奥様はコマガール (62) 夫婦間の羞恥心とストリッパーの本音

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独身時代の僕は、恋人同士の同棲や寮生活といったいわゆる赤の他人同士の暮らしというものを経験したことがなかった。

血縁以外の人間と同居するのは現在の妻であるチーとの暮らしが初めてであり、だからこそ、今まで気づくことがなかった自分の人間性をあらためて実感することも少なくない。

結婚とは、すなわち自己発見なのかもしれない。

中でも自分自身がもっとも驚いたのは、洗面所での理不尽な心境である。

これを説明してどこまで伝わるかはわからないが、なぜか僕の中には「洗面所にいる姿を誰かに見られたくない」という、わけのわからない性格が潜んでいるのだ。

たとえば外出先から帰ってきたとき、僕が最初にすることは洗面所での手洗いとうがいである。

その後、コンタクトを外して、家の中でのリラックススタイルを完成させるわけだが、この行程の途中でチーが洗面所に入ってきたら、さあ大変。

どういうわけか僕の胸がざわざわと波打ち、得体の知れない嫌悪感が台風のように襲ってくるわけだ。

かくして、人間ができていない僕は洗面所に途中入場してきたチーに対して、露骨に不機嫌な態度をとり、時には「ちょっと向こうに行っててくれ」や「入ってくるなよ」といった理不尽極まりないクレームを発することもある。

当然、チーにしてみればわけがわからないことだろう。

彼女は洗面所に別の用事があって、入室してきただけなのだ。

これと同じようなことは朝の身支度や風呂上りにもあるわけで、たとえば髪の毛を乾かしている姿や洗顔をしている姿をチーに見られると、これはもう排泄行為の最中をまじまじ観察されているかのような嫌悪感がある。

我ながら思春期の女子みたいだ。

しかし、だからといって僕が極度の羞恥心の持ち主というわけではない。

風呂場の浴槽に悠々と浸かっているところをチーに見られても別に平気であり、たまに気分が乗ったときは全裸でリビングをうろうろしたりもする(どんな気分だ)。

排泄行為もそうだ。

さすがに大は恥ずかしいが、小の最中を妻に見られるぐらいなら、どんと来いである。

ならば、この嫌悪感はいったいどういうカラクリなのだろう。

独り暮らしをしていた時代はもちろん、大阪の実家で暮らしていた時代もまったく気づかなかった自分の知られざる性分。

「結婚したことによって伴侶の意外な姿が次々に発覚する」ということはよく見聞きする話だが、「結婚したことによって自分の意外な姿を自分で発見する」ということもあるとは、さすがに予想できなかった。

これもまた結婚の真理ということか。

話を展開すると、ここでの嫌悪感のメインターゲットは、おそらく「完成途中」というものにあるのだろう。

過去を振り返ると、僕は子供のころから何事も「途中」を見られることに不快感を覚える人間だった。

たとえばプラモデルを作っている「途中」、絵を描いている「途中」、作文を書いている「途中」。

完成したものを他人に見せるのは大歓迎で、むしろ積極的に見せたがるところがあったのだが、その「途中」を見られるのはどうにもケツの座りが悪い。

だから、いまだに身支度の「途中」を見られるのが嫌なわけだ。

そんなことを考えていると、以前ある取材で出会ったストリッパー女史の話をふと思い出した。

彼女はキャリア約10年を誇るベテランストリッパーであり、「他人に裸を見せることに抵抗感はすっかりなくなった」と話す独特の女性であった。

しかし、そんな彼女であっても衣装を脱ぐ「途中」を不意に、つまりステージ上ではなく楽屋などで見られるのは、それがたとえ女性であっても不快なのだという。

全裸で楽屋回りなどのバックステージをウロウロ歩き回り、それを男性スタッフに見られるのは平気であることを考えると、ステージ上かそうでないかはあまり関係ないのだろう。