名古屋メシ「ひつまぶし」の作法を発祥店「蓬莱軒」のおかみに聞いてみた

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名古屋生まれの「名古屋メシ」といえば、庶民派なら手羽先、ぜいたく派なら「ひつまぶし」だろう。

中でも名古屋市熱田区の蓬莱軒(ほうらいけん)は、ひつまぶしの老舗として名古屋めしピラミッドの頂点に君臨する名店だ。

その人気と味のヒミツを探るべく、名物おかみに直撃してみた。

「お待ちしておりました」と仲居さんの声が響く。

熱田神宮にほど近い蓬莱軒の本店は、来客がひっきりなしだ。

奥座敷に案内されると窓からはしゃれた庭園が見え、まるで接待を受けている重役気分になる。

ちなみに「ひつまぶし」は、蓬莱軒の登録商標だという。

名古屋名物として名高いひつまぶしだが、実は名古屋人もそれほど日常的に食べている訳ではない。

その理由は単純で、ごちそうだからだ。

食べ慣れているようなやからは、相当な金持ちに違いない。

ゆえに、一庶民の筆者としてはテンションがマックスに上がっている。

というか、どこからともなくうなぎを焼き上げる香ばしいにおいが漂ってくる時点で、アドレナリンが飽和状態だ。

く、食いてぇ…。

うなぎ! 程なくして、おかみが登場。

いよっ、待ってました! 「いらっしゃいませ」と満面の笑みをみせてくれた5代目おかみの鈴木詔子さんは、2年前に亡くなった先代おかみの一人娘だ。

落ち着きの佇(たたず)まいに、おかみの風格が漂っている。

メディアに頻繁に登場して笑顔を振りまいていた先代に負けず劣らずの有名人で、客に記念写真をせがまれることも珍しくない。

ひつまぶしはお櫃(ひつ)に盛られたご飯の上に、細かく刻まれたうなぎが載った独特の丼だ。

最初はそのまま、次に薬味をかけていただき、最後はお茶漬けで〆る。

この「味の三変化」こそ、ひつまぶし最大の特長だ。

飢餓状態は頂点に達しているが、これは取材だと自分に言い聞かせる。

まずは、そのいわれをおかみに伺おうではないか。

「ひつまぶしの由来を教えてください」。

おそらく百万回は投げかけられたであろうこの質問。

おかみは嫌な顔ひとつせず、「このかいわいは江戸時代、東海道五十三次の「宮宿」があり、人の往来でにぎやかだった」と話し始めた。

当時は木曽川で天然うなぎがよく捕れ、「弥次喜多の物語にも“名物が蒲焼とかしわ”と書かれています」とのこと。

蓬莱軒がここ宮宿近くに店を構えたのが明治6年(1873)。

うな丼の出前注文が多く、明治中期にアイデアマンの店主が大きなお櫃に人数分をドン! と盛って出前したのが、そもそもの始まりだそうだ。

ちなみに器をお櫃にしたのは、「瀬戸物だと出前でよく割れるから」。

うなぎを細かく刻んだのは、「うなぎばかり先に食べられて、ご飯が残ってしまうことがあったから」だとか。

なるほど〜。

確かに細かく刻んでご飯に混ぜ込めば、どこを食べてもうなぎとご飯の割合は一緒になる。

こうして誕生したひつまぶしだが、さらに次のステップがあった。

地元・名古屋人も誤解しているが、蓬莱軒はうなぎの専門屋ではなく、実は割烹料亭なのだ。

会席料理の〆に、サラサラっとお茶漬けでも食べたい。

そんな客のリクエストがうなぎと結び付き、うなぎ茶漬けの発想が生まれたという。

さあ、いよいよ実食だ! せっかくなので今回は、おかみに「正式なひつまぶしの食し方」を実演していただいた。

まず、お櫃のご飯をしゃもじで四等分する。

こうすることで、お櫃のご飯を茶わんにきれいに移すことができるのだ。

なんとも上品な!しゃもじをご飯に立てると、ホカホカの湯気がふわっと立ち、蒲焼きの香ばしさが鼻孔をくすぐる。

た、たまらん〜。

「はい、どうぞ」と茶わんを差し出される。

ひと口ほおばると、うなぎの皮はパリっ、身はふわっとした絶妙の焼き加減。