてね。長いこと、勤めに出ているふりを続けていたんだ。朝になると家を出て、夕方帰ってくる。最初のころは電車に乗っていたけど、そのうちにお金が尽きちゃった。

そうなるともう、歩くしかないの。東京の三鷹にあった家から、大学のある市谷を通って、月島のあたりまでとことこ歩く。三鷹へ帰るころには夕方の5時になっている。毎日毎日、そうやって東京中をうろうろ歩きまわっていたんだ。

人生って、おもしろいよ。それが分かれ目になったんだから。

あのまま図々しく試験を受けて、大学に入っていたらどうだろう。大学の職員を続けていたらどうだろう?

いまごろ僕は、ここ(比叡山)にはいないよね。

あのときは、職場から逃げ出して、どうにもしょうがなくて東京中を歩きまわっていたんだよ。それから20年くらい経って、たどり着いたのが比叡山なんだ。

坊さんになって、言われることを何でも「そうですか」「わかりました」って素直に聞いていたら、いつの間にか行の道に入っちゃった。結局、千日回峰行(比叡山中を延べ4万キロ歩き通す天台宗の荒行、酒井師はこれを二度も満行している)をやることになるでしょう。若いころ職場放棄をして東京中を歩いたことが、千日回峰行につながっているんだよ。

「いい職場なのに、どうして自分の勝手なつもりで辞めたんだ?」

「もったいないじゃないか」

当時はいろいろと言われたよ。人から見たら失敗だろうね。でも、僕はそうは思わなかったな。

あのまま学校にいたら格好が悪いから逃げちゃった。でもそのあとは、なんとか親に見つからない方法はないかなあと考えて、歩いていただけ。「辞めて失敗したな」とは思わないんだ。

そもそも「学生になる」なんて言いふらして、引っ込みがつかなくなったから困っていたわけでしょう。辞めたら逆に、気持ちが軽くなったんだな。

歩いていると、頭の中は空っぽになるんだ。千日回峰行のときも、山道を毎日何十キロも歩くのは大変でしょうって言われるけれど、山を歩いているときは自由なんだよ。ほんとに全部解放されちゃってね。

疲れたらそこらへ腰掛けて一服できる。こんなことをしたら格好悪いとか考えずに、なんでもできる。自分ひとりでやっているから、人に気を使わなくていいんだよ。山から文句を言われるわけはないからね(笑)。

だから案外と、うちへ帰ってきているときよりも、歩いているときのほうが気は楽だったんだ。うちへ帰ってくると信者さんが訪ねてきたりして、けっこう気を使うでしょう。1日に40キロ歩くというのは数字を見るから大変に思うけれど、気持ちのうえからは楽なんだ。

だから仕事で失敗したとか会社を辞めたときには、部屋にこもっていないで、歩くといいんじゃないのかな。やっぱり何でも前向きに進んでいくということを考えないとね。

特にいまみたいな時代は、世間の風潮とか他人の顔色を見て生きていたら、いくつ体があっても足りないよ。自分がいいと思ったら、その道を進んでいけばいいんだ。

他人の意見を聞いてばかりだと、下降線になったときに「あのとき、あの人の話を聞かなきゃよかったなあ」「おれは違うと思っていたんだがなあ」ということになるからね。

いろんな人のご意見は、あくまでもアドバイス。それを参考にして、自分で決めて動いていくしかないんだよ。実行するのは自分なんだから。

僕なんかも、千日回峰行のときに周りの人から言われるの。「今日は嵐がくるから、ちょっと時間を遅らせて出発したらどうですか」と。

でも、毎日歩いているのは僕なんだ。出発を遅らせたら、それだけ帰ってくる時間が遅くなる。帰ってからやることも遅くなる。

同じようなペースで行こうと思ったら、嵐がこようが何があろうが、やっぱり進んでいかなきゃ駄目なんだ。千日回峰行は、どんなことがあっても休んではいけないからね。

自分のことは自分で引き受けて、歩いていくしかないんだよ。そういうことじゃないのかな。

(面澤淳市=構成 芳地博之=撮影)