作家
童門冬二
1927年、東京生まれ。東京都広報室長・企画調整局長・政策室長などを歴任。79年、作家活動に専念。人間管理と組織運営の要諦や勘所を歴史と重ね合わせた作品で、99年春、勲三等瑞宝章を受章。

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光あるところに陰あり。名将いるところに参謀あり。表舞台に決して立たず、情報の収集と分析で集団を勝利へと導く群像たちの実像とは――。

■水能く舟を浮かべまた水能く舟を覆す

これまで参謀のあるべき姿について述べてきたが、現代における参謀は、その必要性が変わってきている。現代のようにITが発達し、情勢の変化が激しく、何事にもスピードが求められるようになると、参謀と将のような役割分担をしている余裕がなくなる。

参謀の機能と、将の決定能力を兼ね備えた人材が求められている時代なのだ。言葉を換えれば、「将も参謀の能力を持つことが必要」ということである。

情報を収集し、そのなかから有用な情報を取捨選択し、問題点を摘出して、解決策を考案し、即座に実行に移す。これを1人の人間ができなければならない。

歴史を振り返ってみると、将と参謀の2役を1人で担った人物がいた。徳川家康である。家康には、有能な家臣がたくさんいた。しかし、家康は、その誰をも心の底からは信用していない。

いろいろな人物から話は聞く。それは、情報を収集するためだ。自分の耳に痛いことも、聞き流すふりをしながら聞いていた。しかし、「自分を諌める仕事は、一番槍より難しい」と、釘を刺すことも忘れていない。家臣が忠誠心の表れとして苦言を告げる場合はいいが、少しでも私心や下心があれば許さんということだ。それによって、情報の質を保証させたといえる。

家康は、6歳から14年間にわたり人質生活を余儀なくされている。幼心に、人間に対する不信感を募らせたのだろう。それが、絶対的な家臣不信へとつながっていったとしても、何ら不思議はない。結果として、自ら「将」と「参謀」を兼ね備えることになったのである。

決定的だったのは、今川義元の下で人質となっていた時代に、太原雪斎(たいげんせっさい)に出会ったことだろう。雪斎は、妙心寺派の禅僧である。幼い頃の義元とともに修行をしたことがあり、義元が今川家の当主となると、その参謀として辣腕を発揮していた。「今川義元殿は、雪斎老の言いなりになっている」と、当時の戦国武将の間では囁かれていた。

そうした様子を家康は、冷めた目で眺めていたに違いない。そして、参謀が将に勝ることの危険性を感じただろう。

その一方で、雪斎は幼い家康に、特別に目をかけた。まめに自分の寺に呼んでは、徹底的に教育したのである。すでに、家康に非凡なものを感じていたからだ。

よく家康は無学だったと言われるが、それは間違いだ。中国古典をはじめとして、様々な学問を雪斎から教えられている。中国の古い政治書で、帝王学の教科書と言われる『貞観政要』などは、徹底的に叩き込まれた。『貞観政要』に、次のような有名な一説がある。「君は舟なり、人は水なり」。水能く舟を浮かべ、また水能く舟を覆す、ということだ。つまり、水である民は、舟である君を浮かべてくれるけれども、いったん君が悪政を行えば、水は舟を引っ繰り返すぞ、との教えである。

家康が後年、民を意識した、いやむしろ民に恐れを抱いているかのように政治に当たったのは、こうした教えがあったからだ。その意味では、雪斎は家康の良き師匠であり、良き参謀だったのかもしれない。

■競うように成果を出す仕組みを築く

一国一城の主になってから、いわゆる参謀を持たなかった家康は、家臣に対して強烈な分断政治を行った。

最初の例は、今川義元の下を離れて、岡崎城主となったときに行った「奉行三人制」である。「ホトケ高力、オニ作左、どちへんなしの天野康景」と言われた3人を奉行に置いた。仏のように優しい高力清長、鬼のように恐い本多作左衛門、そしてどっちつかずの天野康景を組み合わせたのである。

江戸幕府を開いてからも、家康はすべての役職に複数の人間を充てているから、その徹底ぶりは恐ろしいくらいだ。

大名支配においても、分断政治の手法は際立っている。1人の大名が、権限と報酬の両方を手にすることがないようにしたのだ。

幕政に参加する譜代大名は、そのほとんどが10万石以下。老中をはじめ幕府の要職に就いて、権勢は振るえるが、報酬は少ない。

逆に、外様大名には、60万石、70万石、なかには100万石というものもある。しかし、幕閣には入れない。

力と金を同時に持つと何をするかわからない。両方ともないと、不満が爆発する。そこのところを、家康は緻密に計算していたのだ。

現代では、組織のトップが自ら参謀機能を持つ必要があることは、前に述べたとおりである。それは1人のトップがすべての権限を握ることを意味しない。

家康は、分断政治という手法をとった。家康という絶対的なトップの下で、部下たちは限られた範囲とはいえ、それぞれが権限を与えられ、競い合うようにして成果を出さなければならない仕組みだ。

そうなれば、現場の実行者(企業ではいわゆるライン)も、参謀機能を備えなければならない。なぜなら、小さくても権限のあるところに、判断はあり、正しい判断をするためには参謀機能が不可欠だからだ。

つまり、トップにも参謀機能が必要であり、現場にも参謀機能が必要な時代となってきているということだ。

※すべて雑誌掲載当時

(作家 童門冬二 構成=樺島弘文 撮影=小倉和徳)