東海旅客鉄道(JR東海)会長 
葛西敬之 
1940年、東京都生まれ。都立西高校から63年東京大学法学部卒業、日本国有鉄道入社。国鉄分割民営化に際し、「改革3人組」の1人に挙げられるなど、中心的な役割を果たす。87年JR東海発足に伴い、取締役総合企画本部長。90年副社長、95年社長、2004年より現職。

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『タレイラン評伝』と『ジョゼフ・フーシェ』という2冊の評伝に出合ったのは、30代になったばかりの頃だった。

20代後半でアメリカに留学した私は、地方の鉄道管理局に2年間勤めた後、国鉄の東京本社経営計画室の主任部員として戻ってきた。今後の国鉄全体の方向性はどのようにあるべきか――その命題を考える末端の作業部隊の指揮官として働きながら、一方でその時期の私はこれからも国鉄に勤め続けるかどうかを悩んでいた。そんなときに手に取ったこの2冊の評伝は、若い自分に大きな感銘を与えることになったのである。

18〜19世紀のフランスを生きたタレイランとフーシェは、極めて共通点の多い人物だった。

2人とも“政治的カメレオン”とさえ評され、フランス革命からナポレオン帝政、そして王政復古と、一貫して権力の陽の当たる場所に居続けた。ここで挙げた両書は、抽象的な論考ではなく、日記や手紙、そのときに居合わせた人々の証言をすくい取りながら、激動の時代を生き抜いていく2人の人物像を、非常にリアルに描き出した評伝になっている。

当時、2冊をじっくりと読んだことを覚えている。国鉄の予算や長期経営計画はすべて政治的な問題であったため、国会が夕方から夜にかけて続くような日は、資料づくりや国会議員への答弁書づくりなどに備えて、夜遅くまで待機しなければならない。私はその間に少しでも読書をしようと考えた。まだ人生の方向性が定まっていない若い頃は、あらゆることが自らの人生に関わりがあると思うものだ。だからこそ国鉄の資料や娯楽のための本を読む以上に、このような迫力のある評伝の世界に強く惹かれたのだろう。

そうして『タレイラン評伝』と『ジョゼフ・フーシェ』を続けて読んで強く抱いたのは、2人の人物の一生にはまさしく「人間学」の極致ともいえるものが凝縮されている、という感想だった。

彼らの時代のヨーロッパには、革命があり、戦争があり、政権交代があり、離合集散があり、裏切りがあった。だからこそ、彼らには常に命を懸けて生きているような緊張感があり、その言動や行動の一つ一つには、ある種のモデルとして大きな示唆が含まれているように思えたのである。

タレイランとフーシェは権謀術数に長け、前述のように“政治的カメレオン”と呼ばれることも多い。しかし評伝を読み比べてみてすぐに気付くのは、一見すると同じ時代を生き、やり口も似ている2人の政治家が、実はその本質的なところでは全く異なる価値観を持つ人物であったということだ。

その違いは彼らの最期がどのようなものであったかを見れば、明確に理解することができるだろう。

タレイランの外交力の凄味は、ロシアなどの連合軍にナポレオンが敗北した直後、独自の「正統主義」によってその敗北を事実上の勝利へと変えてしまったことだ。

ナポレオンによる革命前の総裁政府、そして以後の統領政府でも、タレイランは外務大臣を務めた。ナポレオンが追放された後に、ルイ18世政権の外務大臣としてウィーン会議に出席した彼は、本来フランスは戦争責任者として糾弾される立場といえるのに、フランスもまた他のヨーロッパ諸国と同じく被害者だと主張した。つまりナポレオンによる革命以後も、フランスの正統な政権は亡命中のブルボン王家にあったとしたのだ。それは決定的に不利な状況を外交によって覆し、敗者がいつの間にか勝者と肩を並べている、という比類なき知恵だろう。そして彼は、晩年までイギリス大使として外交の表舞台に立ち続けることになるのである。

対してフーシェはどうだったか。あるときは社会主義者、ときには恐怖政治のジャコバン党員、革命では王家に対する死刑判決を出し、その後の政権でも彼は警察長官の職に就いた。多くの人間の裏の弱点を握り、それぞれの政権に近づいては力による支配を続けたフーシェは、王政復古の時代になると今度は体制の手によって葬られることになる。最期は痩せ衰え、老いさらばえて、教会の神父の手を握りながら一生を終えた。彼はタレイランのようには生き延びることができなかったわけである。

2人の最期の明暗がこれほどまでに分かれたのは、「権力」についての考え方の違いにその理由があったと私は思う。

フーシェにとって権力とは目的だった。彼のジャコバン党員に対する取り扱いを評した言葉に「ネズミ捕りをする必要のなくなったネズミ捕りはお払い箱になる」というものがある。ネズミは捕まえなくてはならないが、捕り尽くしてしまったらネズミ捕り=フーシェ自身は必要とされなくなる。だから、捕り尽くしてしまってはならない、というのが彼の権力に対する考え方だった。

一方、タレイランにとって「権力」とは手段だった。フランスのために、ヨーロッパのためにという理想を掲げ、権力とはその理想を実現するための道具にすぎない。目の前の現象だけを追えば、両者ともその時々の権力にわが身を合わせていくが、タレイランの行動の根底には常にヨーロッパ世界の現状保全があった。強い独裁者の登場によってヨーロッパの現状が変えられてしまわないようにするためにこそ、彼は常に権力の中枢に居続けようとし、様々な権謀術数も駆使していったわけだ。

タレイランは「外交は恋愛である」と語っている。外交には高度な知性が必要とされるが、最後は信義と誠実がなければならない。彼の決して譲らなかった姿勢だろう。

その後、国鉄の本社で政財界の人々と付き合いながら、様々な改革を実現していくこととなった私は、30代になったばかりの頃に読んだ評伝のタレイランの生涯に強く共感し、フーシェのそれを反面教師として意識していくようになった。

思い出すのは、国鉄民営化のために力を尽くしていた頃のことだ。政府と国鉄は経営崩壊後も、公社制度の維持や漸進的改革の案にしがみついていた。とりわけ政府はときに分割民営化案を駆け引きとしてちらつかせ、経営陣への責任転嫁を行おうとしていた。私たちはそれを逆手にとって、政府・国鉄の再建計画案を否定し、分割民営化を自分たちから本気で提起した。すると世論の支持が私たちに集まり、攻守が逆転する。それは――スケールこそ全く異なるものの――いま思えば自己否定の中に活路を求めるウィーン会議でのタレイランの手法がヒントになっている。

権力を持ち始め、何かを決定する立場になるにつれて、人はその判断について大きな責任を持たなければならなくなる。そのときに自分の「出世」や「立場」をいかに保つかと考えるのではなく、自らにとっての合理性と正統性の物差しをはっきりと持つこと。その一点が常に動かなければ、たとえ多くの人たちに反対されても判断が揺らがずにすむ。

私にとって、それは国鉄経営の将来にとって何が必要かを考えることであり、さらには国民の利益にとっての正統性を見据えることだった。その視点がある限り、組織の体制がどのように変化しようとも、自分自身の行動の正しさを信じて前へ進むことができた。

自分なりの「正しさ」を強く胸に秘めていることが、生きていくうえでいかに大切か。またそれを持っていればこそ、失敗はしても後悔はしないのだということを、私はタレイランの生き方から学んだ気がしている。

※すべて雑誌掲載当時

(稲泉 連=構成 二石友希=撮影)