「奨学金」を踏み倒す人々が急増……その呆れた言い分とは

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「お金がない」という理由で進学できない……例えば、高校や大学に進学したいけれど、入学金や授業料が払えない。だから、やむなく中卒や高卒で就職する。勉強を続けたいのに、経済的な理由でそれを打ち切らざるをえないことは、悲しく、切なく、苦しいものである。




そういう環境の学生を救済するために、日本では奨学金というものが準備されている。奨学金とは、日本学生支援機構などの公的機関が関与したうえで、学生に金銭を貸与したり給付したりする制度のことだ。




高校であれ大学であれ、学生自身がアルバイトなどで稼いで、自ら学費を支払うことは、良いことだと筆者は思う。お金のありがたみが身をもって理解できるし、学校とは違った窓口で人と接することには重要な意味がある。また、将来は必ず社会へ出て働くのだから、その「慣らし運転」をする貴重な機会だとも言える。




しかし、アルバイトを始めれば、自分のお金で学費が払えたりするものの、そのぶん勉学がおろそかになる場合もある。だから、学校によってはアルバイトを禁止している。それはそれで筋が通っているとは思う。とはいえ、生活が困窮しているため、アルバイトの賃金を学費どころか生活費に充当せざるをえない子どももいる。




奨学金とは、本来、自身が働いてもそのお金を生活費に回さざるをえないような子どもに対して、貸与されるべきお金なのであろう。貸与する・しないの線をどこで引くかの判断は難しいが、優先順位はあくまでも子ども自身が勉強を続けたいと思っているかどうかと、その子どもの生活が困窮しているかどうかの2点に尽きる。




だが、実際には「申請すれば、たいがい通る」のが奨学金の採用基準となっている。その結果、多くの子どもが奨学金に採用され、借りたお金で学校に通うようになる。そして、近年は奨学金として借りたお金を返さない人が激増しているのだと言う。愛媛県では滞納額が過去最多(愛媛新聞、2012年9月23日付)となるなど、奨学金の滞納は全国的な傾向になっているようだ。




記事では「厳しい経済情勢」で「若者の就労が難しい」ことなどを滞納の理由にしている。しかし、周りの状況がどうであれ、返す本人がお金の有難みを自覚していることが何より重要だ。そもそも奨学金とは、自らが勉強を続けるために他人から借りたお金であり、利子がつく場合は「学生ローン」であることを子ども自身が自覚すべきでもある。




よほど特殊な事情がない限り、借りたお金は返す。月々の返済額が高いのなら、分割回数を増やすなどして返す。その時に返せないのなら、一時的に返済を待ってもらって、後から返す。「申請すれば、たいがい通る」の弊害が、お金の有難みを分かっていない子どもに対する貸付となり、返済の焦げ付きとなって現れている……そう思うのは筆者だけであろうか。




(谷川 茂)