姜尚中(カン サンジュン) 1950年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学・政治思想史。著書に『続・悩む力』『悩む力』『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』『日朝関係の克服』『姜尚中の政治学入門』『ニッポン・サバイバル』『リーダーは半歩前を歩け』『あなたは誰? 私はここにいる』ほか。自伝的作品に『在日』『母―オモニ―』など。

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『悩む力』が100万部を突破、待望の第2弾『続・悩む力』が出たばかりの姜尚中氏と、多くの書店でベストセラーのランキング入りしている『媚びない人生』著者のジョン・キム氏との対談の前編をお届けします。今、2人が伝えたいメッセージとは。(取材・構成/上阪徹 撮影/石郷友仁)

排他的な愛国心は弊害が大きいと知っていた

姜 『媚びない人生』を読ませていただいて、ぜひ聞きたいことがあったんです。キムさんは、子どもの頃から一人になる環境に置かれたわけだけれど、さらに故郷の韓国を出ようという気持ちになった。それはどうしてだったんですか。

キム 僕は、家庭の事情で小学生のときから一人で暮らさなければいけない状況に置かれました。それは、真っ暗な中で漠然と生きているような日々でした。19歳で日本に留学することを決めたのは、将来を見据えて自分で考えて行動したというよりは、その日その日を懸命に生きている中で、ようやく浮かんできた夢のようなものだったんです。

 それまでの自分は、いろんな要因があって、自分の中に強いトラウマやコンプレックスを抱えていました。学校に行っても、どこにいても、胸を張って自分の名前を言ったり、自分の考えを言ったり、自分の家族の事情について言うということがまったくできなかった。そんな生活がずっと続いていたんです。

 韓国を出たのは、もちろん自分を成長させたいという気持ちもあったんですが、何より自分を誰も知らない場所に置いてみたかった。また、自分がいた小さな世界から、もっと大きな世界を見てみたかったんです。見ない世界は、自分の世界にはならないと思っていましたから。実際、そこに何が待っているかはわからないけれど、一度経験することで、少なくとも自分の世界は広がるんじゃないか、と思いました。

姜 そうでしたか。僕は思春期が近づくにつれて、まわりの友人たちとだんだん離れていってしまったんですね。どんどん孤独になってしまった。だから外に出てみたい気持ちはあったんですが、小心者だから外国までは行けずに、九州から東京に出てきたんです。僕の場合は、在日の立場や特殊性から逃れたい、逃れたいという思いが強かった。きっと、キムさんも何かから逃れたい気持ちがあったんじゃないかと感じていました。

 ただ、『媚びない人生』を読んで、ああいいなぁ、と思ったのは、僕の場合は逃れたい気持ちが内側にこもってしまって、空間的に外側に広がらなかったんです。広がるには20歳を過ぎた、大学3年くらいになるまでの時間が必要でした。それで初めて韓国に向かったんです。1971年ですから、まだキムさんは生まれていないですね。僕は、それで少しずつ自分が変わっていったんです。

 キムさんのほうは、その後、日本以外にも、いろんなところに行きましたね。故郷を離れたことで、大変な失望を味わったり、文化的なコンフリクトを感じたりして、いろんな試行錯誤をされたんじゃないですか。

キム いえ、それが一切なかったんです。日本に来るとき、排他的な愛国心は弊害が大きいことを、なんとなく自分の中でわかっていました。慣れないところでの他者の予想外の行動や姿勢、態度は、自分の捉え方、解釈の仕方にすべてはかかっているんだと思っていたんです。

 だから、韓国からの留学生として、日本で何かの違和感を持ったとき、これは差別だと思い始めると、すべてが差別に見えてしまうと考えたんですね。実際、まわりにはそんなふうに解釈する人たちも少なくありませんでした。それで、韓国人同士で固まってしまうケースもあった。

 でも、僕の場合は、自分のすべてを捨てて日本に来ているという感覚があったんです。だから、言い訳や愚痴やマイナスの見方はとりあえずは排除して、徹底的に自分を成長させようという気持ちでいました。そうすると、すべてが新しい発見になりました。違和感を持っても、これは学びの材料を得たぞ、という感覚になれたんです。

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