小林幸子が撮っていた「23歳のヌード」誌上公開!(1)無名だった23歳時、グラビアで見せていた「エマニエル夫人」カット

ページを開いて、まず目に飛び込んできたのは、全裸の小林のバストアップショット。若かりし小林が、両乳房の先端を右腕で覆い隠しているものの、くびれたウエストラインは一目瞭然。キュートなおヘソも露出している。ショートの濡れた黒髪を左手の指先でかき上げ、キリッとこちらを見据えるカットは、女優然としたりりしさだ。

 紅白で見せるド派手衣装とは裏腹な一糸まとわぬ女豹系セクシーショットからは、彼女のなみなみならぬ“決意”の程がうかがえるのだ。

濡れたドレスから黒乳首が…

 さらに、ページをめくると、見開きでドドーンと白いシーツに横たわる小林の肢体が目に飛び込んでくる。白い肌の質感が透けて見える薄手のブラウスでバストトップを隠しつつも、縁にレースが施された黒のパンティ姿は挑発的とも言える。クールな表情からは、男に媚びない女の色香を漂わせる。

 見開きページの右上のカットでは上半身裸のまま、椅子にM字開脚で座り、背面ヌードまで見せているサービスカットも収められている。

 美しいくびれの曲線が鮮明に浮かび上がるとともに、うっすらと日焼けの跡が残った美尻から、なんと割れ目まで写っているのだ。

 その横には、「第二の美空ひばり」としてデビューした天才少女の足跡がこう書かれている。

〈かつて天才少女とさわがれた時 わずか10歳。それから13年の月日が流れてしまった。小林幸子 という名前が その間に浮かんでは消え 消えては浮かんだ。(中略)23歳という女盛りをむかえても その肢体は まだ未熟さを残して初々しい。幸子よ‥‥少女から女になる時期が少し遅過ぎたとしてもあせってはいけない〉

 いかにももったいぶらせる言い回しだが、これこそ、次のカットへの〈序章〉だったのだ。

 ラストを飾る4ページ目には、萌黄色のシースルードレスを着た小林が、左手でグラスを右手でシャンパンボトルを持ってみずからの胸元にその液体をかけている。

 恍惚の表情を見せながら、濡れたドレスは、小林のやや黒味を帯びた両乳首を浮かび上がらせている。

逆輸入歌手で復活を狙う!

 それにしても、紅白のトリまで務めた大物演歌歌手が、下積み時代とはいえ、なぜヌードを決意したのか。小林のヌードを撮影した写真家の佐野猛男氏を直撃すると、その舞台裏を初めて明かしてくれた。

「当時の小林さんは、レコードが売れていない時期で、『イメージチェンジをしたいんです』と小林さんサイドから要望がありました。こういうヌード撮影は、この1回きりだったと思います。この写真を見ると、撮影は麻布にあった僕のスタジオですね。ご本人もイメチェンのために必死でしたから、臆することなく、積極的に撮影に臨んでくれましたね」

 このヌードグラビアのコンセプトは当時、世界中で大流行していた映画「エマニエル夫人」だった。とりわけ印象的なラストカットは、映画の雰囲気が漂う。

「確か、パンチの編集者が高いシャンパンを買ってきてね。僕も30代半ばで怖い者知らずだから、『はい、カラダに垂らして』と要求したような気がします」

 人生の勝負をかけた小林のヌードグラビアは、当時、それほど話題にはならなかったが、小林自身に悔いはなかったようだ。

「あの撮影から2年後の79年、小林さんは『おもいで酒』が200万枚の大ヒットとなって紅白初出場を果たしている。実は、ヌード撮影の前に、小林さんのレコードジャケットを2回ほど撮っています。その際に、小林さんは長い黒髪を撮影現場でバッサリ切った。その時すでに強い意志を感じました。その流れでヌードも撮ったのですが、それから数年後に小林さんに再会した際、小林さんご自身が『あの直後から上向きになりました。いろんな意味で、あの一連の撮影が、キッカケになったと思います』と話してくれました」(前出・佐野氏)

 そして現在、いまだ先の見えない中、小林は次なる展開をにらんだ布石を打っているという。

「小林の夫には欧州の音楽業界に強力なコネクションがあり、演歌とオーケストラを融合させた新ジャンルの新曲を出し、逆輸入で紅白出場を目指していると聞きます。昨年から海外でブレイクしている由紀さおり(63)パターンを狙っているようです」(音楽関係者)

 まさに35年前に次ぐ人生の岐路に立つ小林。無類の演歌好きで知られる芸能レポーターの石川敏男氏はこう語る。

 「小林の盛大な表舞台をいつも影で支えてきたのが前社長のSさんでした。だからこそ、僕はそんな2人がもめていることが悲しい。幸子が20歳前後の頃です。売れなくて、キャバレー回りをしていました。お水の女たちに嫌がらせを受け、酔っ払いに絡まれていた。でも、彼女に『つらいだろ?』と聞くと『私は1人でも聞いてくれる人がいたら歌いたい』と言い切った。僕はその時、ショックを受けた。それくらい歌に真摯なのが幸子。だから、旦那には旦那だけをやってもらって、早く修復してほしいと思っています」

 今こそ、35年前のように「裸一貫」で出直す時期かもしれない。