三菱地所会長 
木村惠司 
1947年、埼玉県生まれ。県立浦和高校、東京大学経済学部卒。70年三菱地所入社。96年秘書部長、2000年取締役企画本部経営企画部長、03年常務執行役員、04年専務執行役員兼ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ社長。05年社長、11年4月より現職。

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学生時代から本を読むのが好きで、特に浪人時代は、勉強に飽きると谷崎潤一郎や三島由紀夫の小説を読んでいた。社会人になってからは歴史ものに興味を持ったが、最近人気の幕末ものではなく、私が心惹かれたのは戦国時代を描いた本である。

「戦国武将のなかで、誰がいちばん好きか」と問われたら、迷わずに徳川家康の名をあげたい。徳川家康を主人公にした戦記物はたくさんあるが、得るところが大きかったのは、家康という人物を掘り下げた、司馬遼太郎の『覇王の家』である。24、5歳のときに読んだ本だが、ビジネスパーソンとして、また人の上に立つ者として大事なことを学んだと感じている。

特に参考になったのが、「部下を大切にする」という家康の姿勢である。たとえば、部下が何か意見を言ったとき、トップがそれを言下に否定してしまうと、他の部下たちも萎縮して、自分の言いたいことをのみこんでしまう。それが有能な部下のアイデアの芽をつんでしまうと考えた家康は、どんなときも辛抱強く部下の話を聞いたというのだ。

織田信長も豊臣秀吉も、「時代を変えた」という意味で後世に名を残した。だが、人をまとめる、組織をマネジメントするという面では、信長も秀吉も、家康には及ばなかったのではないか。

家康に対しては、狡猾な「狸ジジイ」のイメージが根強い。人を騙し、策を弄して天下を制したといわれるが、人間をうまく育てたり、部下の力を活かすことに長けた彼の人間力こそが、天下統一を成し遂げた要因ではないかと、私は考えている。

今川家の人質となるなど、幼少期から苦労を重ねた家康だからこそ、部下に対しても気を使うことができたのだろう。どちらかというと気の長いほうではない私は、家康の我慢強さに見習わねばと、自らを戒めている。幅広く部下の意見を聞き、活発に議論をすることで、徳川軍団は力をつけていった――『覇王の家』を読むと、そんな想像が膨らむのだ。

そうした家康のやり方は、私がいつも社員に対して話していることに重なる。「アズ・ワン・チーム」。

チームワークを大切にして総力戦で取り組まなければ、真の力は発揮できない、ということだ。私はいわゆる「ワンマン社長」というのがあまり好きではない。トップダウンとボトムアップをうまく融合した意思決定のあり方が望ましいと考えている。

人間には、皆それぞれにいいところがある。感性に優れた人。フットワークが軽く実行力のある人。スキルに長けた人……。こうした各人の長所を、組織としてどう活かすか。家康ではないが、何事においても、それが最終的に雌雄を決することになるのではないだろうか。

そんな私の考え方が、そのまま書いてあると感じたのが『熱狂する社員』である。

アメリカの権威あるビジネススクール、ペンシルベニア大学ウォートン・スクールの教授陣が選んだビジネス書シリーズの1冊だが、意外にも、日本的なマネジメントに通じる部分が多い。

これまでアメリカのビジネス書というと、ジャック・ウェルチやビル・ゲイツのようなスーパースター経営者の手腕を分析したものが主流で、私としては必ずしも共感できるものではなかった。

ところが本書では、社員のやる気の喚起や、組織としての一体感にフォーカスを当てている。その内容が企業経営の参考になったというよりも、日頃から考えていることの重要性を改めて確認できたという意味で、印象に残る1冊といえる。

社員が「働く喜び」を感じられるような環境をいかにしてつくるか。本書では、働く人が仕事や職場に求めているのは「公平感」「達成感」「連帯感」の3つだと述べている。この3つすべてを満たすことが、企業の長期的な繁栄に不可欠だというのだ。「達成感」や「公平感」はたしかに重要な要素である。特に報酬に関しては、社員全員ができるだけ公平に感じられる環境をつくることが、トップマネジメントに求められていることは間違いない。

だが、いちばん心配しているのは「連帯感」の不足である。仕事は1人ではできない。目標を共有して、そのゴールのために、それぞれが役割分担をする。そして、ひとたび問題が起きて、壁にぶち当たったときは、アイデアを出し合って解決策を見つける。こうした、頼ったり頼られたりしながら仕事を進めるスタイルが、職場から消えつつあるような気がしてならないのだ。

その原因のひとつはコミュニケーションの不足ではないだろうか。

2010年のサッカーのワールドカップでも、興味深い話を耳にした。練習試合では、思うように力を出し切れなかった日本代表チームだが、大会直前のスイス合宿を境に変わったという。開幕前までキャプテンを務めていた中澤佑二選手を中心に「お互いに、言いたいことを言い合うようにしよう」と話し合ったことで、意思疎通と役割分担がうまくいくようになったらしい。

その後の健闘ぶりを見ると、コミュニケーションはやはり重要だと痛感する。とはいえ、ドイツやスペインの選手と比べると、まだまだだと感じる面もあった。彼らは、スペースに入ると、必ず「こっち、こっち」と手をあげている。

「俺はここにいて、ちゃんと役割を果たしているんだから、パスをよこせ」と、声をかけ合っているのだ。

一方、日本の選手は、パスをもらうとき、ほとんど手をあげていなかったのである。当然ながら、黙ったままでは連帯感は生れない。我々のビジネスでいえば、企画、販売、管理など、関係する部署が胸襟を開いて話し合うことで、組織が少しずつ活性化し、連帯感が生まれるのではないだろうか。

また、チームワークが必要なのは社内に限らない。共同事業を行う他社の人や外国人など、外部の人たちを含めて、盟友や戦友だと感じられるかどうか。それも重要だと考えている。

たとえば明治初期の日本では、外国人を数多く迎えて、近代化を急いだ。外国人も日本人も志をひとつにして、新しい国をつくっていったのだ。変革の時期を迎えた21世紀の私たちも、今一度、あの頃のエネルギーやスピリットを思い出すべきではないだろうか。

2009年、当社では、明治期に建てられた東京・丸の内の「三菱一号館」を復元したが、これを設計したのは、明治維新の際に、日本政府が招いたイギリス人建築家、ジョサイア・コンドルである。

復元にあたって建設当時のことを調べてみた。とりわけ感銘を受けたのが、これから建設する一号館について、コンドルと三菱の2代目当主、岩崎彌之助が話し合ったときのエピソードである。「日本のビジネスの象徴となるものをつくってほしい」という彌之助に、コンドルがその具体的なイメージを尋ねる。そこで彌之助は「赤レンガ」をあげるのだ。

その理由は、明るいオレンジ色のレンガが日本の新しい息吹を感じさせること。そして、形や大きさが微妙に違う手焼きのレンガが積み重なることでひとつの建物ができる様が、人の和、人と人とのチームワークを連想させること。この思想にコンドルが共鳴し、丸の内赤レンガ街がつくられたのだ。

今回挙げた2冊に通ずる先人の逸話に、わが意を得たり、との思いを強くした。

※すべて雑誌掲載当時

(梶山寿子=構成 二石友希=撮影)