大事なのは、今日のお客さんが何を考えているか

仕事とは? Vol.81

落語家 春風亭昇太

人気落語家・春風亭昇太氏が明かす「ウケる落語」とは?


■若いうちは自由なんてない。そこでしょげるか、信念を持ち続けるか

僕が落語界に入った1980年代初めは空前の漫才ブームでした。寄席のお客さんはまばらで、たまにテレビに呼ばれても、やるのはコントや漫談。「落語家は古臭いイメージだから、名前を変えて出演してくれ」と言われ、悔しい思いをしたこともあります。だから、たくさんの方々が自分の落語を聞きにきてくださる今は、楽しくてたまらない。落語家になって本当によかったなあと思います。

かくいう僕も、もともとは落語なんてつまらないと決めつけていました。おじいさんが聞いて笑うものだと思っていたんです。ところが、人生は何が起きるかわかりませんね。大学入学後、サークル活動でラテンアメリカ研究会に入ろうと部室を訪れたら、誰もいなくて。そのときに隣の部室から「戻ってくるまで休んでいったら?」と声をかけてくれたのが落語研究会の人でした。

落研の部室に入ってみたら、そこにいたのは陽気な人たちばかり。意気投合してつい入部し、先輩に連れられて初めて見た落語家が春風亭小朝師匠でした。小朝師匠は当時真打ちになる前でしたが、勢いがあってすごく面白かった。しかも、出てくる人、出てくる人、みんな面白いんです。「僕は何も知らなかったんだな」と衝撃を受けましてね。一番つまらないと思っていた落語がこんなに面白いんだから、世の中には面白いものがもっとあるんじゃないか。そう考えて、学生時代は落語だけでなく、お笑いのライブや小劇場など気になるものをいろいろと見に行きました。

大学卒業後に落語の道に進んだのは、好きだったからです。ただし、仕事というのは食べていけなければ意味がないとは思っていました。お笑いやお芝居も好きでしたが、競争が激しいし、年を取ると体力的にキツそう。一方、落語家は若い人が少ないから自分にもチャンスがあるし、体力的にも長く続けられる仕事だと踏みました。好きで、職業としても成り立つギリギリのところが、僕にとっては落語だったんです。

師匠の故・春風亭柳昇氏は、独自の新作落語で名を成した噺家(はなしか)。僕も新作をやりたくて入門しましたが、前座時代は古典の稽古ばかりでした。不貞腐(ふてくさ)れそうになった時、師匠から「前座が作った新作なんて商売にならない」と言われて、確かにそうだなと思いました。当時の落語界は「古典こそが落語」みたいなところがあって、落語ファンにも新作を評価する人は少なかったんです。

じゃあ、商売になるようにするにはどうすればいいか。新しい落語ファンを取り込むしか道はありません。でも、まずは目の前のお客さんに向かって噺をしなければいけない。だから、前座時代に高座にかけるのは古典が中心でしたが、落語独特の口調はあまり取り入れず、自分の言葉でしゃべるようにしていました。初めて落語を聴くお客さんにはその方がなじみやすかったのでしょう。ウケてくれるお客さんが少しずつ増えていきました。

4年半の修業期間を終え、二つ目に昇進した時には、これで好きなことができると晴れ晴れした気持ちでした。新作を次々とやって、お客さんは笑っているのに、落語界での新作の評価は低いまま。新作では賞も取れませんでした。デビュー11年目に真打ちになったころから、「新作でダメなら古典でエントリーするか」と古典をやったら、文化庁芸術大賞などの賞をたくさん頂いちゃった。「やっぱり落語界は新作派を認めないのか」と腑(ふ)に落ちない思いもありましたが、今は新作でも古典でも何だっていい。自分の言葉で落語ができて、お客さんが満足してくれれば、それ以上のことはないと思っています。

やりたいことができないと嘆く若い人は多いけれど、社会はそんなに冒険してくれません。組織に入ろうとしたら、若いうちは自由なんてないんですよ。そこですぐにやめたり、我慢してしょげていても仕方ありません。できないことや規制だらけでも、目の前のことをやりながら、自分の中に信念を持ち続けておく。すると、いつかできる時がくるんですよ。こないなら、持ち続けて、タイミングがきたときに出せばいいだけ。若いころから思い通りにいくわけがない。そういうものなんです。

ただ、前座時代の僕も、高座に上がったらそこは自分の世界でした。師匠の教え通り古典をやっていても、何をどうやるかは僕次第でしたから。企業で仕事をする人も同じで、自分の任された仕事に関しては好きなようにできる。やりたいことをやるというのは、そういうことだと思いますね。


■何でもやってみればいいじゃない。できるんだから、好きなことを

落語家というのは、お客さんが要求する言葉を発しているんですよ。落語のストーリーが進むにつれ、お客さんは主人公の相手に感情移入していきます。その時に、お客さんが主人公に言ってやりたいことを想像して、的確な言葉で僕が言ってあげると拍手や笑いに変わる。それがウケるということなんです。

その日にやるネタも、最終的には高座に上ってお客さんを見て決めます。独演会なら全員のお客さんが僕を見にきているので、何をやっても拍手で迎えてもらえますが、難しいのは寄席。特にトリを務めるのは重い意味があります。誰がどのネタをやるかはわかりませんから、自分がやろうと思っていたネタをすでに誰かがやっちゃっている可能性もある。寄席ではいろいろな噺家が「今日のお客さんにはこれが合うだろう」というネタを、朝から1日かけてやっているわけです。最後にトリが出るころには、ネタはすっからかん。そこでさらに違うネタを出して、一番お客さんを満足させるというのがトリの仕事なんです。

つまり、落語家というのはどれだけ相手の気持ちを考えられるかで真価が問われる。自分のやりたい芸というのも理想としてはありますが、大事なのは、今日のお客さんが何を考えているかですよね。不思議なことに、今日のお客さんと明日のお客さんは違うんですよ。だから、いつも考えていなければいけない。昨日うまくいったからといって、そのままやっても絶対うまくいかないんです。

今の落語界の若手は、僕らの世代より状況が厳しいと思いますよ。落語家を目指す人が増えて競争が激しくなっているし、活躍している噺家たちの年齢がまだ若いから、椅子がなかなか空かない。だから、大変だろうなあとは思うんです。ただ、座るところがないなら、自分で椅子を作るということを本当はすればいいんです。そのためには、いろいろなことをやるってことが大事。僕は前座時代からテレビの司会など落語以外の仕事もしていて、師匠も「とにかく何でもやってみて、やってみてダメならまたやればいい」と励ましてくれました。落語界からは「はみだし者」として見られていたかもしれませんが、お客さんは「何か面白いことをやっている奴(やつ)がいる」と言ってくれました。それが僕のカラーにつながったと思うんです。

就職難と言われる時代で、自分を不幸だと思っている人もいるかもしれないけど、それはとんでもない話です。僕は第二次世界大戦が終わって14年目に生まれて、戦争を経験した祖父母や親から「いい時代に生まれたね」とよく言われました。何がいいんだかちっともわからなかったけど、確かにそうですよね。ちょっと前まで戦争だったんだから。その前も戦争ばかりで、さらに歴史をさかのぼると江戸時代。職業選択なんてなかった時代ですよ。そう考えたら、今は奇跡的に自分の好きなことをできる時代なんです。その幸せを感じて…って、まあ、別に感じなくてもいいけど、日本に生まれただけでラッキーなんだから、とにかく何でもやってみればいいじゃない。できるんだから、好きなことを。