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前回から、「中世ヨーロッパのゴシック大聖堂における光」について考えています。豪華絢爛なステンドグラスはなぜ作られたのでしょうか。またその光は、大聖堂の中でどんな役割を果たしているのでしょうか。
 
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全てを超える「唯一の神」
キリスト教は、この世に存在するものは全て「唯一の神」が創造した、と考える宗教です。
中世ヨーロッパにおいて、キリスト教信者はまだ多くありませんでした。人々の大半は自然の中で暮らす農民です。彼らは自分たちが日々接する自然を、神が宿るところとして崇拝していました(日本の自然信仰について以前触れましたが、それに似ていると思います)。そんな彼らにとって、人も自然も超越した「唯一の神」、というキリスト教の考え方はあまりに抽象的で、分かりにくいものだったのです。
キリスト教の司祭たちは布教のために、まずこうした民衆に自分たちが信仰する「神」を「感覚的に分からせる」必要がありました。
 

5051eaa95b1ab.jpgステンドグラスの光には神が含まれている
ところで聖書の中には、繰り返し「神は光である」という内容の記述が出てきます。
西暦500年頃の著名な神学者がこの言葉を再解釈し、「物質が放つ光の中には、神の光(ここでは『永遠の命』というような意味)の一部分が含まれている」ということを言いました。
これによると、ステンドグラスの光を神だと思って崇めれば、それは神を崇めるのとほぼ同じと言えます。そしてステンドグラスで聖堂内を飾ることは天国を表現しようとすることで、神への尊い奉仕活動のひとつだ、ということになります。これを根拠として、中世の修道院長たちは、自分の修道院を徹底的に豪華に飾り立てたのです。
 
キリスト教の言う「唯一の神」にぴんとこないまま大聖堂を訪れた中世ヨーロッパの民衆たちは、ステンドグラスの光を見て衝撃を受けたでしょう。さらにこの光は神なのだと教えられ、「唯一の神」の偉大さを身体で感じたのではないでしょうか。

大聖堂の内部を光で満たすステンドグラスは、訪れた人々の心に「唯一の神」の偉大さを理屈抜きで叩き込むための、効果的な装置だったといえます。
 
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虚栄心にまみれた聖職者たち
しかし、大聖堂の豪華さの理由はそれだけではありません。当時は政治が宗教と強く結びついており、司教などの位の高い聖職者には国王と血縁関係にある人物が多くいました。彼らは聖職者でありながら虚栄心や権勢欲に憑かれ、自分が王のように崇められることを常に望んでいました。
彼らはそうした欲望を満たすため、自分の管轄下の大聖堂を他のどこよりも華やかに飾り立て、その権力を誇示しました。さらに一般市民も、自分の街の大聖堂が他のどこよりも豪華であることを願っていたのです。こうして様々な人々の熱狂的な競争心に煽られるままに、やや過剰ともいえるほどの豪華な大聖堂が、ヨーロッパ各所にどんどん建てられていきました。
 
キリスト教信者を増やすための「広告塔」、そして世俗的な欲望の受け皿ー大聖堂の空間に光り輝くステンドグラスには、こうした役割があったのです。なんだかどろどろとして人間臭いですね。けれど降り注いでくる深い色彩の光はあくまで美しく、見る人の心の澱を洗い流してくれるようです。

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次回はゴシック大聖堂の最終回。ステンドグラスの光から大聖堂の空間全体に視点を移して、そこに表れている思想について考えてみます。